石ころ

尽きない油




 今日は、歯医者さんで口の中の大工事が行われた。
でも、「とっととやって貰うしかない」と思うから、ちょっと笑われるくらい我慢していたら「ちょっと麻酔しましょう」と言われた・・、助かった!
予定になかった歯まで昨日から痛み出して、せっかくスムーズに進んでいた治療が予定通りには行かなくなった。
まあ、この歯がお薬で治まってくれれば大丈夫とのことで、急かず治ると信じよう。


 満開のチューリップを数本切って部屋に挿した。ちょっと弱った心が明るくなるビタミン剤・・、でも、花を見ている内に切ないことを思い出した。
主人は誕生日に(多少のズレがあってアバウトだったけれど)よく花束を贈ってくれた。

濃い紫のチューリップを贈ってくれた時、沢山のチューリップを抱いて「勿体ないことして・・」なんて、責めるようなことを言ってしまった。
なぜ大喜びをしなかったのだろうと・・切なくて、取り返しのつかない思いがした。
私は家庭を守ろうとして、いつも必要以上に切り詰めてしまっていた。

 今、イエスさまがその日々をあがなってくださっていると感じる。今の方が収入は遙かに少ないのに、なぜかちっとも心配ではないから・・そう感じる。
神様に養われるときは、持ち物や収入が問題ではなく「尽きることはない」と教えてくださったから・・。

エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。(Ⅰ列王記17:16)

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コメント一覧

ムベ
Bluemomentさんコメントありがとうございます
そうですね。自分の言葉に傷ついて、愛して居るから悲しみを引きずるのですが・・、
もっと、優しさを素直に受けて良いのですよね。癖・・本当にこれがくせ者です。

主の豊かさの中にいるのに、心配して味合うことがなかったのは愚かだと気づきました。
「私は我慢しました」なんでイエスさまに申し上げたら、
「何不自由なく揃えて置いたのになぜ用いなかったのか。わたしの豊かさを知らないのか。」
と言われるだけでしょう。

でも、「何でも欲しいものを・・」って言われると、もう、すべてが満たされていることに気づきます。
Bluemoment
ああ…私にもこういう経験があります。
素直に喜べばいいのに、なにか現実的になってしまって「ありがとう」が出てこなかったこと…。
自分の言葉に自分が1番傷つきました。
与えられたのだから素直に喜んで受け取る、
遠慮が癖になっている私は最近これを実践中です。

>神様に養われるときは、持ち物や収入が問題ではなく「尽きることはない」と教えてくださったから・・。

これを心に留めておきます。
ムベ
電気屋さんコメント有り難うございます
花束なんて似合わない者ですから・・、なんと無駄なことを!と思ってしまうのです。
でも、本当は喜んでいたので覚えているのですが・・。

まことに、私にもっとも似合わないのはキリストの花嫁です。
「もったいない」たって、正気の沙汰ではないのですが、
造り主が御決めになったことですから、どうしようもないのです。

「平安あれ」と仰せですから、平安の内にすべてをそのまま頂きました。
そうしたら、不思議に恐れもなく居心地が良いのです。

姦淫の女が、その場に留まっていた気持ちがわかります。
キリストの御側は、責められることもなく心地良いです。
電気屋
今日は家内と二人で歯医者行ってきましたよ。
楽しい所ではありませんが、この世に居る限り仕方がないとも割り切ってます。

花束
頭で計算してしまうので、勿体なく思えますよね。

それよりも、私という罪人のいのちを、尊い神のひとり子のいのちと交換なんて「なんと勿体ない事」

でも天国では「もったいない」なんてないでしょうから、有り難く頂きます。
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