迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

春の夕暮れ響くらん。

2024-03-30 17:54:00 | 浮世見聞記




銀座三越の新館九階で開催中の「三越と松竹衣裳所蔵 歌舞伎衣裳展」を覗く。


六代目尾上菊五郎着用と現行の「藤娘」の衣裳が、昨年七月の日本橋三越開催時に續いて再び見られたのも嬉しいが、


(※展示物の撮影可)

今回は同じく六代目菊五郎着用と云ふ「京鹿子娘道成寺」の赤地の衣裳が、現行のものと並んで展示されるとのことで、その見學がいちばんの目的なり。



赤地の衣裳は云はずと知れた金冠中啓の舞における衣裳で、


(※六代目尾上菊五郎の「京鹿子娘道成寺」 白拍子花子)

このあとの手踊りからパッと上下に引き抜かれてアッと云はせる趣向は何度觀ても樂しいものだが、その引き抜く後見が名手なお弟子であればスカッと爽快で、マズいお弟子ではイヤな意味でドキドキしてしまふことを、私は大昔の臨場經験で記憶してゐる。


(※六代目菊五郎着用の衣裳)

故人七代目中村芝翫が、まだ中村福助と云ってゐた若手時代、六代目菊五郎の指導でこの曲を初演したのが三越劇場であり、この時は六代目菊五郎の自前の衣裳を借りてつとめたが、肥満体であった六代目菊五郎の衣裳は細身の福助には大き過ぎ、件の引き抜きの後は帯が緩んで困ったと、なにかで讀んだか聞いたかしたことがある。


今回は衣裳と併せて、音羽屋型の赤地牡丹柄の中啓も展示されてゐるが、近年に仕立てられた舞踊の中啓は要にギラリとした真鍮を用ゐてゐるのが、私はあまり好きではない。



かつてのやうな鯨の髭が入手出来なくなったための代替であることは分かるが、能樂のやうに特殊樹脂を使用して、見た目だけでも昔のままを殘してほしいものだ。








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