しばらく、「活版印刷紀行」を中断してまことに申しわけありませんでした。
紀行先で中古のバスが路肩に乗り上げてしまいました。
なんとかお許しを頂いてのんびり走りだすことにいたします。
そもそも私が「活版印刷紀行」をはじめました動機は、消え去りゆく活版印刷へのノスタルジーも一つの理由でした。
おそらく私は活版印刷にふれた最後の世代だと思います。
駆け出し編集者になってすぐのころは、編集にタッチする雑誌・単行本すべてが活版でした。活字は号数活字とポイント活字の併用でした。小さな出版社では、編集者が自分で「割り付け」、つまり、ページレイアウトをするのですから、原稿の字数を数えて、活字尺と呼んでいたスチール製のスケールやデバイダーを使って
割り付けをすすめるのも仕事の一つでした。
その割り付けと原稿を印刷会社の営業の人に渡すと仕事は一段落で、あとは初校の出てくるのを待つまです。
そうはいっても、編集者の割り付けが下手だと、ページの中に原稿が収まらないで、こぼれた部分がはみ出して組まれていることがありますから、結構、神経を使ったものです。
紀行先で中古のバスが路肩に乗り上げてしまいました。
なんとかお許しを頂いてのんびり走りだすことにいたします。
そもそも私が「活版印刷紀行」をはじめました動機は、消え去りゆく活版印刷へのノスタルジーも一つの理由でした。
おそらく私は活版印刷にふれた最後の世代だと思います。
駆け出し編集者になってすぐのころは、編集にタッチする雑誌・単行本すべてが活版でした。活字は号数活字とポイント活字の併用でした。小さな出版社では、編集者が自分で「割り付け」、つまり、ページレイアウトをするのですから、原稿の字数を数えて、活字尺と呼んでいたスチール製のスケールやデバイダーを使って
割り付けをすすめるのも仕事の一つでした。
その割り付けと原稿を印刷会社の営業の人に渡すと仕事は一段落で、あとは初校の出てくるのを待つまです。
そうはいっても、編集者の割り付けが下手だと、ページの中に原稿が収まらないで、こぼれた部分がはみ出して組まれていることがありますから、結構、神経を使ったものです。