元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

生き方の基準?

2024-06-03 07:05:47 | 独り言



「生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである」。こちらもフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言。【生き様】と言う言葉がある。小学館のデジタル大辞泉によると、「「死に様(ざま)」からの連想でできた語とされる》その人が生きていく態度・ありさま。生き方」と。【生き様】も人それぞれである。それは「死ぬ時に解るのかな?」と。父の「死に様」は在宅介護だったので目にしているが、その最期に至り、「まだ何か出来た事はなかったかな?」と、時折思う。そうした事は、後から悔やむものだ。小生も、自身の最期を考える歳になっている。さて話は変わるが、例のTRIOのカセットデッキは、フラッターと言うよりは、まだ細かいヴィブラート状態。ピッチの変動も極端に減ったが、カウンターベルトを輪ゴムで代用しているせいか不安定だ。ゴムベルトは「最適な物が無いか?」と探している最中だ。今週中に発注をする予定だ。予備に使えるカセットデッキも探そう。直す前提だが、やはり必要だ。今朝、北陸では大きな地震があった。これから被害状況も解るだろうが、政治不安がある時は、一層の不安が募るものだ。



今朝のテレビ報道で、ウクライナ大統領のゼレンスキー氏が」アジア安全保障会議」に於いて中国を批判していた事が伝えられたが、そのゼレンスキー氏と言えば、共産党政府に同調し、台湾を中国の一部と見なす程の関係だったのだが、現在のロシアとの有事に於いて、そうも言ってられない状況になったようだ。何せその中国が、ロシア側に舵を切っているのだ。そんな感じなので、日本の立場からウクライナを見れば、正直、「どっちもどっち」としか言いようがない。なのでこの有事、色々と解らない事が大過ぎる。元はと言えば、元ソ連同士の有事である。だから互いの政治的なプロパガンダばかりだ。それでどれだけ正確な情報が回っているのかも解らない。実際、ウクライナは各国に支援を求める際には、その国に合わせたトークをしており、米国に於いては、日本との軍事同盟を結んでいる事を知ってか知らずか?「パールハーバー」と反日を煽り、日本に於いては「世界平和」だ。「流石、元芸人」とでも言っとくべきだろうか?それだけでもウクライナの立ち位置が解る。何だかアホらし。

ゼレンスキー大統領 アジア安保会議で“平和サミット参加を”
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240602/k10014469051000.html
※参考記事:“親中”ウクライナと“パートナー”ロシアの板挟みに揺れる中国
…3期目を狙う習近平主席の胸中は

https://times.abema.tv/articles/-/10017697?page=1
【速報】気象庁が今後1週間程度は震度5強程度の揺れに注意するよう呼びかけ
石川県輪島市・珠洲市で震度5強

https://news.yahoo.co.jp/articles/baa776b46f57a4c0ee9ff4bc622d63ec7bf8d7df

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と言うよりも?

2024-06-02 08:02:56 | 独り言




「私は今、生きようと努めている。と言うよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている」。これはフランスの詩人であるジャン・コクトー氏が、何かの折りにインタビューでも受けた時にでも言った事だろう。「人は最期にどう思うか?」だが、その為の覚悟は、誰しも(何となく)頭の隅にはあるものだ。その言葉、とても響く。さてまだTRIO「KX-7000」なるカセットデッキに苦戦している。あれから何度かカウンターベルトを既製品と輪ゴムを交互に試したが、結局は輪ゴムの方が相性が良いようだ。こちらも色々な長さで試しているが、それと同じテンションのカウンターベルトを探さねばならない。輪ゴムではテンションが弱い分、耐久性が不安だからだ。取り敢えず太さは、0.7mmと0.5mm辺りを揃えてみて合わせてみよう。サッサと終わらせたい。それと更にはDCモーターも必要だ。難点は国産品が無い事だが、今使っているのは5個買ったうちの生き残りだ。勿論、中国製だが、これぞ中国品質か?バブル期に調子に乗った企業も多いが、悪いのは、その後に、そんな企業がやった後始末だ。当時も問題視されたが、"給料が高い"との理由で熟練の技術者を大量リストラ。途端に大手工場での大事故が発生した。理由は野暮だろう。日本の企業にグローバル化は似合わないようだ。つまり「その失敗で、日本の工業は弱体化した」と言っても過言ではあるまい。徒弟制度を悪と見る現在だが、技術者を育てるには必要なものだ。技術とは蓄積なのだ。しかし人間性も育てねばならない。よく「職人は変人が多い」なんて言われ方もするが、そこに色々な意味が含まれいる。



話は変わるが、こちらのblogの内容が示すように、小生が好きなものは視聴覚関連で然もカセットデッキのような音響製品の修理やメンテに明け暮れる程に音楽の再生に関しても余念がない。そのジャンルに関しては、この歳になっても演歌嫌いで歳と共に聴けるようなジャンルではないのだ。(それ以外は何でも聴いている。)一時期、SPレコードで歌舞伎のレコードの収集に凝った事がある。きっかけは、1983年に音楽之友社で発売された【名盤コレクション 私の愛聴盤ベスト10】なる本の記事に、ある評論家が推していた「勧進帳」のレコードがあった。それは皇紀2600年を記念して当時のオールスタアで録音されたSP盤を復刻したものだった。それがずっと頭の中に引っ掛かっていたのだが、SP盤の再生環境が整った事から無性に聴きたくなったのだ。そこで早速買った。20年程前の事だ。その配役は、15世市村羽左衛門の富樫、12世片岡仁左衛門の義経、7世松本幸四郎の弁慶と、かなり豪華。だから填まった。後に同じ配役の記録映画も観たのだが、そんな理由で歌舞伎のレコードも結構揃った。なので伴奏音楽にも填まり、長唄の6世芳村伊十郎が参加しているレコードも探し捲った。そこで収穫だが、6世初録音の長唄「勧進帳」の全曲盤がある。明治44年収録の(米国victor収録の)オリジナル盤だ。後は枚挙に暇がないので割愛するが、ようやく量産体制が順調になった時代のレコードは材質も良く、喇叭吹き込みではあるが、針音も殆ど感じないので、現在の耳で聴いても素晴らしい。純邦楽ならではの流派の違いを聴くのも面白く、同時にそのジャンルの深さを知る。萬屋一門の襲名興行が開幕した記事を読んでいたら、小生なりの歌舞伎や純邦楽の見識について語りたくなった。

萬屋一門の襲名興行が開幕 共演の片岡仁左衛門「萬屋さん、しっかりとお気張りや!」
アドリブでエール(中日スポーツ)

https://news.yahoo.co.jp/articles/049d1c3f63d7692832ba81ee576567102cae7be7



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作ってはならぬ。

2024-06-01 06:23:58 | 独り言




「芸術に従って芸術を作ってはならぬ」。こちらもフランスの戯曲家(詩人)のジャン・コクトー氏の名言だ。「本末転倒」と言う言葉がある。広辞苑(第7版)では「根本的な事柄と些細な事柄を取り違える事」とある。補足も引用すると「目的と手段を取り違えたり、優先順位を間違えたりすることや、枝葉末節にこだわり過ぎて本質を置き去りにすることだ」と。即ち「何処に目的があるのか?」だ。それは表現でもある。「何を表現したいのか?」と問うた方が解りやすいだろう。つまりはそう言う事である。例を上げると韓国では「ノーベル賞」を取る為の研究を政府規模でしているそうだが、賞と言うのは結果であり、成果である。なので韓国でしている事は、如何に本末転倒な事かが解るだろう。だからコクトー氏の言う「芸術」とて、説明をする事自体が野暮と言うものだ。これ以上は言う事はない。話は変わるが、結局、あーだのこうだのと奮闘しているカセットデッキのゴムベルトだが、自棄になり、カウンターベルトを輪ゴムに代えたらフラッターが消えた。一時的な事かも知れないので様子はみるが、やはりそのテンションに近い、ゴムベルトを探さなければならない。(輪ゴムは耐久性に問題があるのだ。)何種類か太さの違う物を揃えよう。細目の方が結果が良いようだ。相変わらずの"割れ鍋に綴じ蓋"だが、それで誤差を打ち消している。純正のゴムベルトは溶けてしまって現存しないので、元の状態は解らないが、TRIOの技術者は、なかなか微妙な事をしている。来月までに部品をリストUpをしよう。モーターは、やはり非力で使い物にならない。こんな時に国内メーカーはない。



「お客様は神様です」。とは昭和の大歌手である三波春夫さんの名言だが、以前から、その意味合いが"誤解されている"との指摘があった。何せ今やクレーマーの代名詞なのだ。それは福祉にも似たような感覚がある。即ち「普通の概念の基準」だ。そのセンターを割と勘違いしやすい。こんな記事があった。題して「カスハラ問題で引用される「お客様は神様です」の誤解 三波春夫さんの真意は別次元」とニュースサイトのGLOBE+によると、三波クリエイツ代表取締役の三波美夕紀さんを取材し、その真意を聞いていた。それは記者の「「お客様は神様です」は、客の立場の強さを表現する言葉として使われているのをよく耳にします。客が店などにクレームをつけるときの言い訳に使われた例もあるようです。ところが本来の意味は違うそうですね」との問い掛けに始まる。そこで娘の美夕紀さんは「三波自身、生前にこの言葉の真意について説明していますが、これは自分の完璧な歌を、芸をお客様と視聴者にお届けしなければならないという心構えを表したものでした」。と前置きし、「 三波は自分の芸について求道者のように厳しい人でした。「歌う時に私はあたかも神前に立って祈る時のように雑念を払ってまっさらな心にならなければ完璧な芸はできないのです」という信条でした。お客様を神様とみて、神前で祈る時のような気持ちで歌を歌う、これが「お客様は神様です」の真意です」と。



その上で「皆さんも神社に初詣に行って、例えば「今年もよい年でありますように」とお祈りなさいますよね。雑念を払って。あるいは「お天道様が見ている」という言葉もありますね。それと同じく、三波も、いつも敬虔(けいけん)な気持ちで舞台に立っていました」と。しかしながら誤解されたものである。日本にはチップ文化が無いので「サービス」と言うものに甘えがある。元来は「サービス」にはお金を払ってしてもらうものなのだが、如何なるものか、日本の場合は温情だ。それはおもてなしであり、礼儀でもあるが、戦後の教育では、日本古来の文化が軽視されており、近年では特亜(特に朝鮮)の儒教の影響があるのか崩れてきている。これもプロパガンダにしてやられているのだろうが誠に不甲斐ない。それこそ政府機関にも、良からぬものが入り込んでいるのか色々と酷い。【教育改革】は何だったのだろう?国家を潰すのは「教育」から手をつけるのが一番早いが、GHQ政策でも崩れなかったものが、あの教育改革以降は簡単に崩れている。その原因を知りたいものだ。

カスハラ問題で引用される「お客様は神様です」の誤解 三波春夫さんの真意は別次元(GLOBE+) https://news.yahoo.co.jp/articles/26a511dc3578a86950716b002793b432ec85bb87
中国 アメリカの動物園に再びジャイアントパンダ貸し出しへ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240530/k10014465421000.html



さて此処で、中国共産党政府による覇権行為に対する米国のいい加減さだ。NHK News Webによると「アメリカの首都ワシントンの動物園に、中国から再びジャイアントパンダ2頭が貸し出されることになり、メディアは対立する米中両国が関係の安定化を図ろうとする動きの一環との見方を伝えています」との事。その上で「ワシントンの国立動物園は29日、ジャイアントパンダ2頭が中国から貸し出されることになり、年内に動物園に到着すると発表しました」と言うのだが、表では「中国包囲網」等と日本政府にも圧力を掛けているのに、首都のワシントンでは「アレかい?」てなものだ。然もこの記事には「バイデン大統領の妻のジル夫人は公開された動画で「歴史的な瞬間を祝うのが待ちきれない。パンダがワシントンに戻ってくる!」と歓迎しました」と。何だかデタラメさを感じるが、あれだけ騒いで結局は、中国共産党政府肝煎りの【パンダ外交】に屈している。そこにも利権はあるのだ。そのパンダは御存知の方も居るだろうが貸与だ。つまり借りるお金を共産党政府に落とす訳で、経済制裁だのと宣っているのに、此処でバランスを取っている。流石、親中の民主党政権だと笑うしかないが、矛盾をしており馬鹿馬鹿しい。思わず「こんな事をしているから?」と呆れる。田舎のプロレスだ。

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とどのつまり

2024-05-31 06:49:47 | 独り言


「とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである」。とどのつまり、即ち「物事の果て」とか「結局の処」てなものなのだが、この用語、近年のアニメでは、矢鱈と聴かれた言葉だ。そこでフランスの詩人のジャン・コクトー氏が【歴史】に関し、それは「伝説であり、ウソなのだ」と評している。つまり古い歴史は伝説であり、新しい歴史はウソなのだ。即ち「勝てば官軍負ければ賊軍」だ。だが伝説も思い返せば、その繰り返しだ。世界史にも怪しい空白がある。日本史にも同様の空白がある。そこには政治力があり、その時代の都合がある。これからも記憶違いのような歴史の誤差が整理をされずに残るものもあるのだろうが、直せるものは直したい。「第二次世界大戦」の代償は連合国が作った歴史観である。権力とは愚かなものである。そしてくだらないものだ。さて今日は休みだ。午前中は用事があり、出掛けるが、役所なので時間が掛かる。身内に障害者手帳が必要な者が居るからだが、人は一生のうち、色々とあるものだ。こちらも早く片付けたい。またTRIOのカセットデッキ、「KX-7000」のキャプスタンベルトとカウンターベルトの全交換をした。こちらも「とどのつまり」なのだが、モーターを交換すれば、その問題の殆どが解決すると思っている。「思っている」と言うのは希望的観測ではあるが、交換した」直後は調子が良い。だがそこに騙される。結局は不安定なのだ。そんなこんなで同じ事ばかりを繰り返す。「とどのつまり」だ。


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本物の涙

2024-05-30 06:51:06 | 独り言




「本物の涙は、悲しい一頁からではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される」。こちらはフランスの詩人、ジャン・コクトー氏の名言だが、「何だか解るな」と言うのが正直な感想だ。しかし「時が解決してくれる」とも言え、だからこその一頁である。さて家庭の記録映像による編集作品は「第二部」だが、ラストスパートだ。その為に構想を練ってはいるのだが、幾つかのパターンもあるので、取り敢えず編集をしてから決めよう。見落とした動画も写真も在るので、まづデータ化をしてから再構成だ。そうかと思えば北朝鮮がミサイル発射だ。だがその狙いが解らない。既に何処かに着弾でもしないと周りは動きようがない。建前上では「衛星」としているが、もうどうでもいい状態になっている。正式に目的を表明した方が早いとは思うが、対面上の事もあるのだろうか?やはり解らない国だ。【国家】とするのも「?」だ。しかしながら日本政府も不甲斐ない。拉致問題はどうした?



さて相変わらずのカセットデッキの愚痴だが、何とかカウンターベルトも「落ち着いたか?」と思えばまた「?」状態。キャプスタンベルトの幅と長さも微妙だが、幅は4mmで良いようだ。微妙なのは長さで、もう少し(数mmだが)長くても良い。のんびり探してみよう。だが結局の処、非力なのはモーターだ。こちらをどうにかしなければ、何も変わらない。日本製のモーターが見当たらないのが難だ。

さて「巷では?」だが、自民党派閥の裏金問題から【政治資金規制法】の修正をするに至ったが、その与党案に対し、立憲民主党等の野党は挙って否定するのは想定内だろう。しかし本来ならば、そこで野党からの「我が党なれば、こうする」が無いのはやはり残念だ。そもそも政治資金に関しては、何処の政党でも必要で、だからこそ立憲民主党幹事長の岡田克也氏は、政治資金パーティーをするつもりだったし、別に法廷内で認めている事に関しては「何を言わんや」だろう。だが立憲民主党は「政治資金パーティー」を禁止。だから野党の言い分がヘンテコなのだ。そもそもの問題は「不正をするな」だ。それが政治資金自体が悪い事になっているのだから、言い出しっぺの野党は「じゃあ交付金だけでやらんさい」としか言いようがない。野党が自らの主張で身動きが取れないのは自業自得だが、そんな事ばかりをしているから支持率が上がらない。そこをいい加減に理解をしてほしい。辻褄が合わない。



北朝鮮が弾道ミサイル、発射
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240527-OYT1T50175/
自民党の修正案は事実上の“ゼロ回答”に野党は猛反発 政治資金規正法の改正
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1198653?display=1

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