ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

太子葬送の道 達磨寺にて

2021-06-09 21:33:25 | ウォーキング

ではその太子とゆかりのある
達磨寺(だるまじ)を見てゆきましょう。

この寺には国の文化財である
木造聖徳太子座像と



木造達磨座像があります。



また本堂の中には掘り起こされた
仏石やその収納ケースなんかも
展示されていました。



境内は結構広いですよ。

こども園なんかもありますね。



また中には、いろんな名所もあります。
達磨大師と聖徳太子が酒を酌み交わした
「問答石」。



そしてこの石が達磨石で



この石が太子石



といわれていたりもします。

これが「薬師石」です。



目を閉じて近寄り、
両手で抱けば病気が治るという石で、
昔の絵にも出てくる石なんだそうです。

昔から霊験あらたかなんですが、
葬送される聖徳太子の
生前のころにはなかったんでしょうねえ。
ほかにも近年の名士の方々の
石碑なんかもありました。



あ、これは雪丸の記念碑かな。
どうもこの近くに埋葬されたようです。



達磨大師については、
これまで熊野古道の興禅寺でも
会いましたねえ。



あそこにいたでっかい達磨は
「平和達磨」といわれていましたねえ。

そこで達磨について調べてみると、
彼は中国の禅宗を開いた
インド人の僧といわれています。

壁に向かって9年間座禅をして
手足が腐り、あの達磨になった
などといわれていますねえ。

彼が日本に来たのは伝説だ
といわれていますが、
果たしてこの寺の下にあるお墓には、
本当に達磨大師が入っているのでしょうか。

まあ仏教なんかに関する昔の話の中には、
どう考えてもあり得ないことも
含まれていたりするのですが、
それらを含めて伝説は
宗教の奥深さを表して
いるのかもしれません。

聖徳太子とこんな縁のある人
だったかもしれないという伝説は、
太子が仏教を進めていこうとした
姿勢に対して、昔の人が
造りだした話かもしれませんが、
まあここではそういう話で
いいんですねえ。

現地現地でありがたく、
そういう話は心にとどめて
おかねばなりませんね。

まあ、この寺に来たおかげで
達磨大師が一気に身近に
やって来たような気がしますね。

さて、今回の歩くコースでは
達磨寺を裏の方から
入っていったようですね。



正門に回ると、立派な雪丸君が
置かれてあって、
犬の足跡も境内に向かっています。



おおなんとプランターの周りのプレートも
雪丸模様ですねえ。
活躍していますね。



今日歩こうとしている葬送のコースは
多分ここで国道168号を
棺をかついで渡っていったようです。

「月日は輝きを失い、
天地も崩れてしまったようだ。
これから先、だれを頼りに
すればいいだろうか」
と嘆き悲しみながら、
交通規制しつつわたっていったのでしょう。



そしてその国道を渡った場所の
先に今あるのが、王寺小学校です。

この小学校のある位置は、
実は王寺にとっては
とっても重要な位置なのです。

この小学校はもともとは
「法光寺」というお寺の敷地でした。
そのお寺はもともと「片岡王寺」と
称せられていました。
聖徳太子が建立したと称されるお寺、
もしくは百済の王で日本に帰化した
大原の博士が建立したともいわれるお寺です。

今歩いている「王寺町」というのは、
この古いお寺「片岡王寺」から
名前をとったものだそうですから、
王寺の根本の位置であるわけですね。

そちらへ入ってゆくと、
まずは「片岡神社」というのがあります。



背後が山のように盛り上がっているから



「片岡」なんでしょうねえ。
ちょっと中をのぞいてゆきましょう。

続く


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