本木昌造といえば、つい、「おすわさん」を連想してしまいます。
理由は二つ、ひとつは彼が生まれたのが、長崎くんちで有名な諏訪神社のお膝もと、新大工町だったからであり、もう一つは、その「おすわさん」に本木昌造のつくった木製活字、いわゆる「種字」と呼ばれるものが3300本も収蔵されているからです。
種字は、蝋型電胎法で活字をつくるときに、欠かせないもので、昌造は上海美華書館のW・ガンブルに製作方法を習いました。
グーテンベルクたちヨーロッパでは、パンチ式母型で、あくまで、金属オンリーですから木製の種字は使いません。
もう、かれこれ10年ぐらいになりますが、㈱モリサワ会長の森澤嘉昭さんの呼びかけで、その「おすわさん」の種字をもとに、本木活字を復元するプロジェクトが組まれ、私も立ち上げのとき参加させてもらいました。
一口で復元といっても、史料調査・検証から始まって、種字の彫刻はもちろん、いまや消失してしまった蝋型電胎法で母型を再現することは並大抵なことではありません。
さいわい、数年がかりで、多くの方のご苦労で復元が実現し、印刷博物館で、その一部が展示されたり、『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』という関連書籍がNPO法人近代印刷活字文化保存会(長崎県印刷工業組合内)が出されたりしました。あれから、4年ほど経ちましたが、まだ、研究は続いているようです。
理由は二つ、ひとつは彼が生まれたのが、長崎くんちで有名な諏訪神社のお膝もと、新大工町だったからであり、もう一つは、その「おすわさん」に本木昌造のつくった木製活字、いわゆる「種字」と呼ばれるものが3300本も収蔵されているからです。
種字は、蝋型電胎法で活字をつくるときに、欠かせないもので、昌造は上海美華書館のW・ガンブルに製作方法を習いました。
グーテンベルクたちヨーロッパでは、パンチ式母型で、あくまで、金属オンリーですから木製の種字は使いません。
もう、かれこれ10年ぐらいになりますが、㈱モリサワ会長の森澤嘉昭さんの呼びかけで、その「おすわさん」の種字をもとに、本木活字を復元するプロジェクトが組まれ、私も立ち上げのとき参加させてもらいました。
一口で復元といっても、史料調査・検証から始まって、種字の彫刻はもちろん、いまや消失してしまった蝋型電胎法で母型を再現することは並大抵なことではありません。
さいわい、数年がかりで、多くの方のご苦労で復元が実現し、印刷博物館で、その一部が展示されたり、『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』という関連書籍がNPO法人近代印刷活字文化保存会(長崎県印刷工業組合内)が出されたりしました。あれから、4年ほど経ちましたが、まだ、研究は続いているようです。