目覚めた孔雀。独り言三昧。

目覚めた孔雀こと池本哲晃(いけもとてつこう)の独り言です。

そんな日があってもいいか。私は機械じゃないんだから。

2024-05-23 23:40:50 | ふつブロたまには咆哮
なんか今日はわけのわからない日でした。
親を迎えに来た人たちも、親を送りに来た人たちもわからないほどぐっすりと寝入り、起きたのがお昼の二時。

そして近所のスーパーにレギュラーコーヒーを買いに行った後、ご飯を食べて、そのあと役所に出す書類を書いて、あとはずーっと泣き続けています。

特に悲しいことは起きておらず、思いつくのは満月。

そっか。この満月は、ικμτのネータルの太陽と月を刺激する満月なんだ。
そう思ったら合点がいきました。

それにしてもなんか悲しい。
何もしてないのに、悲しいんです。

ま、こんなこともあるか。
理由もなく泣けてくる日。

そんな日があってもいいか。
私は機械じゃないんだから。


双子座二日目の朝に

2024-05-21 08:02:26 | いけてつオタク話
おはようございます。
今日のお江戸は気持ちのよい、五月晴れの朝でございます。
そして今日は大安。
皆さんにいいことがありますように。

双子座といえば、川島なお美さんのジェミニという歌を思い出します。

それはさておき双子座の季節。
トランジットの太陽が、ικμτのネイタルの太陽や、水星、そして金星、なんと火星と120度の吉角を作ります。

なんかいいことあるといいな~

そんなことを思ったικμτでした。


I'm mine.

2024-05-20 18:48:53 | ふつブロたまには咆哮
I'm mine.
そう、私は私のものだ。

何やら自我侵犯して、私を自分の思い通りにさせようと企む不埒者どもと付き合ってきたが、そんな連中とは、全部さようならする。

そうなのだ。
いつからかは知らないが、私は私に対する主権を失い、何者かにその主権を乗っ取られていた。

これは決して比喩ではない。
そして妄想ではない。

私は何者かに支配されていたのだ。

いつからだろう?
いや、いつ誰に私の主権を乗っ取られていたか、そんなことを思い返しても意味はない。

それより私は私の主権を取り戻した。
そして三世間は融通する。

私の五蘊世間が、私の私に対する主権を取り戻せば、衆生世間においても、誰かが自分自身の主権を取り戻し、我が祖国日本も、主権を取り戻すはずだ。云々。

ついさっき、自分に対する主権を取り戻したικμτであった。


不意にのらくろを思ひ出した。

2024-05-19 18:48:44 | ふつブロたまには咆哮
ικμτの通っていた小学校の学級文庫に、のらくろがあった。
ικμτは見事のらくろにはまり、カタカナの旧仮名遣いで文章を書いていた。

もちろん、文字も横書きで右から左に書いていた

ικμτの身内にもそれを使い、見事ικμτの文章を解読できたのは、小さな頃から私の書いていた漫画になれていた妹と、大学の国文学科を出た友人だけだった。

しかし部下にあそこまで親切な連隊長や中隊長、そしてあんなに家庭的な内務班はどこにもないだろうなあ。

きっとクラスで浮いていた私にとって、のらくろの所属していた猛犬連隊は、自分にも居心地がいい集団に見えたのであろう。

そんなことを不意に思いだしたικμτであった。


はぐれざるあれこれ、その1

2024-05-16 23:09:52 | はぐれざる独り言
はぐれざるは信頼関係を作れない。
はぐれざるはいつも遠慮をして生きている。
こんなことを要求したら図々しく思われるのではないかとおびえている。

そして健常ざるは、何でこんなにあけすけなんだろうと、うらやましく思い、かつ憎む。

自分は周囲の悪意を恐れてそんなあけすけな自己開示はしないし、正当な要求ですら、恐れて頼めないからだ。

はぐれざるに近づいてくる健常ざるは、優しいさるか小ずるいさる。

はぐれざるは、優しいさるを傷つけ、小ずるいさるに利用される。

優しいさるは、はぐれざるのことが大好きだから、はぐれざるを図々しく利用する小ずるいさるを見て激怒し、はぐれざるのために涙する。

ありがとう、優しいおさるさん。

はぐれざるの敵は、はぐれざるの本性もわからないで、熱心に群れに戻そうとするお節介な飼育員。
(ここで飼育員と書いたのは訳がある。読者よ、悟れ。)

無理解で熱心な支援者ほど、はぐれざるにとって、ありがた迷惑なものはないのだ。

さて、はぐれざるの仲間には、独特のコミュニケーションの仕方がある。
まずは相手の運動法則を尊重する。
相手の運動法則がわからないうちは、手を出さない。
そして相手が無理解で熱心な支援者にいじくられた痛みから張った、極度につ広いパーソナルスペースと、いびつなプロトコールを尊重して、無理には近づかない。

これはメンタル疾患者にも言える言葉だ。
かつてメンタル疾患者は、根底にある基礎疾患や世界観を自己治癒しようとしてそれに失敗し、ありのままの自分を受け入れて、自分の道を歩み始めたところで、傲慢でお節介な飼育者にいじくられ、そして症状を発症するのだ。

それで極度に広いパーソナルスペースと、いびつなプロトコールで傲慢でお節介な飼育者を遠ざけ、はぐれざる仲間を探すのだ。

実はスキゾフレニアの予後の善し悪しは、治療者や支援者が、彼の極度に広いパーソナルスペースを理解し、いびつなプロトコールを受け入れるところにあるのだ。

そしてその奇妙な対人接触法の根底あるのが、彼の基礎疾患に由来するトラウマなのだ。