活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

名古屋の水族館

2013-03-31 11:21:52 | 活版印刷のふるさと紀行

 花冷えとか花曇りとは良くいったものです。 名古屋滞在19日目、ようやくご当地桜も満開ですが天気の冴えないのが気にいりません。 昨年、新城や岡崎、犬山、岩倉の花見をこのブログで紹介したのは4月の2週でしたから今年は早いことになります。

  きょう目指すは地下鉄名港線の名古屋港。

  さて、名古屋港で地上に出たものの水族館やレジャーランドのある町の雰囲気は皆無、なんの変哲もない町並みにがっかり、もし、子どもだったら遊びに来た高揚感がそがれそう。気をとりなおして 地味な標識にしたがって歩き出し、インフォメーションを見つけてホッとしました。けれども施設の案内リーフレットを目の前に積んで制服姿の美しいガイド嬢は小さなガラス小窓の奥、これでは手が届かないではありませんか。

 冗談はさておいて、そこから水族館までのアプローチのながいこと。途中に一色のエビせんべいを山と積んだエビせん館?があるのにも驚かされました。そしてようやく名古屋港を一望出来る地点に到着。まず目に入ったのが船体をオレンジに塗って繋留されている南極観測船「ふじ」。そういえば水族館の南館にもペンギンたちのいる「南極の海」がありました。到着するまでは悪口をいいましたが、 名古屋港水族館は海洋哺乳動物を主体にした北館ではメインプールでダイナミックな動きで楽しませるイルカやシャチに歓声をあげるもよし、南館で赤道の海やオーストラリア珍らしい海辺の生き物に目をテンにするのも結構です。

 私は日本の海で群泳するマイワシに感動しました。 大阪の海遊館には負けるけれど規模や見せ方で旭山動物園にはヒケはとらないとみました。ところで、手元にパソコンがないのでこのところ使い慣れないi-pad2でブログを書いています。画像を掲載するワザをしりませんので後日写真はお見せしますし、字配りも訂正しますのでお許しください。

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鮮やかに生きるとは

2013-03-30 21:45:07 | 活版印刷のふるさと紀行

 前回の文藝春秋の「鮮やかに生きた昭和の100人」を投稿したあと、私ははたして「鮮やかに生きる」とはどういうことだろうと考えこんでしまいました。

 表紙に「頬を染め胸を張っていた輝ける人たちを見よ!とあります。さらに石原裕次郎、市川雷蔵、力道山から美空ひばり、吉本隆明、長谷川町子、司馬遼太郎までとあります。これでなんとなく編集者の昭和の100人を選んだモノサシがわかるような気しますがちょっと反論もしたくなります。

 もし、鮮やかに生きたのが一時期スポットラ イトを浴びたことを指すのならばわかりますが、人生には疑問や不安やときには汚蓐、恥蓐、あるいは自虐には近い懊悩の日々がだれにでもあるはずです。ましてや自分の主義主張を生涯かけて貫くことなぞ至難のわざです。試みに、この別冊に選ばれた100人に黄泉からお帰りいただいて「あなたは鮮やかに生きた実感がありますか」と質問したらノンという答えばかりが帰ってくるのではないでしようか。

 鮮やかに生きるのは至難のわざ、だれしも踏みつけられ、叩き潰された日があるはずです。 まあいいか。話題を変えて、この別冊の奥付にプリンテイングディレクターの記載 があって嬉しかった。

 4月中旬に電子版が出るそうですが、ディレクターは同一の方か氣になります。

活字版と電子版を印刷会社がどれだけ鮮やかに区分けするか見たいものです.

         

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文藝春秋の昭和の100人

2013-03-29 16:18:30 | 活版印刷のふるさと紀行

 文藝春秋から出た『鮮やかに生きた昭和の100人(90周年記念5月臨時増刊号)を読んだ、

いや、見たといったほうが正確かも知れません。

 実はこのところ文藝春秋本誌は敬遠気味で毎月手にすることのないムラっけ読者ですが。 理由は頑として変わらないサイズとびっしり感のある活字づかいにありますが、これはあくまで個人的理由です。 その私が「昭和の100人」に手を伸ばし、ついつい一気に全ページを繰ったのは「昭和」に惹かれたからだと思います。

 ここへ来て昭和の回顧がしきりです。平成も25年、当然といえば当然でしょうが、まだまだ昨日のように思っている人も多いはずです。かくいう私もその一人ですが。 その意味では100人の中には柏戸 剛や夏目雅子、池内淳子のようにまだこの間まで同じ空気を吸っていたように思える人が少なからずいます。100人のなかで私が直接、クチをきいたことのある方は本当に数人しか数えることができませんでした。水原茂、今東光、土門拳,棟方志功,森繁久彌,高峰秀子,花森安治、山本夏彦さんであろうか。

 山本夏彦さんの辛辣なものいいに返事に窮した思い出、そうそう、予想と違って水原茂さんはサービス精神旺盛で優しい人でした。 ところで100人の人選は難しかったろうなと思います。「鮮やかに生きた」にウエイトがかかっているのでしょうが同じ女優さんでも あの人の方がと思う人もいないわけではありません。 お叱り覚悟でいうとししたら私のような軍国少年ナレノハテは、せめて山本五十六を一人いれてほしかった。あれも昭和、彼も鮮やかに生きて死んだ人のはずです。

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ひつまぶしは名古屋

2013-03-28 11:33:08 | 活版印刷のふるさと紀行

 あんかけスパの次はひつまぶし。 これにも思い出がある。

 名古屋在勤時代、私に輪をかけた「うなぎ派」がいました。着任そうそう彼に連れて行かれたのが栄の名店Iでした。それを手始めにふたりで三日あげずに通ったものです。その彼が胃潰瘍で入院したとき、「君が鰻屋ばかり行きたがるからな」と責任転嫁されたときは参りました。

  さて、今回はIではなく、通りかかったSという店に飛び込んでみました。サラリーマンの昼食タイムはとうに過ぎていましたが、おどろいたことに女性のひとり客が次々に現れ「櫃まぶし」を注文するではありませんか。安い方で2千円、高い方では4千円もするのに、いとも日常的に。

  さて、ここでひさしぶりに名古屋のひつまぶしに対面。 まず、色がいい。うなぎを蒸すのではなく、備長炭でじつくり焼いているから焦げ色の細かく刻んだうなぎが整然と並んでいるのはかき混ぜるのが勿体無い感じ。 定法通り、最初のいっぱいはそのままで味あう。タレの味が奥深い。二杯めは小鉢について来たワサビ、のり、ねぎを加えて、また、プラスアルファの味を楽しみました。 そして三杯め、私の合図でアツアツの出汁が運ばれてくるのでお茶漬けで。この辺までくると、まさにひつまぶしの醍醐味、「うな重」とは違った旨さの虜にされてしまのです。

  ひつまぶしの発祥の地は名古屋で決まりでしょうが、櫃まぶしというネーミングには諸説があるようです。私が幼い頃までは炊き上がったご飯はどこの家でも「お櫃」に移したものです。そのお櫃にうなぎのかば焼きをこまかく刻んで入れて、まぶすところというのが自然だと思うのですがいかがでしょうか。 関東ふうのうなぎを蒸した「うな重」もべつの旨さですきですが、 ひつまぶしとなると、やはり焼きうなぎの食感の方に軍配をあげたくなります。

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あんかけスパゲッティ

2013-03-27 07:35:57 | 活版印刷のふるさと紀行

 何年ぶりかに名古屋に長期滞在する以上旨いものが食べたい、それは食いしん坊の私にとっての当然の欲求。 さわさりとて、私は今、流行りのグルメ にあらず単なる食いしん坊であることを再度お断りして。 ところが不思議なもので新規開拓とはいかずに、ついつい記憶の泉をたどってしまうのです。

 まず浮かんだのが「あんかけスパゲッティ」、かつてこの街で働いていた頃はちょうどあんかけスパゲッティの萌芽期だったと思うのです。目玉焼きの上に太いスパがのっかっていて、それにトマト味のえもいわれぬ濃厚なソースがかかっていました。東京にはない味で会社に近いこともあって錦のYという店によく通ったものです。 そのYではありませんが飛び込んんだのはその名も「あんかけ」というズバリの店。メニューを見て驚いたのはその種類の多いことでした。 どうやらトッピングによって20種類以上あるようです。

 ここであんかけスパゲッティを知らない方のために、もうちょっと説明しますと、私がその日選んだトッピングはエッグベーコン、 ウエータにソースは辛目か甘めか聞かれ、麺は太麺か平麺かを聞かれました。タバスコで調整すればいいと辛いのはやめ、太麺を選択、まつことしばし、目の前にドンと出されたのが今や名古屋名物あんかけスパゲッティでありました。

 ソースの色と香りが「早く召し上がれ」と催促してくれているようにうまそうです。何種類もの野菜を長時間煮たソースはトマトベースでしょうが濃厚でいて柔らかで深みのあるデリケートなすばらしい味でした。 そのソースが軽く炒めた太麺にたつぷりからんでいる上に自家製であろう歯ごたえのしっかりあるベーコンと半熟焼きのエッグをかき混ぜて口へ運べば「ウマイ」と思わず口走りそうでありました。

 そしてお隣のこれも中京圏では有名なコメダ珈琲店のブレンドで止めを刺したのでありました。「ハワイにもあるでよう」といわれそうですが。  

名古屋にいるうちに追い追い各種トッピングをためしてみましょう。

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科学甲子園って

2013-03-26 10:29:23 | 活版印刷のふるさと紀行

  3月12日から名古屋に滞在しています。

 今日で2週間。私にとって名古屋は故郷に近い親しい存在です。第一の理由は生れ故郷が名古屋のお隣、岡崎であること、第二の理由が1970年代の終わりに転勤で5年この街で生活したこと、第3の理由は兄弟姉妹、親類縁者がこの地に多いことです。ですから新聞やテレビニュースをみていても身近感が強いのは当然です。

 昨日も朝刊の片隅に「科学甲子園」という見出しをみつけました。というよりもそのあとに続く岡崎高が目に入ったからでした。 なんでも全国の高校生が科学の知識や技能を競う「科学の甲子園全国大会」なるものがあってそれにわが母校、県立岡崎高校が灘高や筑波大付属駒場高校をおさえて優勝したというのです。まあ、先輩の端くれとしては「おめでとう」と言わざる得ませんが、なんとなく隔世の感しきりです。

 それにこれは授業を抜け出て印刷所に同人誌の校正に行ったり、運動場の陰で太宰治や織田作之助論をカンカンガクガクやっていた文傾?科学音痴だった.私には想像もつかない話なのです。また、歳月は緑の少なかった名古屋の街をこんなに緑の多い街にしていました。

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これぞ永井一正さんの世界

2013-03-10 14:01:02 | 活版印刷のふるさと紀行

 3月6日にギンザ・グラフィック・ギャラリーで永井一正ポスター展LIFEオープニングにおじゃまして大変な感銘を受けました。

 まず、ギャラリーの一階に足を踏み入れた瞬間、展示されているいきものが四囲の壁面から迫ってくるのです。バックライトに浮き上がるいきものたちの視線が、鼓動が、鳴き声までがこちらに肉迫してくるような異空間を感じるのです。

 独特な精緻な銅版画タッチのもたらす呼吸感もあるでしょうが、私には永井さんの生きとし生けるものへの生命への讃歌、愛情がぐいぐい伝わって来ました

 たしかに永井一正さんはグラフィックデザイン界の長老かもしれません。しかし、ひょっとしたらいちばん若さに溢れておられるかもしrません。とかく人が規定したがるデザインだ、ポスターだという領域を超えて人の心を打つ、魂に語りかけてくる永井作品の本質に畏敬さえ覚えました。ぜひ、ひとりでも多くの方に見ていただきたいものです。

 ひとつだけ残念なのは、永井さんと共に日本デザインセンターの設立に携わり、最高顧問をしていた今は亡きわが友梶 裕輔とこのLIFE展を肴に飲めなかったことです。

 

 

 

 

 

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