活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

紙メディアの効用

2014-01-30 14:20:29 | 活版印刷のふるさと紀行
 今朝の朝刊一面トップが経済紙を除いて「万能細胞」の作製成功をとりあげていることはちょっといい気分でした。別に理化学研究所やニュースの主人公、小保方晴子さんとおつきあいがあるわけではありませんが、こういった政治や経済とは無関係な科学記事がトップになったことは山中教授のiPS以来ですし、なにか将来に燭光を感じる点で明るい気分にさせられました。

 それにしても昨晩遅くのテレビのニュース番組でこの万能細胞のニュースを解説図入りで見たのによく理解できなかった私が新聞では比較的スンナリと内容を呑みこめたことは「やっぱり」でした。ことわっておかねばなりませんが私は理科系が苦手の大の文系人間です。それは
あるでしょうが、新聞・雑誌など紙メディア、活字メディアの方が情報の理解の深度の点で映像メディアより優れているように思えてなりません。

 どちらかというとペーパーレス社会の到来なんか信じたくない方ですが、電子書籍などを考えるとあれも活字メディアじゃないかと反論されそうで腰砕けになりそうです。しかし、今朝の新聞体験ひとつを例にしても当分の間、紙メディアの効用を主張しつづけたいのです。どなたか、賛同者はいらっしゃいますか。
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見つかったキリシタン史料に思う

2014-01-28 10:12:52 | 活版印刷のふるさと紀行
 2,3日前の日経朝刊の文化欄に「キリシタン禁圧大量の史料」という見出しで江戸初期から幕末までの日本のキリシタン取締りの史料がバチカン図書館で大量に見つかった話が掲載されていました。

 昭和の初年から戦後の50年代まで大分で布教していたイタリア人神父が収集した臼杵藩がらみの1万点にも及ぶ文書だということで、この4月から日本とイタリアの共同調査が始まるというのです。

 日本最初の金属活字の印刷「キリシタン版」はキリシタン禁圧の高まり以前で姿を消しておりますからおそらく時期的には見つかった史料はそれより50年近くあとのものだと思われますがどんなものでしょうか。

 ただ、私が興味を覚えるのは文書の多くが臼杵と関連しているらしい点です。臼杵というと石仏を連想する人が多いかもしれませんが、私はすぐにキリシタン大名大友宗麟と日本に活版印刷の持ち込みを企画したイエズス会のアレサンドロ・ヴァリニャーノのことを考えます。

 ヴァリニャーノは同じ九州のキリシタン大名の大村純忠や有馬晴信からも協力を受けていますが、いちばん距離が近かったのが大友宗麟だったと思います。ヴァリニャーノが布教計画を相談し、宗麟は他に先駆けて、宣教師養成のためのノビシャード(修練院)を臼杵に、コレジヨ(大神学校)を府内に建てることを許しました。また、天正少年使節の派遣直前にも臼杵に長逗留していますし、信長の謁見も宗麟の斡旋によるものと思われます。

 日・伊共同調査が終わるとインターネットで史料が公開されるとありました。私はもし、キリシタン版が没収されたり、所持者が検束されたりするような文書が出てくるようなことがあったら日本の出版や印刷の歴史にとって有効だと思うのですが。写真は臼杵の史料館にあった南蛮船の模型です。
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『銀座百点』とウエスト

2014-01-26 17:52:15 | 活版印刷のふるさと紀行
 人間、気の向くまま、行動してしまう日があるものです。今日がそんな日でした。歯科医院を出て市ヶ谷の大日本印刷の工事現場を抜けてみました。おそらくあと、4~5年もしたらこの大がかりな再開発で加賀町の一角に昔の印刷工場の面影を見ることはできなくなるでしょう。

 駅前から都バスで新橋へ。私が一番好きな路線です。さすがに国会周辺も冬枯れの木立ちだけが目立ってさみしい感じでした。それよりも震動で車内を転がって音をたてるジュースの空き缶を捨てた人が気になって仕方がありませんでした。


 昼過ぎでしたが、まっすぐ天ぷらの「天国」をめざしました。サラッとした関西風よりも濃厚な江戸風が私の好み、とくにかき揚げに目がありません。勘定のときもらった『銀座百点』を握りしめたまま電通通りに移ってなにげなく通り過ぎようとした「ウエスト」の前で足がとまました。休日のせいか店の前に行列が出来ているではありませんか。

 ためらっていると中からウエイトレスさんが出て来て「お一人の方」というので並んでいる多くの人の視線を感じながら店内に吸い込まれてしまいました。
 ひさしぶりです。何十年ぶりです。昔、よく、アヴェックで(古いなあ)来たころとはすっかり変わった状景が目に飛び込んできました。あのころ白いピアノがありました。ありません。椅子席がびっしり並んだ豪華な喫茶店そのもの、店内に流れるベートベンやモッツアルトやショパンの最良質のステレオ音に聴き入っていた状景は今や幻です。ときどきそれらしきクラシックの音楽が切れ切れに聞こえますが、お客さんの会話で消し去れてしまいます。
 
 「あった」、昔と同じ白っぽい表紙の2つ折りのリーフレットを見つけて喜んだのですが、週ごとの演奏曲目が載っていた当時のものとは違いました。あのころはアート紙に圧のきいた活版刷りだったなと思い出しました。

 そして『銀座百点』を手にしました。こちらもご無沙汰ですが、あまり「おかわり」はないように見受けました。女性編集スタッフの方々と出張校正室でよく隣りあったものですが、おそらく今はかなりメンバー交代がされたでしょうと、これも思い出しました。そんなひとときを過ごして外に出たら都知事選の喧噪が渦をまいておりました。
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勝井三雄展 兆しのデザイン

2014-01-20 16:03:29 | 活版印刷のふるさと紀行
 ギンザ・グラフィック・ギヤラリーの1月展勝井三雄展は出色です。どうぞ、足を運んでください。
 きょうは大寒、けれどもちょっと熱くなること請け合いです。

 まず、いつもとちがうのは1f会場が明るい色彩の光が交錯し点滅し走査して映像グラフィックの世界に誘い込んでくれることです。「おやっ、これが兆しのデザインなのか」展示のサブテーマとひっかけて理解しようとするのは情けなや、己が無理解の証拠。

 ひとしきり、その光のスペクトルのなかに身をおいて階段を下りるとB1会場、そこに裸身の勝井三雄がいました、厳選されたポスターとブックデザイン100点、裸身といってはいけませんが、一枚、一枚のポスターが、一点、一点のデザインがじかに勝井三雄のデザイン思想を語りかけ、投げかけてくるのです。

 未来に向けた「兆しのデザイン」とパンフレットにあり、「ゆらぎ」ということばが多用されていましたが、私は勝井三雄の確信にみちたクリェーティブの集積をみました。そしてDNPが大手町の産業会館で「アルマナック展」を開催していたころのみずみずしい勝井デザインを思い起こしました。

 2F会場のレセプチョンの帰りがけ、夫人にお会いしましたので、「先生の足跡のスゴサ、うらやまし伊」と申し上げたら「うちのは建築家が羨ましいといいますの」とかえってきました。会期は1月31日(金)までです。
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デジタルコロタイプの話

2014-01-17 18:43:19 | 活版印刷のふるさと紀行


 コロタイプという印刷方式にはなつかしい響きがあります。学校の卒業アルバムや小部数の記念アルバムや絵葉書など活躍の場は広かったといえます。手間のかかる印刷ではありますが、ある意味では写真製版の代表選手のように言う人もいました。


 ところがデジタル時代の到来で銀塩フィルムが製造中止に追い込まれたりしてコロタイプ印刷は影が薄いのではと思っていましたが、さにあらず、新しいネガフィルムの登場でインクジェットと結びついてデジタルコロタイプとして活躍の新領域を広げているというのです。

 1月16日の印刷図書館クラブ木曜例会で東海大学名誉教授の高橋恭介さんのレクチュアを受けました。分光特性だとかトーンカーブだとかいろいろむずかしいことは省くとして、デジタルコロタイプ印刷はとくに文化財の複製に威力を発揮できるとのこと。これを可能にしたのはピクトリネガフィルムとよばれる三菱製紙のフィルムの出現によってのことだそうです。

 文化財の忠実で高精細の複製に用途が広がる画像処理技術として注目したいものです。
写真はピクトリコプロ・デジタルネガフィルムTPS100のカタログから。
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正月を送って

2014-01-17 10:58:15 | 活版印刷のふるさと紀行

 

遅ればせながら新年おめでとうございます.


 すっかり怠け癖がついてブログとご無沙汰しているうちにはや1月も半ば過ぎてしまいました。あれは8日の日でしたか、「どうしたの」と友人から電話をもらってしまいました。
 そういえば、1月7日でもって幕の内は終りですものね。つい、弁解しちゃいました。「十五日正月というでしょう。15日まではエンジンをかけません」、そしたら「都合のいいときだけ、関西人になりおって」といわれてしまいました。そうでしょうか。たしか、こどものとき、
十五日正月」って聞いた気がするのですが。アキマヘンカ。
 
 正月は7日になって恒例の神田川大曲塾の「七福神詣で」に参加しました。今年は「亀戸七
福神」。快晴でコースのあちこちで東京スカイツリーを間近に拝むことができました。実は
わたくしはまだ、昇ったことがないのです。それよりもところどころに昭和が残っている亀戸という町は好きです。つい、路地から路地、路地めぐりをしたくなりました。

 色紙に揮毫してもらうお仲間が多かったのですが、新年会会場の亀戸名物大根料理の升本さんに定刻に到着、杯をあげ、ついでに気勢もあげました。酔うほどに秘密保護法や日・中・韓むずかしい問題も論じられ、多難な年明けの予感がするのでした。

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