活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

古楽器の演奏を聴く消夏法

2014-07-27 14:39:00 | 活版印刷のふるさと紀行

 梅雨あけと同時に連日35℃の猛暑、これでは隅田川の花火もあまり涼味をもたらしてくれません。この暑さの中で私の消夏法のひとつは古楽器の演奏を聴くことです。そもそも私が古楽器に興味をもったきっかけは、いまから430年も前、1584年、ポルトガルのエーヴォラ大聖堂で天正少年使節の伊東マンショと千々石ミゲルがパイプオルガンの連弾を見事やってのけたことを知り、それから調べて行くと16世紀の日本の神学校、セミナリヨではオルガンだけではなく弦楽器や管楽器などの演奏をかなりやっているではありませんか。織田信長が鷹狩りの帰りに宣教師の居宅に立ち寄って西洋音楽を所望したのは有名な話だったとも聞きました。

 ヨーロッパの旅から帰った使節一行は秀吉の前で何度も演奏をしています。そこではマンショがいまのヴァイオリンの原型ともいうべきラベーキニャ、ミゲルがクラヴォ(チェンバロ),原マルチノがアルパ(ハープ)、中浦ジュリアンがラウド(フリュート)を受け持ったとされています。四重奏です。

 秀吉がとくに好んだのは皆川達夫さんによるとジョスカン・デ・プレのミサ曲の「皇帝の歌」だとされています。当時、スペインの宮廷などで失恋の歌としてもてはやされたシャンソン風の悲しい調べのひとつのようです。三浦哲郎の小説『少年讃歌』にそなたと別れて嘆きは深し つれなき我の罪をば許せ…と四重奏(千々の悲しみ)の歌詞まで出て来ます。

 古楽器演奏やバロックを専門にしておられる楽団やCDもあり、ときどき演奏会も開かれています。長崎やセミナリヨゆかりの有馬あるいは天草あたりでの催のされることもあります。上に掲げた写真は天草河浦町のコレジオ館で古楽器のレプリカをたくさん見せていただいた後で特別にリュートの演奏をしていただいたときのものです。残念ですがそのときいりいろお骨折りいただいた宮崎館長の訃報をつい先日耳にしたばかりです。

 


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梅雨明けの日、セミに背中を貸したぞ

2014-07-23 13:45:45 | 活版印刷のふるさと紀行

 東京の梅雨明け宣言の日、こんなことがありました。

本郷菊坂を降り切ったレストランで昼食をすませ白山通りへ出た私は西片の交差点で左折、通りの右側の歩道を後楽園に向かってゆっくり歩いていました。

 「ちょっと、お止まりになって、お背中にセミが」、突然、うしろから華やいだ女性の声、びっくりして足をとめたら、私の背中に手が伸びて来た感じ。振り返ったらストローのハットに水色のパーカーの40代の女性がセミをつかんで、街路樹の銀杏の幹にそっととまらせている瞬間が目に入りました。

 それにしても全然、気が付きませんでした。あのセミ君、いつ、どこで私の背中にとまったのでしょうか。東大はじめ付近に緑はありますが、町中です。不思議でした。

 彼女にお礼をいって数十歩あるいてから、「そうだ、写真を撮るのだった」と引き返したのですがもう見つかりませんでした。

 チラッとみただけでしたが、黒っぽくて細身、見慣れたアブラゼミではなかったような気がします。クマゼミでしょうか。わかりません。梅雨明け宣言のその日、都心でセミに背中を貸した、なにかいいことがありそうです。



 


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『花子とアン』を見ながら

2014-07-21 17:08:26 | 活版印刷のふるさと紀行

 最近、印刷人の集まりで「村岡印刷」がよく話題になるのです。ご存知の方が多いと思いますが、村岡花子の生涯をテーマにしたNHK朝ドラ『花子とアン』に登場するのが村岡印刷です。ドラマの舞台に印刷屋は地味ですが、ご同業ということもあってドラマの筋立てよりも昔の印刷会社の仕事ぶりに興味があるようです。

 例えば「あの時代、スーツにネクタイの正装でキチンとしていたんだね」 村岡印刷のコーヒー好きの社長、脇をかためる長男、次男みんなスーツ姿で決めています。時代は大正の終わり近く、銀座という場所柄もあるでしょうが、明治時代は羽織、はかま、急ぎの時は二人曳きの人力車で得意先に乗りつけたといいますから、まだ、印刷業のステータスが高かったと思われますから時代考証的には合格。 印刷会社のステータスがダウンし始めたのは関東大震災による不景気、改造社の1冊、1円の『現代日本文学全集』を皮切りにした円本ブームからでした。

 また、こんな意見もありました。「あの時代に印刷会社があそこまでやっただろうか」と。つまり、村岡印刷が創刊される雑誌の表紙のデザインを提案したり、挿絵を描いたりしていることが不思議だというのです。確かに印刷屋さんは印刷を頼むところで、出版社は編集業務は全部自社でというのが定番でした。印刷会社が出版社に企画提案をしたり、編集を手伝うようになったのは1950年代になってからでしたから。

 ただ、『花子とアン』のモデルが教文館、印刷会社が傍系の福音印刷だといわれておりますからいわば身内、当時でもこういう仕事の進め方があったとしても不思議ではありません。それよりも、当時の印刷所の「印刷風景」が出てきたら面白いのにという意見もありました。それは無理です。大正から昭和の初めの活版印刷風景の再現はさすがNHKでも無理。時代と技術の変化がロケ現場そのものを消し去ってしまっています。時は過ぎてゆくです。

 蛇足ですが、昨日7月19日の朝日新聞夕刊のトップ見出しが「活版印刷 再び脚光」もはや郷愁ですか。

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アウトレットパーク

2014-07-19 18:27:33 | 活版印刷のふるさと紀行

 ひさしぶりに木更津行き、3連休の前ですしアクアラインはスイスイ。なによりもこのところ付き合っている梅雨空ではなく青空が気持ちいい。

 いちばんの目的は73店舗が増えて首都圏最多248店舗になるというふれこみのアウトレットパークの見学、こちらも平日ということもあって程よい込み方でした。

 それにしてもモールとか、アウトレットだとか、アウトレットモールだとかの区分が当方には理解できません。多分、木更津のように有名ブランド品を安く売るショップが並んでいる商店街がアウトレットなのでしょう。パークがついているけど。日本の場合、、モールの方がアウトレットよりも小規模かとも思ってみるのですがドバイで歩いたドバイモールのスケールや豪華さを想起するとどうも区分がわからなくなります。

 ショッピングをするとポイントのつくカード会員募集のコーナーに若い人が列を作っているのをみるとここをデパートのようにショッピングに利用する「東京の人」も多いらしい。ペアで来てそれぞれレディスやメンズのウェアを選びあうのも楽しいだろうし、グルメやフードのショップで舌鼓を打つのも気軽な楽しみかも知れませんが、悲しいことに年配者にとっては見学になってしまいます。それでも3時間は見てまわって3~4点仕入れました。

 アウトレットで食事をすませて、袖ヶ浦で漁協のやっている海苔の店に立ち寄ったのですがそれはそれ、肩のこらない買い物でした。






 

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活字と書体、書体は生きている

2014-07-13 11:33:49 | 活版印刷のふるさと紀行

 昨年の秋に出た『一〇〇年目の書体づくり』、サブタイトルが「秀英体 平成の大改刻」の記録という本をようやく読み終えました。とっくに発行元の大日本印刷の広報室から送っていただいていたのに半年も向き合う時間を持てずにいた理由は、こうした時間をかけたプロジェクトの記録を右から左に読み飛ばしてはバチが当たると思ったからです。

 ここで、あまり「印刷」と縁のない方のために申し添えますと、「秀英体」とは大日本印刷の前身、秀英舎が100年前に開発した活字の書体の名前、改刻とは書体をリニューアルすることだとおもってください。印刷業は明治はじめから企業化されはじめ、本や雑誌の印刷は鉛を鋳造した「活字」を組んで行われました。その活字の書体としては築地活版の「築地体」と少し遅れて開発された「秀英体」が代表的でした。

 しかし、100年以上続いた活版印刷もほとんど姿を消し、秀英体の大日本印刷も127年間続いた活版印刷部門を2003年(平成15)に閉鎖しています。それなのになぜリニューアルが必要かといいますと、印刷技術が変わっても活字書体の美しさ、読みやすさ、種類の多さは本や雑誌の出来上がり、印刷物としての優劣を左右します。

 とくに紙メディアでの印刷効果もさることながら、文字が電子メディアで読まれるケースが多くなって、こんどはそれに対応した書体が求められるようになりました。そこで、7年間の歳月をかけ、10書体、12万文字の秀英書体の改刻がされたというわけです。読み終わってサブタイトルの「平成の大改刻」、帯のキャッチコピー「書体は生きている」に、私は改刻に携わったスタッフたちの自負を感じ、敬意を表せずにはいられませんでした。





 

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東京は運が良かっただけ

2014-07-12 11:36:36 | 活版印刷のふるさと紀行

 台風8号は沖縄はじめ多くの地方に大きな爪痕を残して関東で温帯低気圧に変りました。千葉県の富津あたりに再上陸したというのでいよいよ東京も圏内かと一瞬身構えたのですが、午後になってどうやらおさまったのです。

 そのかわり、こんどは猛暑の到来、35℃とは。いくらか落ち着いたであろうと夕方、本屋めぐりに出かけました。いやはや、ドーンとした湿った熱気に包まれて熱中症寸前。しかし、パン屋の前の噴水を全身に浴びて噴水浴?を楽しんでいる幼児を発見。風邪をひかないかとしんぱいしたのですが、なになに、湯上りタオルをひろげて待っているママさんがちゃんといるではありませんか。噴水広場が手軽なシーサイドになっていたわけです。

 それにしても8号台風も沖縄を過ぎて九州本土方面に右折して列島沿いに東北・北海道方面を目指しました。なぜ、あの台風の定例コースは決まるのでしょうか。たまには中国方向に直進してもいいように思いますが。土石流を発生させた大雨は台風8号ではなくて梅雨前線の活発化によるものだという説明を聞かされても理系オンチには納得がいきません。

とにかく、被害の多かった地方のみなさんには申し訳ない話ですが東京は運良く難を免れたと思っていたら夜中にまた、豪雨.さらに、明け方の地震。

 台風はあがったものの、ビルの間に垣間見た夕方の曇り空の無気味さはこれだったか。今回は運が良かっただけ、官民ともに心して対策を講じておかないと、大災害に屈することになりそうです。

              

             

 

                                                        

             

                                                       

 

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台風接近のなかで

2014-07-10 12:47:03 | 活版印刷のふるさと紀行

 変な言い方ですが、ただいま「台風八号待ち」。ベランダに出したままの植木鉢を室内に取り込んだり、精いっぱいの準備中です。午後になってだんだん風が強くなってきましたが、はたして今夜半からあすの未明にかけて予報で警戒するようにいわれている東京はどうなっているでしょうか。

 「災難は忘れたころにやってくる」といったのは寺田寅彦でしたが、最近は「災害は忘れぬうちに襲ってくる」といいたいほどで地震・台風・洪水と自然災害に痛めつけられる日本はかわいそうなくらいです。

 しかも災害の起こるのが全国的で、今朝も沖縄だ、南木曽だ、天草だと知人がいたり、かつてさんざんお世話になったゆかりの地だったりすると心が痛みます。停電や電車が止まるのも自己体験からいってやりきれません。高校生で遠距離電車通学をしていたころ、台風で電車が不通になり、学校の近くの知人宅に泊めていただいたことがありました。強風のなか、びしょ濡れで勇気をふるって「泊めてください」と頼みに行ったときのことを昨日のことのように思い出します。

 大水にも苦い思い出があります。西片の家が平屋だったとき、白山通りが水浸しになったのです。地下水路が満杯になってマンホールの蓋が飛び、見る見るうちに腰まで水がくるようになりました。アッというまで我が家も床下浸水。現在は排水施設の整備でそんなことはなくなってしあわせです。このところ異常気象日本といいたいほどですが、台風被害の軽微なことをいのります。



 

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友だちの絵 ヴェロニカ

2014-07-06 10:16:11 | 活版印刷のふるさと紀行

 銀座教会の『キリスト教美術展』を観て来ました。聖画ともいうべきテーマの同一性、限られた作品点数を静謐な雰囲気で鑑賞できる私の好きな展覧会の一つです。高校時代の友人太田久君が毎回出品し、それを機会に何人かの同級生が集まる楽しみもあってここ数年、欠かさずに顏を出しているのです。

 彼の作品のタイトルは「聖人マンダラ」、仏画の曼荼羅のキリスト版といったらいいのでしょうか。1体というか1点というか聖人像を1コマずつ、マンダラふうに配列して意欲的でした。私自身はキリスト者ではありませんが、カトリックとは縁があります。卒論がフランソワ・モーリャックでしたから人間と神との相剋を追い求めたモーリャック作品はかなり読み込んだつもりです。

 そして次が日本に活版印刷を持ち込んだコンスタンチノ・ドラードの歩みの追っかけでザビエルからはじまる日本のキリシタン史を調べなくてはなりませんでした。ポルトガル・スペイン・イタリア、マカオ、ゴアと天正使節絡みの土地やヴァチカンやエルサレムも歩き回りました。国内も長崎を筆頭にキリシタンゆかりの地を訪ねまわりました。そんなことは何の自慢にもなりませんが、こんなことから「縁があった」といってもいい気はするのです。

 その友人から習作の「ヴェロニカ」をもらいました。ヴェロニカという女性信者がキリストが重い十字架を背負いゴルゴダの丘めざして向かう途中で、キリストの汗の多さに思わず自分のヴェールを汗拭き用に差し出します。そのヴェールでキリストが汗をぬぐい彼女に返すと、奇跡が起こります。なんとヴェールにキリストの顔が鮮明に浮かび上がっていたという「聖顏布」のあのヴェロニカです。『キリスト教美術展』は7月13日まででした。

 

 

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七夕に願いごと二つ

2014-07-05 15:31:01 | 活版印刷のふるさと紀行

 雨が多くて気分が乗らないままに今年も「七夕」の到来です。「早く短冊を書いてください」といわれながら日を過ごしていましたが、いよいよ切羽詰まって今朝は早起きして墨をすりました。

 ところが願い事が多すぎて何を書いたらいいか迷ってしまう始末。結局、「いま、本当の星空を知って欲しい、本当の戦争の悲惨さを知って欲しい」という子どもたちへの願いをひとつ、もう一つは「いまいちど貪欲に 奔放に織女に迫る熱情を」というナイものねだりを短冊に託してしまいました。

今年の笹はリースだそうです。去年までは竹藪探索隊員がいたのですが、とうとう七夕の笹までリースの人工製品になって」しまったとは驚きです。果たして牽牛・織女に願いは届くのでしょうか。

 今年も七夕を売り物にする商店街は都内にも何か所もありますが、この悪天候では気勢があがらないのではと心配です。

 

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ブックフェアをのぞく

2014-07-03 11:19:19 | 活版印刷のふるさと紀行

 ビッグサイトの東京国際ブックフェア初日をのぞいてきました。去年は東京駅からバスが超混んでいましたから、今年は門前仲町スタートの都営バス19番を利用したところ大成功。往復共に車内一番前の一段高い席にゆっくり座ってまるで子どものように湾岸風景を楽しんでの行き帰りでした。

 ブックフェアといっても、「電子出版EXPO」、「コンテンツ制作・配信ソリューション展」の2つが同じ1F会場で開催されているし、2Fは「クリエイターEXPO東京」、「プロダクションEXPO東京」、「キャラクター&ブランドライセンス展」の3つがひしめきあっているし、とてもとても全会場見てまわるわけにはいきません。

 そこで、いきおいいちばん興味のある1F会場をこまめに見てまわったのですが、正直、紙の本が並んでいる個別書店のブースでは「これぞブックフェア」とゆったり気分になるのですが、web入稿だ、ソフトプルーフだとデジタルな電子書籍づくりの展示やセミナーは、見たり、聞いたりしていると気分が重くなるのですからわれながら始末に負えません。

 デジタル、デジタルで半年暮らしゃ、デカンショ節の替え歌でも歌いたい気分でしたが、年ごとにフェアの中身が電子書籍に傾いていくのは必然なのでしょうか。 私がいちばん、ゆっくり見たのはDNPのブースとモリサワのブースでした。しかし、大好きな「秀英書体」もディスプレ上でフォントの美しさをチェックするのですから、紙の上での活字見本帳がちょっぴり懐かしいように思ってしまいました、

 懐かしいといえば、今年はマレーシアがテーマ国でしたが、マレーシアの絵本やグッズが意外に楽しかった気がしました。

 


 

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