活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

トキか コウノトリか いや、サギだ?

2012-05-24 09:53:40 | 活版印刷のふるさと紀行

 硬い話が続いたので、酒場での愚にもつかぬ話から。

 最初は今、話題のトキのことで、雛が無事に育つだろうかの懸念が主題でした。私はウチの庭のシラカシに山鳩が巣をつくるのを目にしていますが、TVで見るトキのような本格的な樹上営巣は見たことがありません。ところが、兵庫県出身の彼はこどものころから高い電柱や木の上の巣はよく目にした、あれはトキではなくてコウノトリだったろうというのです。

 上の写真を見てください。これはスペインのレオンだったかアストルガだったかで撮りまし」た。ちょっとわかりにくいかも知れませんが、中央の四角い塔の上に鳥の巣があります。ガイドさんは「コウノトリよ」というのですが私には信じられませんでした。といいますのは、コウノトリといえば白いはず。そこで目にした鳥は黒っぽいツルみたいな体型でしかもグアグア鳴いていたのです。その話を披露しました。「コウノトリは鳴かんからねー」、「やっぱり」。

 別の彼が口をはさみました。「青サギというのがいたはず。樹の上に巣をつくるし、グアッと鳴くぜ」 たしかに糞害からコウノトリほど愛される鳥ではなかったはずです。「赤ん坊を運んでくるのはコウノトリだっけ?」 「オレが知るはずないじゃないか。こどもがいないんだもの」

「おっと失礼、本当はコウノトリじゃなくてシュバシコウだと聞いたことがある」だれかが口をはさみました。「サギなら知ってるけど、シュバシコウなんて初耳だよ」、「高い塔に巣をつくるよ」「羽の色は?」 「シュバシは朱嘴とかくからくちばしは朱だよ」 「なにぃ、くちばし、そんな字、知らないよ」 トキはどこかへ飛んで行き、最後は箸袋に文字を書いたり、消したり、おまけにコウノトリを漢字で書けた人はいませんでした。その代り、ますます、お酒だけ進みました。

 

 

 

 

 

 

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もっと知ろう シルクスクリーン印刷

2012-05-23 23:21:47 | 活版印刷のふるさと紀行

 熊沢印刷工芸の展覧会の紹介をしてから1ヶ月近く経ちました。シルクスクリーンといいますとややアナログ感がないでもありませんが、「どうして、どうして最近は多様化する印刷インキとのコラボで思いがけない印刷の世界を展開しているよ」という意見がたくさん出て、企画されたのがきょうの神田川大曲塾の印刷文化研究会でした。

 とにかく、見て、聞いて、さわってがいちばんと見学に押しかけたのが東洋インキ川口センター内の東洋FPP株式会社。グラビア製版、フレキソ製版、スクリーン印刷とデザイン制作・軟包装材のオンデマンド印刷を事業の柱にしている会社ですが、きょうは「スクリーン印刷」を学習させてもらうこととしました。

 多様なスクリーン印刷をわかりやすい分類で4つにわけて説明されたのが印象的でした。ちょっと煩雑になりますが、①見て感じるもの:厚盛り印刷・艶出し印刷・リオトーン印刷・ちぢみ印見 ②光で見えるもの:ラメ印刷・蓄光印刷・パール印刷 ③触りたくなるもの;発泡印刷・フロッキー印刷・示温印刷・香料印刷・点字印刷 ④かきたくなるもの:サインパネル印刷・スクラッチ印刷という具合で代表的なテクニックを使用事例で説明されました。

 たとえばカレンダーの雪景色。触りたくなるフロッキー印刷で敷石の間の土の上に積もった雪がもりあがっていて、雪のザラザラ感も手に伝わってきます。後ろの植木に積もった雪の結晶のツブツブ感もいかにもそれらしく印刷されているのです。

 これらの変わり印刷は以前からありましたが、高精細化の進展やUVインキの高品質化でスクリーン印刷が非常に広範囲の産業ニーズに応えるようになっているのです。

 

 

 

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印刷の歴史は活字の変遷

2012-05-22 12:29:23 | 活版印刷のふるさと紀行

 活字の話が続いて恐縮ですが印刷図書館クラブの定例会で東海大学名誉教授高橋恭介さん(写真)からうかがった「活字の遷り変わり」の話を受け売りで紹介しましょう。

 高橋さんは印刷の歴史は文字印刷の流れをとらえることだとおっしゃいます。つまり、印刷の歴史の主人公は「活字」、英文表記でいうならMovable Typeであり、とくに漢字活字のルーツと文字組版について話されました。

 漢字活字のルーツとして高橋さんは中国宋代の陶活字を発明した畢昇や元の時代に彫刻木活字を開発した王禎に注目されていますが、私が興味ぶかかったのは、それに関連して、「活字」とか「印刷」ということばの起源についての話でした。

 11世紀後半に沈括という人が陶活字について書いた『夢渓筆談』に「活板」とか「印刷」という文字が出ているそうですし、13世紀前半の銅鋳造時代の書物には「鋳字」とか「印」という文字が出てくるそうです。しかし、「印刷」も「活字」という語は登場していないといいます。1314年に王禎が書いた本のタイトル『造活字印書法』から、高橋さんはひょっとして「活字」はこの辺がルーツかと考えておられるようですが、「印刷」ということばはいつ、誰がいいだしたのでしょうか。

 脱線、お許しください。話を戻して、陶活字や木活字の次に現れたのがグーテンベルクの鉛活字で、この鉛活字による文字組版の技術に代わる新技術はその後450年現れなかったという高橋さんのお話は、光学母型としての写真植字機、そして次のデジタル母型としてのワープロの登場に及び、やがては文字・画像の統合されたデジタルコンテンツの電子本まで活字の変遷から知る印刷の歴史の流れで明解で、ぜひ、こんど神田川大曲塾でレクチュアーしていただきたいものです。

 

 

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国の後押しがほしい「活字文化」

2012-05-21 17:44:41 | 活版印刷のふるさと紀行

 きのうBSTBSで偶然、「活字印刷の岐路」という番組を見ました。これも偶然でしたが、私が前々回、このブログの『ルリユールは製本工芸の粋』で触れました名古屋活版地金精錬所の鈴木宗夫さんが登場する番組でした。

 あのとき羽田野麻吏さんがおっしゃっていた通り、日本の活版印刷の衰退が招いている「活字の消滅」が番組テーマで、日本全国でただ一人鉛活字の鋳造で頑張っている鈴木さんが、もはや仕事として採算がとれないと廃業を考えているのは大変なことだ書籍装丁のの箔押しをしている方も出て将来を案じておられました。

 私は思うのですが、活版活字本が電子書籍に代わっていくのは時代の流れです。しかし、このまま活版印刷の技術者がとだえ、日本文字の活字鋳造が消滅していくのにまかせていいものでしょうか。現状のままですと、ひらがなやかたかな、漢字の活字を母型製作から手がけること技術は無くなって再生はできなくなります。

 私はかつて1590年代に日本に金属活字をつかって印刷をする技術を持ち込んだドラードたちの国字鋳造の苦闘を調べました。また、本木昌造たち明治の先人たちの活字製造の苦労も学びました。本の装丁と活字の問題も重要ですが、活字組版による情報伝達の印刷文化をここで我が国が切り捨ててしまってよいものでしょうか。

 国が電子書籍の発展を後押しするなら、活版印刷にかかわる技術保存をもそれ以上に後押しすべきです。また、印刷業界全体でできれば、アーカイブではなく活版印刷の全工程を「動態保存」すべきです。それが文化ではないでしょうか。

 

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 山本隆太郎さんを偲ぶ会 報告

2012-05-20 15:35:01 | 活版印刷のふるさと紀行

 きょう、神楽坂の出版クラブで行われた『山本隆太郎さんを偲ぶ会』は私も発起人といいますか、世話人のひとりでしたので無事に終わったいま、特別な感慨をおぼえております。

 お忙しい中ご参加くださった皆様、実際に舞台裏で準備に力を尽くしてくださった印刷学会出版部や印刷博物館のみなさまに心から感謝しております。ありがとうございました。

 山本さんは千葉大で「印刷」を専攻され、長年、『印刷雑誌』を主宰して来られました。百科事典の「印刷」の項目を執筆されていることでもわかるように、印刷界きっての学識であられ著書も多く、叙勲や野間賞はじめ数々の栄誉にかがやいておられます。戦争末期には海軍で特攻機を整備、口惜しい思いで送り出す士官で、いわば戦中派の最後の年代でした。

 私は1978年、昭和53年から公私ともにお世話になりましたから30年以上のお付き合いでした。偲ぶ会で参会者のみなさんにご挨拶することになっていましたので、胸ポケットに30年前に山本さんから頂いた手紙をしのばせて出席しました。山本さんは天正遣欧少年使節とキリシタン版にふれて日本の活版印刷のはじまりについて書いておられました。

 ですから、後年、私がキリシタン版印刷の地、島原・天草の取材先から電話を入れましたらたいへん上機嫌で、「紀行文を書いたらすぐ『印刷雑誌』に載せる」とおっしゃって、2年にわたり連載してくださってのちに『活版印刷紀行』として単行本にもまとめてくださいました。

 博学で多趣味、人を応援することをいとわない人でした。きょうの会は印刷界関連の人ばかりですから、自然、話題は山本隆太郎さんにサポートされた思い出をこもごも語る文字通り偲ぶ会になって、ご親族も喜んでおられました。

 写真の女性のイラストは山本さんのスケッチからとって参加礼状に添えたものです。

 

 

 

 

 

 

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DNPペンギンのデビュー

2012-05-17 09:12:20 | 活版印刷のふるさと紀行

 5月14日の朝、日本経済新聞を開いたら、大日本印刷、DNPの1ページ広告がデーンと載っていて、一瞬、わが目を疑いました。前の日にこの新聞広告と同じDNPenguinが登場するテレビコマーシャルを見た話を聞いてはいたものの、半信半疑でしたから。

 印刷会社の商売相手は「企業」だ、注文を受けてはじめて動き出す「受注産業」だ、どちらかというとおもてにしゃしゃり出てはいけない「黒子ビジネス」だ、広告なんて必要ないというのが長い間、業界の定説でした。ペンギン君がその殻を破ろうというのでしょうか。

広告を見ますと、 はじめまして、DNPenguinです。ごていねいに、ディ エヌ ペンギンとルビつきでDNPのコスチュームをつけたペンギン君がこれからDNP大日本のやっていることをわかりやすく伝えるといっています。ですからこれからたびたび紙面に登場するのでしょうか。

 去る3月18日、私はこの欄で「社名から《印刷》を消すののはいつか?と書きました。大日本印刷や凸版印刷の昨今の事業展開は「印刷」では説明しきれません。さりとて、いきなり、「印刷」をはずすわけにはいきません。それと、世間様にはまだまだ、印刷会社はインキまみれで紙に印刷しているだけの地味で暗いイメージの会社という認識が結構、残っています。

「そうじゃないんです」。大日本印刷はDNPです。こんな事業を手がけております。と、ペンギン君に少しずつつぶやいてもらう戦略でしょうか。

とにかく、大きな転換の第一歩と受け止めて、はやりの「がんばろう」と「いいね」をおくることにします。


 

 

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ルリユールは製本工芸の粋

2012-05-16 15:42:49 | 活版印刷のふるさと紀行

 桜が終わったあとの雨に煙る千鳥ヶ淵の青葉は美しい。九段下から会場のギャラリー「冊」へゆっくり歩いたのでした。本日の神田川大曲塾印刷文化研究会は製本工芸の粋ともいうべき「ルリユール」がテーマ。
 たまたま、「冊」で開催されている『ルリユール、書物への偏愛』Les fragments de Mの会場でこのレ・フラグマン・ドゥ・エムの羽田野麻吏・市田文子・平まどか・中村美奈子の作家から講義を受け、制作実演を見せていただこうという企画でした。

 ルリユールというと、すぐに栃折久美子さんを思い浮かべますが、もともとはヨーロッパ生まれの伝統的な製本工芸で、栃折さんの活躍もあって日本でもルリユール製本を学ぶ人や愛好家の数がかなり多いようです。といっても愛書家が自分だけの本を自分の好みで作家の先生に依頼して贅沢な素材を加工して特製本につくりあげるのが普通ですからだれでもオイソレとはいきません。

 この企画展は6月9日までですから仔牛皮や羊皮紙、鮫皮、竹や木材、貝、布などあらゆる素材を使って本の内容にマッチした美しく、繊細で、精緻な製本の出来あがりを見ていただくことにして、研究会で私の印象に強く残ったことを記すことにします。

 まず、第一は活版印刷の退潮が日本のルリユールに大きな影をおとしているという話。たとえば革の本の背に書名の文字を金箔押しするとします。大量に製本する場合ならば真鍮などで特注することも出来ましょうが、1冊だけの場合は活字を使うのが便利です。ところが、いまは、書体や大きさを指定して希望の活字を手に入れるのが難しいのです。「鈴木宗夫さんの経営しておられる名古屋活版地金精錬所なら活字のストックも多いし、ベントン式彫刻機を使って母型製作から活字の製造までしてもらえるのでお願いしていますが、活版不況で廃業されてはと心配です」と羽田野さん。

 また、中村美奈子さんに見せていただいた箔押しの手作業には目を奪われれました。バーナーで熱した真鍮製の道具をふりかざして、足を踏ん張り、息をつめてまっすぐに、均一な力で飾り罫の箔を皮革につけて行くのは大変でした。それに息がふりかかるだけで薄い金箔が飛んでしまうので、神経を張りつめねばなりません。「もうちょっと体力がほしいと思われたでしょう」といったら中村さん「たしかにヨーロッパでは男性の仕事になっています」と。


 

 





 

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あのころ、いま、これから…鮫島純子さんの本 2

2012-05-12 00:18:41 | 活版印刷のふるさと紀行

 『あのころ、いま、これから…』を読んで、がぜん鮫島さんの本づくりに関心を覚えた私は『忘れないで季節のしきたり日本の心』と『子育て、よかったこと、残したいもの』の2冊を夢中で読みました。『毎日が、いきいき、すこやか』というのも出ているようですが手に入りませんでした。

 とにかく絵が暖かいのです。当然、ほとんどのカットに人物が描かれているのですが、いきいきと笑顔いっぱいの明るい表情ばかりです。そして、かつては市井のどこにでもあった光景が軽妙なタッチの文章とともに読者を惹きつけるのです。

 うまくいえませんが、何度も耳にしていながら毎回、新鮮で懐かしいラテンナンバーを聴いているときに似た気持ちになりました。そこで、鮫島さんの執筆動機を探りたくなりました。

 それはすぐわかりました。病床にあられたご主人に絵手紙ならぬスケッチを見せて、それから会話がはずんだ。友人にカラーコピーした絵を渡したら、お孫さんとの話のきっかけづくりができた。こうしたことから「これなら本にしても」と思われたかどうか。

 ご主人の退職後に水墨画を先生について勉強されたとありますが、どうしてどうして天賦の才が色濃く出ています。書名の一語、一語に句読点を効かせたコピ-ライター的センス、B5横サイズという判型も新鮮でいい。ただ、『忘れないで…』だけは句読点が忘れられたようですが私が編集者だったらつけたのになあ。

 最後に鮫島さん、調べたところによりますと、かの渋沢栄一さんのお孫さんで、岩倉具視さんとも縁続き、母上は岡山の池田家のご出身、それにしては下々の事情に通じておられ、子どもの遊び一つを例にとっても実にいろいろご存知で驚くばかりです。今年、90歳、お元気だろうかと心配したら、この6月に国際仏教学大学院大学の特別講演会「川慶喜と渋沢栄一」の予告を文京区の情報誌で発見しました。

             、

 

 

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あのころ、いま、これから…鮫島純子さんの本 1

2012-05-11 11:26:29 | 活版印刷のふるさと紀行

 おもしろい本に出会いました。著者の鮫島純子さんは存じ上げませんが、1922(大正11)生まれとありますから、たしかに日本のあのころを思い出し、いまを見つめ、これからを憂うにはぴったりの人生の大先輩です。

 この本を棚に並べるときおそらく「どのコーナーにしようか」と書店の係員さんは迷ったとおもいます。「絵本かな?」、「児童書かな?」、「育児書かな?」 私にはそこも魅力でした。押し付けがましさなんか微塵もなくて、おもしろくて、達者な絵で知らず知らずに昔の暮らしから今の生活を考えさせてくれるのです。

 たとえば、昔の主婦が背中に子供をくくりつけて、寒くて暗い土間でかまどに火吹き竹で火をおこしている絵、隣りには彼女が井戸から汲み上げて運んだ水の入った水がめが書き込まれていますし、鰹節削りのショットもあります。おそらく明治・大正・昭和のある時期までの日本の家庭の朝の風景、匂いも、音も、温度さえ伝わって来ます。その横に今のオートマチックだらけのキッチンが書き添えられています。

 この本を囲んで親子3代、あるいは2代が話に花を咲かせている光景、あるいは、「そうだった、そうだった」と昔を懐かしみながら絵に見入っている年配者が目に浮かぶような気がする本です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お江戸のトップ、鉄砲洲の神輿巡幸

2012-05-05 09:34:18 | 活版印刷のふるさと紀行

 雨の中、湊1丁目の鉄砲洲稲荷神社につぎつぎと巡幸からもどってきて宮入りする神輿(みこし)に見入っていました。明石町、入船1丁目、入船2丁目、町ごとに形も色も大きさも違う神輿が鳥居をくぐって社殿の前でピーヒョロ、ピーヒョロの笛の音とともにワッショイ、ワッショイと揉んで、終わると宮司さんからお祓いを受けて散っていくのです。

 「毎年、鉄砲洲こそお江戸でトップを切っての例大祭です」 規模では神田や富岡に遅れをとるかもしれませんが、年が明けて最初の祭りは土地っ子の自慢です。

 降りしきる雨の中、町ごとの神輿の宮入りを見続けるのは大変です。 誘われて宮元の控えの場で休憩することにしました。「宮元」とは鉄砲洲稲荷神社の地元の町の代名詞で、宮入りの順番は最後です。総代さんはじめ地元のお偉方が待っておられる中で、よそ者の私は少々肩身せまくごちそうになっていました。

 宮元の祭り衣裳の色は渋い鼠色、背には「鐡」と染め抜かれています。中に「鉄」というのもありましたが、旧字体の方がかっこうよく思われました。驚いたのはその場に酔っぱらって声高に話している人がひとりもいないことでした。いなせな格好に似わわない穏やかさは神輿を担ぐ人にも、観衆にも共通していました。御鎮座千百七十年の重み?でしょうか。

 やがて彼らの宮入りの時間になりました。なんと不思議、雨がやみ、日差しがもれはじめたのです。

 お囃子のスタッフを乗せた車に先導されて宮元の神輿が境内に入って行きます。            ワッショイ、ワッショイではなくて、「オウィ、オウィ」で神輿が揉まれます。神輿が大きいのでワッショイだと力が入れにくいとか。                                           神田や富岡八幡の本祭りが待ち遠しくなりました。

 

 

 

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