話はジョン万次郎が10年も世話になったフェアヘーブンのホイットフィールド船長の家が壊れそうになっているのを買い上げて、修復計画をたてられたのが聖路加の日野原院長であるところから、ふたたび福沢諭吉に戻っていきました。
水野館長は1872年(明治5)初編の『学問ノススメ』全17冊のページをくりながら
「私は天の上に人をつくらず…あの平等思想の根源も「人倫の大本は夫婦なり」の
一夫多妻や妾を廃する女性尊重思想もこの咸臨丸の船の中で、諭吉がジョン万次郎から学んだことが大きいのではないか」
と話されるのでした。
どうやら、「学問のススメ」の慶応の活字版とは?などとそちらの方ばかりを
追求するのではなく、こういった「見方や思考」も必要だと思わされたのでした。
たしかに万次郎が影響を与えたのは、福沢諭吉や勝海舟にとどまらず、中江兆民
坂本竜馬、板垣退助、岩崎弥太郎、渋沢栄一など枚挙に暇がありません。
もっと、クローズアップされて良いといえましょう。
ご研究の進むことを祈ります。
なお、万次郎の家、(ホイットフィールド船長の家)の写真は万次郎の出身地、土佐清水市によるものです。
水野館長は1872年(明治5)初編の『学問ノススメ』全17冊のページをくりながら
「私は天の上に人をつくらず…あの平等思想の根源も「人倫の大本は夫婦なり」の
一夫多妻や妾を廃する女性尊重思想もこの咸臨丸の船の中で、諭吉がジョン万次郎から学んだことが大きいのではないか」
と話されるのでした。
どうやら、「学問のススメ」の慶応の活字版とは?などとそちらの方ばかりを
追求するのではなく、こういった「見方や思考」も必要だと思わされたのでした。
たしかに万次郎が影響を与えたのは、福沢諭吉や勝海舟にとどまらず、中江兆民
坂本竜馬、板垣退助、岩崎弥太郎、渋沢栄一など枚挙に暇がありません。
もっと、クローズアップされて良いといえましょう。
ご研究の進むことを祈ります。
なお、万次郎の家、(ホイットフィールド船長の家)の写真は万次郎の出身地、土佐清水市によるものです。