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青森県七戸町 世界遺産・二ツ森貝塚 二ツ森貝塚館②円筒土器 榎林式土器

2024年05月05日 10時58分49秒 | 青森県

二ツ森貝塚館。七戸町字鉢森平。

二ツ森貝塚館は、二ツ森貝塚史跡公園から800mほど西の場所にある、閉校になった天間東小学校を再利用した施設である。二ツ森貝塚や町内の遺跡から出土した資料を展示している。

二ツ森貝塚は、旧遺跡名から名付けられた「榎林(えのきはやし・えのきばやし)式土器」という縄文時代中期後半の土器型式の標式遺跡として知られる。

榎林式土器は、東北北部の円筒土器文化と東北南部の大木(だいぎ)式土器文化の二つの文化の融合により生まれた。榎林式土器には、大木8b式土器の樽のような丸い形と渦巻文様が見られ、円筒上層e式の上部の開きや、線描も見られる。

二ツ森貝塚の榎林式土器を代表する人面付土器。

縄文時代前期の中頃から、円筒土器というバケツを細長くしたような形の土器を用いる文化が、青森県を中心として北海道南西部から東北北部の広範囲に花開いた。

その中には、前期から中期にいたる円筒土器文化のもと約1500年の長期にわたり集落が営まれた全国でも最大規模の縄文集落である三内丸山遺跡などがある。

縄文時代前期中頃から始まった円筒土器文化は、中期に引き継がれる。前期の土器が円筒下層式と呼ばれるのに対して中期の土器は円筒上層式と呼ばれ、シンプルな形の多い前期の土器に比べると、土器の口の部分に突起や粘土紐による装飾が加えられるなど、より華やかになる。また、前期には胎土に植物繊維を混ぜることにより土器をもろくならないようにしていたのに対し、中期には砂粒を加え、焼成温度を高くして強固な土器を作っていた。

東北北半に広がる円筒土器文化圏に対して、東北南半には大木(だいぎ)式土器文化圏が広がっていた。前期から長く続いてきた円筒土器文化も中期の最後には衰退し、南の大木式土器文化が徐々に浸透していく。

二ツ森貝塚や三内丸山遺跡などの土器形式は、I期からVI期に区分されている。古いほうから、I期は縄文時代前期中頃:円筒下層a・b式土器、II期は前期後半:円筒下層c・d式土器、III期は中期前半:円筒上層a・b式土器、IV期は中期中頃:円筒上層c~e式土器、V期は中期後半:榎林式・最花(さいばな)式土器、VI期は中期最終末:大木10式土器である。

二ツ森貝塚出土の土器・土偶。

縄文時代晩期の土偶。

古墳時代の遺跡。森ケ沢遺跡出土の土器。北の続縄文文化と古墳文化が併存。

このあと、小川原湖東岸へ向かい、三沢市歴史民俗資料館・寺山修司記念館を見学した。

青森県七戸町 世界遺産・二ツ森貝塚 二ツ森貝塚館①埋葬された縄文犬



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