あげちうのブロマガ

経営について語る扶養者の

状況の変化は、ストレスの始まりでは、ある。

今まではどうだったか?は思うが、ともかく今後は或いは自己責任だ。

 

「商店街が総じて流行ってる光景」を創る為には、しかし、つまり「全ての店が平等にユニークである必要がある」事にはなる。業種が被っていない、という事だ。八百屋が100件も立ち並ぶとか、そう言う情景は期待されていない。服屋にしろ、或いはメンズ、レディース、カジュアル、フォーマル、極論すればそう言う単位で店が分かれていて、お互い不可侵である、という光景が必要には成る訳で。今までの「儲ける」考え方からすれば少し考慮する必要は出てくる、大事な事は必要か否か?であり、他者より優れているか否か?ではない。

・・・その情景、要求、結果が「つまらない」と、そう言うのは有る訳だが。

原始的な?衝動、そう言うのは、ゲームとか?そう言う部分で発散すべき、そう言う感じはある。「この町の中で最も大きな店は私の百貨店だ」とか、そう言う感覚はちょっと抑止した方が良い。街の中央に客の導線を創る為には、というニュアンスで”そういう店”は必要で、周囲はそれによって集まる客に対して不足する個々の要求を満たす、そんな感じ?だ。都市計画に関してはちょっと解らないが、感覚では「ラーメンの激戦区」みたいなニュアンスは、少し抑えた方が良い気は、する。

…理想論でしかない訳だが。

「客にとってより利便性がある」というより、「客にとって必要」という方向での差別化が必要で、つまり「こっちの方がより優れている」というPRはどうか?という話だ。創作の面でも、失敗例でない限りは、先行し好評な作品に”乗っかる”被せる、そう言う方向性は「利益としては」否定される。「私の方がより客の利便性について考えているし正しい!」そんなプライドで生まれたのがグレートマジンガーである、とは言っちゃうが、そう言う感じは抑えた方が利益には近い、とは思うが。

ただ要するに、「もっと新しい事を考えろ」その要求が、何かの特権性を創っていく感覚も、ある。

個人的にはだから、あの「コンビニコーヒー」あれは、今もあえて買って飲む、様な事はしてない。通常の喫茶店の需要に明らかに食い込んだ、侵略した、感じでしか無いからだ、この方向性は続けると市場が死んでしまう、気はする。ただ、平成はそう言う文化が台頭してしまった…のも間違いはない訳で、実感でもある、平成は衰退の時代だった、どんどんと、商店街はシャッターを下ろしていった、訳で。

今後、”これ”が抑止されるのか?は、少し考える話ではある。

イメージでは、求めているのは「ガンダムのMSで、宇宙世紀に”新しい”ガンダムを組み込む」様な面倒さ、ではある。試作品でも、流石にリアリティが無くなっていくし、それは相応の需要しか獲得はしにくい。ともかく今のガンダムは、数多の異世界を許容する方向にはあり、ガンプラは次々とか、新作は発表されている、のだけども。常人にはなかなか新規参入が難しい、それも或いは現実としては、ある。

将棋で、新しいコマというのは必要か?ではある。

そしてその時、それは将棋なのか?そこは少し考える話だ。

経営者になる、というのは、まあ大変面倒だ、そういう事ではあるのだが。

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