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熊本から気ままに山と自転車のブログ

日向六地蔵石幢・放牛石仏(地蔵)92・1体目

放牛石仏(地蔵)92体目・1体目・日向六地蔵
2021/9/15(水) 晴

今日の最高気温予報32°降水確率午前10%午後20%の晴天に、気温が高く成らないうちに帰宅する予定で午前10時過ぎからポタリングに出る。
目的地を熊本市大江の是法神社の放牛石仏92体目、戸島町の日向六地蔵石幢、田迎の放牛石仏1体目とする。

今日は、先日の日向六地蔵石幢のリベンジ探訪のため国体道路を東に走るのだが、その前に、大江の放牛石仏92体目(写真1参照)に立ち寄り拝顔する。
左側の石に享保十六年村中とある。
ここは是法神社の境内である。境内掲示板に「是法神社は、明治中期、現在の大江四丁目に菅原道真公と観音様が合祀された由緒ある神社です。当時、飽託郡大江村是法居屋敷には十八世帯の厚き崇敬者の方々により守り継がれてきたと称する石碑が境内にあります。」とある。


県道235戸島三叉路から南進し、左折して直ぐの小道を左折するとその奥に日向六地蔵石幢(写真2参照)がある。先日は、個人住宅の進入路と思い込んだことにより見過ごした。
熊本市ホームページの案内図には「熊本市指定文化財。室町時代末期文明14年(1482)に建立されたもので六地蔵石幢の完成品として重要である。
六地蔵は六道救済の石仏で、また道行く人々の安全祈願と道路標識の役も兼ねていた。この地は、「薬師涅通り」と呼ぶ「菊池―戸島―木山―御船」を結ぶ昔の道路である。」とある。


六地蔵石幢後の塚(写真3参照)が気になる。もしかして古墳とも考えたが・・・?古墳とすれば、慰霊のため六地蔵を建立したとも考えられる。塚が変形しているのは、単に残土を盛り上げただけか、それとも土取りのために変形したものか?


戸島町日向の六地蔵石幢を後にして、県道226を南進し秋津川、木山川、矢形川を渡り右折して大六橋で加勢川右岸側へ渡る。画図小学校前の直線路を田井島方向へ走り、田迎小学校前の放牛石仏(写真4参照)に到着する。
石仏敷地は、奇麗に清掃されていた。石仏前には、彼岸花も咲いている。


放牛石仏(地蔵)の1体目(写真5参照)である。


説明文(写真6参照)が石に陰刻してある。
「江戸時代中期、細川六代宜紀のころ、熊本府(今の熊本市)に「放牛」という高僧がいました。放牛上人は、自ら願主になって農民や町人に喜捨を募り、享保七年より同十七年まで十一年間にわたり、百体をこえる石仏を建立しました。享保年間(江戸中期)の肥後は飢饉や洪水が多く、庶民の生活は困窮を極めていました。そのような人々を力づけ、精神的な救済をはかるために、放牛は各地に石仏の建立をすすめました。世にこれを「放牛石仏」と呼んでいます。この地の石仏はその第一体目で次の銘文があります。
「募化戮力を得て、座像地蔵立千道側蓋普結大縁同生浄邦享保七年壬寅五月放牛」布施の協力を得て、座像地蔵尊を彫刻し、路傍に建立します。一人残らず極楽浄土に往生しよう。と言う意味です。放牛上人の墓は熊本市横手五丁目にあります。」とある。


現在時刻12時半過ぎに帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)30km→放牛石仏1体目11km→熊本(自宅)
所要時間3.5時間(実3時間) 総計41km 走行累計42,783km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

コメント一覧

asotakadakedake1592
Re:romajin-daさんへ こんにちは コメント有難うございます。
romajin-daさんの昨日のブログ拝見しました。おめでとうございます!努力のリハビリの成果ですね!尊敬します。
季節も良くなります。サイクリング・ドライブをお楽しみください。自転車くま
romajin-da
こんにちは
雨のせいもあり気温が下がって過ごしやすくなりましたね。
彼岸花と放牛地蔵は季節感があって良いですね。
私も脳出血後一年経過して、車の運転が再開できるようになりました。彼岸花の写真を撮ったり、サイクリングも再開しようと思っています。
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