昨日2007年10月4日、各紙の朝刊は、若桑みどりさんの大きな訃報で埋まっておりました。あまりに突然の逝去に驚き、どのように、弔意を表現したらいいのか、言葉を」知りません。どうぞ、やすらかに、お眠りください。
若桑さんが集英社からお出しになった『クァトロ・ラガッツィ』は、名著でした、大著でした、こんなときに、「賛歌」などというタイトルはお叱りを受けるかもしれませんが、私は本文中に自著をとりあげていただいたこともあって感激のあまり、何度も繰り返し拝読した次第です。そして、そのつど、大変な文献調査の上で史家らしい緻密さと正確さ、加えて、そこはかとないエスプリに「参った」の連発でした。
さて、少年使節の話になると、どうしてもヴァリニャーノということになりがちですが、もう一人、忘れてはならないのが、ディエゴ・メスキータ神父です。
メスキータはヴァリニャーノがインドにとどまってしまったあとを引き受けて
クアトロ・ラガッツィを率いて使節の旅を成功させました。
それだけではありません。おそらく、ドラードたちの「印刷修行」にもつきあったでしょうし、『マルチノの演説』の印刷・出版にも陰でかなり、力を貸していることは間違いありません。
若桑さんは、使節四人の中では千々石ミゲル、それとメスキータにも関心をお持ちでした。ミゲルのお墓のことでは、お手紙をもらいましたが、もっとお元気で、
かれらのことで健筆をふるって頂きたかったと思います。
若桑さんが集英社からお出しになった『クァトロ・ラガッツィ』は、名著でした、大著でした、こんなときに、「賛歌」などというタイトルはお叱りを受けるかもしれませんが、私は本文中に自著をとりあげていただいたこともあって感激のあまり、何度も繰り返し拝読した次第です。そして、そのつど、大変な文献調査の上で史家らしい緻密さと正確さ、加えて、そこはかとないエスプリに「参った」の連発でした。
さて、少年使節の話になると、どうしてもヴァリニャーノということになりがちですが、もう一人、忘れてはならないのが、ディエゴ・メスキータ神父です。
メスキータはヴァリニャーノがインドにとどまってしまったあとを引き受けて
クアトロ・ラガッツィを率いて使節の旅を成功させました。
それだけではありません。おそらく、ドラードたちの「印刷修行」にもつきあったでしょうし、『マルチノの演説』の印刷・出版にも陰でかなり、力を貸していることは間違いありません。
若桑さんは、使節四人の中では千々石ミゲル、それとメスキータにも関心をお持ちでした。ミゲルのお墓のことでは、お手紙をもらいましたが、もっとお元気で、
かれらのことで健筆をふるって頂きたかったと思います。