あげちうのブロマガ

世界の中心で愛を叫ぶ人の隣にいた何か:前編

「大衆は神である」そう、言い始めたのは20年は前になるが。

でも「大賀さん」紛争解決機構を明確化してから、まだ5年くらいしか経ってない。

始まりは、「新世紀エヴァンゲリオン」ではある。これがヒットした、理由を、なんでか悩む?事があって。それは当然自分も創作者を目指していたから?というのはあると思うが、ともかくその思索の過程で、不意に気づいたのが、「大衆は神である」誰が、この作品を面白いと評価したのか?そういう話。それがなんでか聖書かの、「神」の描写にシンクロしていく結果、個人的な「断言」に入った訳だ。今でも断言はする、聖書の記述にある「神」を「大衆」それに置き換えれば、ほぼ”同じもの”として通る。

様々、この時点でも解りやすくはある、つまり「売れればいい」ウケた物勝ち、である。しかし今考えると少し謎もある、「要するに面白ければいい!」の、面白いと思うのは自分の主観でしかない、”それ”が。当時は何故か、「神の思惑である」そう、自分の中では断言されていた。

自分はそれを持って、「つまりカルトはまやかしである」新興宗教に陥る理由はこれでなくなる!と、奇妙な熱意に支配されて…ほぼ布教活動だ、”その後”がある訳だが。特に創作での「迷い」そういうのが消えた、”自分が”面白いと思えばそれが正解である、と理解した、のは”個人的には”利益だが、ともかく、その後に投稿とか、HPとかを始めてしかし。

なんで今に至るまで、こんな事してるんだろう(-_-;)。

ともかく?上の例だけでも、「大衆は神である」所であなたが面白いと思ったのは単にあなたの主観でしかないのでは?それは思う。この辺、自身の理解はでも、”理屈”を持ち出す事で、今に至るまで対処していく訳だが、その経緯も、「なんで?」ではある。理屈が通っていない、大衆は神なら、”それ”から評価されてないって事は、それはダメだって事なのでは。

まあだから、今に至るまでいまいち上手く行ってない?のにも、理由はある訳だ、何処か間違えてる。

とは言え、何だか、まあ「まずは技術を」でそのまま進む結果、最初は「ショートサーキット出張版」はHPでの技巧的な日記帳に過ぎなかったが、今は「オーダー」を得て、動画化して既に7年目、ではある。当時にしろ、創作の上限範囲、というのは自分にしろ越えがたい壁で、ホームページで続けてた出張版の小ささが、個人捜索の上限、それは感じていたが。蓄積の結果、良くも悪くもその範囲を超える事にはなった。

これを成果というか否かは謎だが、「広域性が増した」事で、これで判明した?事が幾つかある。「カウンタ数値が誰かに制御されている」のは感じていたが、”それ”をそう思う理由だ。最初にあった疑問の幾つか、「なんで自分が面白いと思う事が大衆が面白いと思う事なの?」は、つまり「エヴァンゲリオンは、あげちうの”黄昏の狩人”を足場にしていたから」である。エヴァンゲリオンが、”それ”を足場にしている限り、自身が面白いと思った感覚と、エヴァンゲリオンの視聴者層その「面白い」は、非常に重く同調してた訳だ。

この理解はその後、「え?すると他にも?」という感覚を呼び、探していく経緯で、「実は平成で人気が出たほぼ全てに、あげちうの(実際にはあまり人に見せてない)創作、その痕跡がある」事に気づく事になる、この例での代表的なのが以前に出た「遊戯王カード」の伏せカード、だろうか。ちょっと待ってくれ、いくら創作関係である程度のスキルがあると言っても、その程度の話で?その疑問から、次第にか、理解していく事がある訳だ。

「王の権威」という存在が居て、自分は気づくと”それ”だった、訳だ。

そう考えれば説明はつく、「なんでこいつだけ、ここまで隠蔽しつつ、アイディアを利用するのか?」他の存在では意味がないから、だ。その辺は、理屈が「創案」されても行く、物理法則とは結論で言えば宇宙に一つしかない、重力を前にした重力加速度が状況で変わる、計算式が成り立たない、という事は「無い」。その唯一無二にシンクロしないと創作も物理的な強度を持てないが、人間の主観は個性の問題で、創案時にもその後も”それ”をただそのまま「面白い」とは思わない。それをしかし、素直にか「面白い」と思う個性は、個性それがユニークである(唯一無二である)事を考えても一つしかない、それが王の権威。

この辺の道理は、神の絵として創案した「(0±0)」に帰結していくが、宇宙に個性がある限り、”それ”と最もシンクロする個性も一人しかいない、訳だ。今まで「なんとなく」の蓄積である創作領域は、この「王の権威」に依存しないと、「売り物」としての安定を得られなかった。それが今を形成してた訳だが。

という事に気づく前に、既にASPの何だか実績?からか「”雅”市場」は考案されては居るのだけども。

…しかし、その「特権」は同時に、普遍的な感情論「なんでお前だけ?」から、対抗する「皇帝」それを産む事になる、訳だ。自身が今までこうであるのも、その「皇帝」その存在故、ではある。大衆は神である、それは正しいがそれだけに、「平等」それは重い枷として、奇妙な衝突の理由、それに成っていた。

 

ちょっと長くなったので、後編に続く。

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