蔵書目録

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「日露交歓交響管絃樂大演奏会」 (宣伝チラシ?) (1925)

2023年12月25日 | 作曲家 山田耕筰、松島彝子

   

日露交驩交響管絃樂大演奏會
  
    練習を聞いた藝術界權威の批評
 
意義ある文化運動の表示。
            創作家 長田秀雄氏
日本が迎へた最初の驚異すべき管絃樂。
            東京音樂學校敎授 島崎赤太郎
藝術的にして且つ通俗的なる曲目の好配列‥‥‥。
            文藝家 昇曙夢氏 
力と熱の偉大なる藝術。
            創作家 秋田雨雀氏 
難曲の功妙な演奏と熟練せる手法。
            前戸山學校樂長 春日嘉藤次氏
生れて始めて聞いた微妙な音色。
            東京音樂學校敎授 頼母木駒子女史
山田君はオーケストラといふ樂器の名人なれども今迄は破れ樂器をとつて苦心して居たが今や「ストラウデイワ゛リウス」を貸して貰つたあの滿ちた指揮の仕方!
            東京音樂學校敎授 山充氏
露国の樂手は餘祐綽々として日本の樂手を敎へつゝ演奏して居る眞の日露交驩的演奏。
            國民の音樂記者 岡田孤煙氏
多年待ちこがれたる眞の交響樂を聽き感謝の語とてもありません。
            東京音樂學校敎授 安藤幸子女史
先年「明治頌歌」をきいて感動せざりし余も今度の交響樂によつて甚だしく感激せしめられた、尚大連で聞いたクァルテット四重合奏を音樂愛好家に特別に聞せてやりたい。  
            子爵 三島章道
今度の管絃樂は莊麗な本建築だ。從來のそれはバラックだ。いやそれよりも粗末だつた。眞に痛快。
            築地小劇場 土方與志
私は二日續けて練習を聽いて、ほんとうに驚嘆した。たゞ感激あるのみ‥‥‥。
            佐藤海軍々樂隊樂長
初めて眞正の交響樂を聽くを得た從來の管絃樂は盆栽のみ今や沖天の意氣ある大樹を見た何たる莊麗。
            坂西海軍々樂隊長
日本には從來好き手本のなかつた爲め指揮者が如何に説明しても樂員の技倆を向上せしめ得なかつた。今やその活ける手本が來た、日本音樂家に取つて洵に無上絕好の機會‥‥‥。 
            小山内薫
  
  新京極
    松竹座
  
 演奏者姓名並役名明細表

    總人員 七拾貳名
  
  露西亞より招致せる樂人中主なる者の略歷
  
シツフアーブラート(樂團長)最初テイフリスの音樂學校に学び獨國ドレスデン市に轉じてペイトリツヒ敎授に就き更にペトロヅラード音樂院に入りハイフエツツと同期生として有名なアウワー敎授に學び同音樂院卒業後ペトログラード市に獨奏者とし又は樂團長として活躍盛名をはせ終に同市國民歌劇座の指揮者となり三ヶ年就職、また同時代メクレンブルク大公四重奏團のヴイオラ奏手として選ばれ革命後難を哈爾賓に避け東支鐡道所屬の歌劇場並に交響樂團の樂團長となりまた自らシツフアーブラード四重奏団を組織してその主腦者として今日に及ぶ。
ケーニツヒ(副樂團長)プラーク音樂院に入りベネヴイツツ敎授に就く。後、プラーク、維納、アムステルダム、ヘルスインクフオルス等を演奏巡歴し、ペトログラードに入るに及んで帝室歌劇場の副樂團長として擧げられ帝室バレーの獨奏者となり指揮者に進み三ヶ年間その職に止る。後有名なるベライヱフ四重奏團の第二ヴイオリン奏者として選ばるゝ榮擧を負ひ、更にシツフアーブラート氏と共に歐洲の誇なるメクレンブルク四重奏團に入り革命と共に哈爾賓に來り東支鐡道所屬管絃團の副樂團長となり、同樂團の副指揮者となる。
 現に僚友シツフアーブラートを助けて同四重奏團のヴイオラを擔任しをれり。
トラハテンブルク(第一ヴ井オリン奏手)ペトログラード音樂院に入りナウバルチヤン敎授に就ヴ井オリンを學び同学院卒業後エカテリンブルグマルク、イルクーツク等の樂團に樂團長として盡し革命後哈爾賓に來り東支鐡道所屬管絃樂團に入り現にシツフアーブラート四重奏團の第二ヴ井オリンを受持をれり。
アスラマジヤン(第二ヴ井オリン主席)ヴラデイカフカス音樂學校を卒へモスクワ音樂院に入りコーニウム、カツタウワー兩敎授ニ就き樂理を學ぶ、後モスコー交響樂協會第二ヴ井オリン主席となり、更に樂劇座の第二ヴ井オリン主席となる。  
フイヨードロフ(ヴイオラ主席)ペトログラード音樂院を卒へ帝室管絃樂團員となり更にクセヴイツキー氏の管絃樂團に入り三ヶ年間就職、後再び帝室授團の獨奏授人として選ばれ一九一七年迄その職にあり、革命後ペトログラード交響樂協會の指揮者となり今日に及ぶ、露帝より金時計を賜はる。
ピエツケル(ヴイオロンチエロ主席)ペトログラード音樂院に入りピアーテ敎授に就き更にヴオルフ、イズラエル敎授に師事し卒業試驗に優等賞を得更に全露音樂競技會に出演天才賞をうく現にペマログラード交響樂團の主席セロ奏手なり。
ブエノフスキー敎授(コントラバス主席)ペトログラード音樂院卒業(ベツヒ敎授高弟)後王立マリンスキー歌劇場に入る現にペトログラード音樂院の敎授なり。
ヴエルホフスキー敎授(フリユート主席)ペトログラード音樂院卒業後帝室直屬マリンスキー大歌劇場の第一フリユート奏手となり十五年間同劇場樂人監督としてその盛名を馳せ現にペトログラード音樂院の敎授たり。
サリチエフ(オボエ主席)ペトログラード音樂院にゲエーデ教授に師事し卒業後マリンスキー大歌劇場次席オーボエ奏手となり、また同市交響樂團のオーボエ奏手として活躍しをれり、舊露帝より金時計を賜はる。
ゴルウチエンコ(トロムペツト主席)ペトログラード音樂院卒業後十三年間マリンスキー大歌劇場の奏手として就職現在に至る。
ラヴエンダ(ホルン主席)ペトログラード音樂院卒業後(タム敎授高弟)マリンスキー大歌劇場第三ホルン奏手として就職今日に至る。
倘此他十六日哈爾賓着十七日同地發來朝の樂人三名はキエフ音樂院敎授ドウルウジナ女史モスコー音樂院敎授ワシリエフ氏及フアゴツト主席たるペトログラード音樂院敎授たるゲリマン氏等なり。他二十二人計三十六名 
  
〔蔵書目録注〕
  
 上文中、明らかな誤りの部分は、赤字で訂正した。



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