活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

もしもの時のデザイン

2014-08-30 19:15:37 | 活版印刷のふるさと紀行

 天災は忘れたころにやって来るといったのは寺田寅彦でしたが、最近は東日本大震災以来こんどの広島の土砂災害まで、忘れたころどころか、またか、またかと押し寄せてくるので気が抜けません。しかし、災害の前に、あるいは災害に見舞われたあとに、はたして自分だったら何を出来るだろうかと思うと情けないほど無力です。

 その意味で昨日からはじまった印刷博物館P&Pギャラリー「災害時に役立つ物や心のデザイン」展はタイムリーで興味深い催しです。日本パッケージデザイン協会(JPCA)の会員デザイナーが、「もしもの時のデザイン」を「衣」・「食」・「住」・「心」の4つの視点から百点以上の作品で発表しております。おそらく、もしもの時を会員みなさんが真剣に考えられた結果を作品化されたのでありましょう。

 さすが、パッケージデザイナー、機能の追及もさることながら観客の女性が思わず「カワユィー」と声をあげる作品も多く、微笑ましいこうけいがみられました。たとえば、「くまもん」と題する作品はめがねを使っている子どもさんが自分の大事なめがねを護るためのかわいい保護パッケージです。

 また、デザイン作品のほかにも災害時関係のアプリやウェブサイトの紹介もされていました。11月24日まで。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一転、涼しくなった佃を歩く

2014-08-27 23:05:42 | 活版印刷のふるさと紀行

  広島の土砂災害から一週間が経ちます。日が経つにつれ犠牲になられた人の数が増え、日本特有の地形と地質の脆さを知らされて暗澹たる思いです。加えて最近の気象の異常さです。この一週間、東京にも大雨が降りそうな予報の日もありましたが、連日の猛暑だけで大雨は免れて来ました。

 ところが一転、今日は日中でも25℃を割るような気温、いっきに10℃も下がるとはこれまた驚きでした。そうなれば、そうなったで暑さで敬遠気味だったウォーキング再開、祭りのシーズンが終わった佃(つくだ)界隈を目指しました。リバーシティ21の前の通りから中央大橋手前を左折、石川島公園の隅田川沿いを佃大橋に向けてあるいたのですが、目に飛びこんできた水上バスの航跡も涼味を感じさせるどころか、心なしか愁色を滲ませているように見えたのです。

 夏の終わり、いや、もういい加減本当に終わりにしてもらいたいと思いながら歩いて行った先の佃は予想通りしずかでした。伏見神社の境内も人気がありませんでしたし、神輿の展示の前にも人影はありません。それでいて、江戸とまではいいませんが、昔の空気が残っているようで私はこの一角が好きです。

 佃島の由来は家康が1603年(慶長8)に江戸幕府を開いたときに摂津国佃村から漁民33人をこの地に招いたのがはじめだといいます。漁民たちはこの石川島の隣の小島をふるさとの佃村から佃島と呼んだといいます。本能寺事件のとき家康の三河脱出に手を貸してもらったお礼だというのですが、開府早々の江戸で、たとえ漁業権を与えられたとしても摂津の暮らしとくらべてどうだったでしょうか。これは 私が『活版印刷紀行』の取材で平野富二が石川島造船所を開いたころを調べたときからの疑問です。

 人っ子ひとりとも出会わないまま、佃小橋たもとの創業天保八年の「天安」で好物のウナギの佃煮を求めてポッンポッンと降り出した雨の中を帰ってきました。


 


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンピュータによる漢字処理の話

2014-08-24 04:47:03 | 活版印刷のふるさと紀行

 先週の木曜日、印刷図書館クラブの例会は前回につづいて「コンピュータにおける漢字処理」についてでした。暑いのにご苦労様といいたいのに。

それはこんな会話から始まりました。「いったい、漢字の数ってどれくらいあるのだろう」、「いやあ、漢字は無限的有限的集合でひと口で何万字といえるシロモノではないさ」。「アルファベット26文字と違って漢字使用国は、日本・中国・台湾・韓国と少ないのに、おそらく全部で何十万字になってしまうよ」

それにあなたも経験がおありでしょうが、「私の高橋の高はハシゴの高です」、「私のひろしはむずかしい廣です」などと身近なところでもしっかり自己主張をされる人に出会うことが多いので、同じ文字でもますます数は増えるというわけです。さらに、ご承知のよ うに中国や韓国ではあたらしい簡易文字がどんどん開発されています。

 ここでいちばん問題になるのがこの膨大な漢字を26文字のアルファベットと同じように、ユニコード化(文字コードの世界規格化)したり、しようとしたりしていることではないでしょうか。

e-パブリシングだとかマルチチャネルパブリッシングだとかの進展するなかで、漢字の標準化やコード化に漢字使用国がしっかり取り組まないといけないのです。とくにここで、我田引水ではないのですが必要なことは最近印刷+電子配信という形でアナログにもデジタルにも『文字処理』を通じて大きな役割を果たしている印刷業界こそ出版業界・フォント業界・端末メーカー・DTPソフトメーカー・デバイス制作会社・デジタルコンテンツ配信事業者・新聞・放送業界が同じ土俵の上で共通な文字処理を行う現場環境をつくるリーダーとして適任なはずというのが結論でした。

会が終わって帰りに印刷会館を出ようとしたらガラスドアに「印刷の月」のポスターが貼ってありました。反射して読みにくいでしょうが『人と人の間に印刷はある」9月印刷yの月とあります。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深川八幡の神輿渡御を見る

2014-08-17 16:47:11 | 活版印刷のふるさと紀行

  深川八幡様には申し訳けないのですが朝になって今年は本祭り、五十五基ものお神輿の行列、連合渡御とあちこちで繰り広げられる「水かけ」を絶体に見ようとと思い立ちました。

 しかし、交通規制で都バスは運休だし、この暑さでは歩くのもホネ、そう思っているとタクシー、「行けるところまで」と言って乗り込むと運転手さんもこころよく「行けるところまで行きましょう」と走りだしてくれました。

 そして降ろされたのが永代通り手前の東富橋(とうとみはしのところ、これがお神輿を見るには最高のスポットだったのです。永代通りの交差点のガソリンスタンドの前で来る神輿、来る神輿に盛大な水かけが行われていますし、神輿は神輿で、降り注ぐ水かけの滝のなかで威勢の良い掛け声とともに神輿を派手に上下する「かちあげ」が披露されたりして、これぞ「江戸三大祭り」、「水かけ」の醍醐味というところでした。

 前回は昼過ぎ永代橋の橋げたに乗っかっての見物でしたが、今日はまだ、出発したてですから担ぎ手の足並みもそろって迫力がありましたし、女性たちもお化粧崩れもなく美人揃い、偶然とはいえナイススポットに感謝。

 最後尾五十五基目の「深濱」の神輿を見送ってから深川八幡様に参詣して午前中で失礼した次第です。神輿の行列は永代通りから大門通り、深川資料館通りから清洲橋、新川、箱崎そして永代橋から富岡の社まで八キロを渡御するといいます。



 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふるさとへ廻る六部は

2014-08-15 17:58:03 | 活版印刷のふるさと紀行

 盆休みも終わりふるさとからの帰途につく客で新幹線も乗車率が100パーセントをこえる列車が多いとTVが駅頭の中継画像を映すのを見入っているとつい、いろいろなことを考えてしまいます。

 私自身も「ふるさと」ということばに暖かい響きとそこはかとない懐かしさを覚えます。私のふるさとは愛知県の岡崎市ですがいまでも目をつむると町の中央を流れる菅生川(すごうがわ)や幼いころ遊びまわった六所神社界隈を容易に思いだすことができますし、当時のままの顔で友人、知人の顔が出てきます。

 ことごとさように「ふるさと」は甘酸っぱい懐かしい存在ですが、焼夷弾で焼けてくすぶっている中を歩き回った苦い記憶も浮かばないでもありません。

 乗車率を100パーセントにした帰省客の多くのみなさんがひさしぶりにご両親と会い、懐かしい山や川や海に抱かれてホッとされてこられたことはなによりだと思います。私はすでに両親は送っております。

ところで、「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」という有名な古川柳があります。なんでも「六部」とはりくぶともいい、全国66箇所の霊場に自分が書き写した法華経を納めに行く巡礼というか、行者さんのことをいったらしいのです。背中に法華経を入れた箱状の笈を背負い、杖をついて歩く姿は鎌倉時代の文書にも出て来ます。

 年老いた行者さんがつい、ほかの霊場は後回しにしても自分のふるさとから先にまわりたがるのは気の弱りからだろうといったいささか自虐的な心境吐露の句と見ます。そういえば藤沢周平さんのエッセイに『ふるさとへ廻る六部は』というのがありました。彼は山形のふるさとをこよなく愛してやまない人でした。今夜は藤沢さんを偲んで、「だだちゃ豆」か「小茄子の漬物」で一杯やりますか。

 

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「河内晩柑」が届いた日

2014-08-13 15:11:58 | 活版印刷のふるさと紀行

 ようやく11号台風が去ってくれたと思うと旧盆の到来。動静を気にしていた人が東北新幹線の中からメールをくれ「もうすぐ仙台」。11号の影響がなくてよかったと思いました。片やFBで海外旅行先のスケッチをこまめにレポートしている友人も何人かいてこれはうらやましい限り。

 それにひきかえ、小人閑居、つい、暑さで怠惰を決め込んでいる私はかわいそうなもの。そんなところへズッシリと重い宅配便が熊本から届いたので開梱してみると「河内晩柑」、ザボンかボンタンか、グレープフルーツよりも一回りも二回りも大きな葉つきの果実がぎっしり。「秀」のスタンプつきですから飛び切り上物と見ました。

 実は「河内晩柑」とは初対面です。さっそくネットで調べてみました。生産地が成育条件から熊本や愛媛のごく限られた地域しかない貴重なものらしいのです。前にライムを栽培している友人の話を書いたことがありますが、河内晩柑をこの齢になってはじめて知り、つくるとは無縁、ワレ食べる専門とはいささか情けない次第です。

 そこで一念発起、たくさん送っていただいた河内晩柑でマーマレードやジャムつくりに挑戦しようと思います。はたして?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の夜の夢、「医療立区」から「医療立国」へ

2014-08-06 15:43:04 | 活版印刷のふるさと紀行

 ちょっとした異常で病院を訪れると、いまやMRIやCTの検査を受けるのが当たり前ですし、血液検査のデータから明解な説明をされると、素人の私たちとしては最近の医学や医療機器の進歩に驚かされます。新設備の大病院があちこちに建ち、日本の医療施設は著しく立派になったように感じます。また、国際的にも優秀な医師がおられますし、すぐれた医学生も増えていると信じたい気がします。

 話は飛躍しますが、私の住む東京都文京区が千代田や中央や新宿区などと並んで「国家戦略特区」の区域に指定されました。特区として行う規制緩和の中に医療や創薬部門があり、東大をはじめ大学や大学病院、医療機器メーカー、製薬会社などが多く存在するところに目をつけられたようです。

 以前なら印刷・製本などが地場産業の最たるものでしたから印刷人の端くれとしては残念ですが、私は文京区が「医療特区」になることは大賛成です。といいますのは、日本は「技術立国」を目指すべきだ、とか「IT立国」がいいじゃないかなどの議論が前からありますが私は無理だと思います。最近は世界遺産と結びつけて「観光立国」が叫ばれるようになりましたが、それもどうでしょうか。

 それよりも冒頭に書いたような印象から私は「医療立国」が望ましいとかねがね思っております。そこで国レベルだとなかなかコトが進まないので、まず、この特区指定を機会に文京区で「医療立区」を進めたらどうかと思い医師でもある区議に提案をしました。

 賛成は得られましたが、なかなか難しい問題もありそうです。たとえば外国人の観光を兼ねた医療ツーリズムでも医師や病院、宿泊施設、観光先の選定など受け入れ態勢の整備をどうするかがあります。区議によると、先日中国から視察がありましたが、医療機器のメッカ、文京区にあって機器を一堂に陳列した展示場がなくて不便な思いをされたとか。

文京区の「医療立区」から日本の「医療立国」を。夏の夜の夢でしょうか。


 

 

 


 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今月のGGGは、涼味誘うアートの異空間

2014-08-05 11:53:38 | 活版印刷のふるさと紀行

ギンザ・グラフィック・ギャラリー8月展をのぞいてきました。いきなりですがのこづさいぼー:ひびのこづえ+「にほんごであそぼ」という長ったらしいタイトルにはを抱きました。わかりにくいのです。

展覧会の主人公、ひびのこづえさんはコスチュームデザイナーという認識でしたのでGGG登場もでしたが、展覧会リーフに《ひびのさんの創作活動の核をなす「細胞」に軸を置き、「びのこつさいぼー」と銘打つ本展、細胞のように細かく多彩で活発な仕事を紹介します》とあります。なお、補足しますと「日本語であそぼ」はNHKEテレで月曜から金曜まで毎朝放送されている番組名でこづえさんが衣裳とセットを11年前から担当されているのだそうです。なるほど、今回の展覧会はその集大成と理解しました。

しかし、はっきりいってオドロキでした。1階は明るく、カラフルで多彩なこづえさんの制作物でギッシリ。地階は暗転して闇の中にこづえさんの制作したコスチュームが妖しく浮かびあがっておりました。

それは、まさしく意図された異空間。こづえさんは「小さな細胞はひとつひとつが集合で新しい物を生み出します。 私の仕事も小さなパーツの集合で形をくっています」とおっしゃっているけれどこれほど多彩のパーツを彼女がどうやって生み出したのか、制作時のヒラメキはどこからくるのであろうか、私には信じられない才能です。

なにか、おおきなハンマーで一撃をくらった状態で、この異空間と異才のみなぎった、いうなればアート化け物屋敷を抜けだしたのでした。あなたもぜひ、のぞいてみてください。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カクレキリシタンと隠れキリシタン

2014-08-02 02:32:43 | 活版印刷のふるさと紀行

 面白い本を読みました。

 『カクレキリシタンの実像』、著者は長崎純心大学の宮崎賢太郎さん。私の購入動機は「カクレキリシタンは隠れてもいなければキリスト教徒でもなかった!」という本のキャッチ・コピーでした。

 思い出します。私はいままで「キリシタン版」研究の旅で隠れキリシタンの里と出会い、いくつものエピソードを聞いてきました。為政者のキリシタン弾圧と殉教、『千々石ミゲル』を書くきっかけの一つもそれだった気がします。

 とくに初めての旅で長崎大村空港から向かったのが天正少年使節の像、大村純忠の旧城三城城、その次が放虎原の殉教地でした。純忠のキリシタン時代が終わりを告げたとき、ここ放虎原で205人もの隠れキリシタンが処刑されたのです。モニュメントの白い石にこれから斬首される信者を中心に、ひたすら祈っている数名の姿が描かれていて心を打たれました。天草ロザリオ館で初めて耳にしたオラショの低い声はいまでも耳に残っています。

 それから取材のかたわら、五島、生月、崎津、大江、外海や天草など各地で隠れキリシタンの秘話、悲劇を見聞きしました。そういえば、遠藤周作さんは『沈黙』はじめ、たくさんの作品でカトリック信者からの「転び者」を追っておられます。

 キリシタン弾圧ー殉教ー隠れキリシタンーそして1865年大浦天主堂での「サンタマリアのお像はどこ」とフランス人神父プティジャンに隠れ信者の老婆が囁きかけた有名な「信者復活」まで、250年間一貫してイエスを崇め、信じつづけたのが隠れキリシタン、これが私の理解でした。私だけではなく日本人の多くの隠れキリシタン観のはずです。

 宮崎さんのお調べになったカクレキリシタンの実像、カタカナ書きの「カクレキリシタン」という書名の意味するところはあなたにも読んでいただくことにして、興味ぶかい著作でした。


 


 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする