2024/3/13(水)晴/曇
最高気温予想15°早朝の気温5°晴れたり曇ったり天候に午前11時半ポタリングに出る。
桜の花にはちょっと早いが、取敢えず熊鹿ロードを北へ走る。県道31に出て玉名方面を目指す。横島方面も考えたが時間を確認したら13時を過ぎていたので、玉名市津留の梅林天満宮(写真1参照)で昼食を取る。
楼門(写真2参照)には、砂岩製の大きな仁王像がある。この神社は、神仏混合の時代は安楽寺というお寺さんだったので、その名残と推測する。頭上には、「雷さん」像もある。
楼門右側には、牛の石像と「言わざる、見ざる、聞かざる」の石像(写真3・4参照)がある。
境内奥に、昭和38年梅林小学校卒業の皆さんの還暦記念の由緒書(写真5参照)がある。
「梅林天満宮は、承平六年(936)に大宰府天満宮から勧請されたと伝えられます。
今日の太宰府天満宮は、明治の神仏分離令以前は、天満宮安楽寺と呼ばれ、菅原道真の墓地として安楽寺が中心でした。平安時代に安楽寺領玉名荘が成立し、それから大宰府から天満宮から勧請されたと思われます。
地元では、「太宰府天満宮から道真公の遺骨の一部が梅林に伝えられ、天満宮が奉られるようになったもので、梅林天満宮は太宰府天満宮の第一分霊社である。」とされています。
その後、梅林天満宮は大宰府と関係の強かった菊池氏の庇護を受け、戦国時代(永禄四年・1561)ころに消失したと伝えられています。
現在の社殿は、江戸時代以降の建築と考えられており、平成十五年には本殿・拝殿・楼門・鳥居が国の登録文化財になりました。
毎年十一月二十五日に行われる例大祭では、流鏑馬が奉納されています。天満宮前の長さ四百米の馬場三箇所に的が立てられ、騎乗の乗手が次々に矢を放ちます。梅林天満宮の氏子である下・安楽寺・津留の三地区が輪番で受け持ち、中世の安楽寺玉名荘のころの様子を伝え、県の無形文化財になりました。」とある。
梅林天満宮を後にして、玉名大橋菊池川河川敷の菜の花(写真6参照)を観る。今年の山鹿市の菊池川河川敷の菜の花は見られなかったが、ここの菜の花の壮大な広がりに感動し満足感を覚える。
その後は県道16を東に辿り、江田船山古墳公園の石人(写真7参照)の前を通過する。「すっすっ、はっはっ」の襷が「江田船山古墳発掘150年」になっている。
帰路は県道3を選択。山鹿市鹿央町北谷の道路脇に、陽射しに照らされ輝くムラサキハナナの花(写真8・9参照)が輝いて見えたので立ち止まる。
17時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)27km→江田船山古墳公園28km→熊本(自宅)
所要時間6時間(実5時間) 総計55km 走行累計58,348km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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