活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

島原の乱と印刷遺産

2017-05-14 12:00:09 | 活版印刷のふるさと紀行
 5月11日の東京新聞朝刊に島原の乱(1637~38)で無人化した島原半島に現在の徳島県から多くの人が移住してきたことを示唆する文書が南島原市教育委員会が発見したと報道されていました。

 もともと私自身、島原の乱については無知でした。戦争中の小学校ではキリシタンの反乱だったと教えられていましたから、島原の乱の真因が領主松倉重政の圧政に苦しんだ百姓の蜂起とキリシタン迫害のふたつにあったと知ったのは成人してからでした。また、島原の乱が最近では天草島原の乱といわれるようになりましたが、江戸幕府の方針で天草領民の存在が小さく扱われていた歴史も知りました。
  
 さて、この乱の攻防の舞台になった原城についてはご存知の方が多いと思いますが、この原城のお隣が口之津、私が『活版印刷紀行』の取材で口之津町歴史資料館を訪ね、口之津が日本で最初に金属活字を使ったキリシタン版の印刷が行われた加津佐のすぐお隣なので、島原の乱より40年ちょっと前にすぎない1591年ごろの印刷遺物、せめて鉛の活字ぐらいは展示されているのではないかと期待を白石館長にぶつけて、「領民全員が原城に籠城、全員殺され、あとは四国から移住してきた人が住み着いたので無理です」といわれてしまいました。

 発見された文書によると移住してきた人にはかなりの知識人がいたとありました。移民のなかに印刷遺産を発見蒐集しておいてくれた人がいればかったのに。島原の乱の死者3万7千人の中には加津佐の印刷工房で働いていた古老もいたかも知れないなどなどと考えてしまいました。

 

 


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