迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

あふぎのうら。

2024-04-04 19:52:00 | 浮世見聞記




京都市中京區三條通の京都文化博物館五階ギャラリーにて、「能の扇の世界展」を觀る。



能面や装束の展示はよく行なはれるが、扇に特化した展示は殆ど見ないので、本物の能扇──「中啓(ちうけい)」を間近で拝せるよい機會と、四ヶ月ぶりに京へ上る。



會主は京都で實際に能扇の繪付を行なってゐる菊井伯幸氏といふ職人で、古扇に殘る図案から當時の職人の“心(想ひ)”を感じ取り、それを忠實高度に模冩復元することを自身の使命と心得て日夜精進云々。

しかし現實は、扇販賣店(扇屋)から注文されたものを描くばかりが仕事で、多く遺る古扇の自主的な復元については、「そんなものを作っても賣れない」と拒否され、能樂師と直接に扇面図案を相談することも、能樂師の扇誂へ窓口である販賣店がイヤな顔をする云々。

菊井氏が口にしてゐた、「能樂師の方にも觀に来てほしい……」の言葉は、さうした實際に扇で舞ふ人と、實際に扇を製作してゐる人との繋がりが斷絶してゐることを示すものだが、かく云ふ私も手猿樂師として能扇をいくつか所持してゐるが、その扇面繪を美しくこそ思へど、それが誰の手によるものかまでは、考へたことがない……。

やうするに、もともと需要の薄い物ゆゑ、さらに需要の薄い物を作っても無駄に在庫を抱へるだけだ、との商賣的發想が傳統の繼承と發展を阻んでおり、それが扇職人を廢業する者が後を絶たない一因云々。

能樂の中啓とはたいへんに高額な道具だが、菊井氏曰く、「もっと安く出来るはずなんです」。

なんでもかんでも高値に吊り上げやうとする當事者たちの根性が、我が國の傳統文化を衰退させてゐる一番の原因であることについては、私も大いに同感である。



京都驛までの戻りは、煩い繁華を避けて裏の道を行く。



大阪に住んでゐた時代、ヒマさへあれば京都へ出かけて知った、いくつもの裏通り。



そんな道沿ひの、とっくに店仕舞ひして朽ちたやうな家屋のショーウインドーに、かつては華麗に飾られてゐたのであらう扇の無情なる殘骸を見る。



……これもまた、浮世の“掟”なるか。










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