活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

カクレキリシタンの歌オラショがバチカンで

2014-10-26 15:30:27 | 活版印刷のふるさと紀行

  昨日の夕刊に西野智美さん指揮する合唱団のバチカンのサンピエトロ大聖堂で行われた音楽ミサでの大成功が伝えられていました。過日の東京オペラシティコンサートホールでの壮行演奏を聴いた身としてはうれしいニュースでした。

 生月島などで450年前から歌い継がれてきた「歌オラショ」がはじめてローマ法王の地で紹介されたというわけです。キリシタン弾圧で外来宣教師が日本にひとりもいなくなってから、いわゆるカクレキリシタンたちがグレゴリオ聖歌を原曲とする祈りの歌オラショをどのようにして守り、歌ってきたかは以前このブログでご紹介した宮崎賢太郎さんの『カクレキリシタンの実像』で勉強させてもらいました。

 話は変わりますが私がキリシタン弾圧や島原の乱やかくれキリシタンと真剣に向き合うようになったのはキリシタン版の印刷を取材しはじめたときからです。長崎県口之津の歴史民俗資料館館長、いまは亡き白石正英さんにお会いしたときからです。

 口之津は日本ではじめてグーテンベルク方式の活版印刷がお目見えした加津佐の隣町です。当然、この資料館に印刷関係の遺物があるのではと思って訪ねたのでしたが、白石館長から「あろうはずがないですか。ここは島原の乱に参加して村民全員が殺されたところです」としかられてしまいました。

 キリシタン版の印刷は1590年代、キリシタンの最初の殉教が1614年、島原の乱が1638年、そしてカクレキリシタンの時代は幕末の1850年代までつづいたのです。その間、250年の間に拷問され、殉教して行った人は5万近くを数えるといいます。上の写真は五島の教会裏にひっそりと置かれていた拷問石です。

 バチカンの聖歌隊システィーナ礼拝堂合唱団のオラショが聴衆にどのように響いたかは想像するしかありませんが、曾祖母が生月島出身の西本さんの感慨で夕刊の記事は締めくられておりました。

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バリアブルデーターの強み2

2014-10-21 13:53:04 | 活版印刷のふるさと紀行

 このところ秋色が濃くなるとハローウィーンの飾りをあちこちで見かけるようになります。以前はディズニーランドのイベントぐらいにしか思っていなかったのに身近かになってきたことに驚かされます。

 10月31日は11月1日の諸聖人の祝日の前の日だからハローウィーンというのだそうですが、カトリックでもプロテスタントでも行事暦に入っていません。とすると、アイルランドやスコットランドあたりで生まれた日本のお盆行事のようなものでしょうか。それにしてはアメリカでもイギリスでもかなり盛大な季節イベントの一つになっているのはどうしてでしょうか。

 ところで前回のバリアブルデータ印刷の続きですが、つい、最近、こんなことがありました。私は10年ぐらい前からウイルコムのPHSを愛用してきました。10日ほど前でした。ワイモバイルと社名の変った元ウイルコムから私宛てにDMが舞い込みました。

 A42つ折り4ページに私の名前が4か所も印刷されているまさにバリアブル印刷そのもののDMでした。しかも、そのうちの1か所はゴチックの白抜き文字。「青山様 今、スマホとPHSをお使いならワイモバイルのスマホ1台でも今よりお安くご利用いただけます」とあり、私のここ3か月の平均利用料金のデータが添えられ、自宅近くのワイモバイルショップの所在地図まで印刷されていました。私のアドレスを含め4か所の可変データを折り込んだDMでした。

 こうまでターゲットにされると悪い気はしません。さっそくショップへ行ってみました。なんと、DM片手にお客さんの長蛇の列。恐らく、バリアブルデータ印刷のDM効果です。

 今朝の新聞に製紙会社の塗工紙減産が報じられています。原因はDMやちらしの印刷需要減です。バリアブルデータの強みを活かした印刷に目をつけるべきです。





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バリアブルデーターの強み1

2014-10-20 11:19:59 | 活版印刷のふるさと紀行

 すっかり秋めいてウオーター・フロントを歩くのも気持ちがいいシーズン。夕暮れの風景に目をこらしながら新富町の印刷博物館の例会での議題を反芻しながら帰ってきたのです。ちょっと硬くなりますが、その議題の中身の紹介をすることにします。

 例会の教材は、ローン・レイニンガーというクレムソン大学教授が《How storog is your variable data?》というタイトルで今年6月のPIAのTheMagazineに発表した論文でした。

 さて、私たちに馴染みのあるのは「バリアブル印刷」とか「バリアブルデータプリント」という言い方ですが、あえて、それはなんぞやといいますと、たとえば、最近、あなたのところに舞い込むDMにあなたの名前が印刷されているものがあります。不特定多数の人に送られる印刷物に自分の名前がはっきりと印刷されていると親近感を持った人もいるはずです。

 子ども向き絵本などで物語のヒロイン名を絵本の持ち主の名前に差し替えて印刷したミーブックと呼ばれるようなものは以前からありました。あれもバリアブル印刷でしたが、結構、面倒な印刷でした。ところが、最近、デジタル印刷機やDTPソフトの進展でオンデマンド印刷としてバリアブル印刷の技術がクローズアップされてきました。

 レイニンガー教授はバリアブルデータ印刷には2種類あるというのです。①は公然型ともいうべきもので、例えば「Oさん、あなたの2006年製のダッジキャラバンはオイル交換の時期です」と顧客に企業があなたのことはよく知っています、コレコレが必要ではありませんか」と訴求するタイプ。

②は隠密型ともいうべきもので、企業は顧客のデータをたくさん持っているがそれを感づかせないで巧妙にデータを関連付けて、BさんならBさんの気をひいて、購買に結びつけるタイプ。

 いずれにしても、不特定多数の人を対象に大量印刷物を整版・印刷するような時代は去って、印刷業者はバリアブルデータを最善処理してソフトとハードの適切な組み合わせで、顧客へのサービスに力を尽くし、自社と顧客の両方に最終利益を途方もなく大きくする時代が来ているのですと教授は力説しているのです。


 



 





 


 


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印刷と美術のあいだ

2014-10-19 12:25:25 | 活版印刷のふるさと紀行

「印刷と美術のあいだ」ーちょっと気取ったタイトルの印刷美術館の企画展を観て来ました。

 1875年(明治8)、いわゆるお雇い外国人として横浜に降り立ったエドアルド・キョッソーネというイタリア人の名前は明治政府が日本で初めて手掛けた印刷紙幣の技術指導者としてよく知られています。

 彼は明治24年まで印刷局で16年間、紙幣はもちろんのこと,印紙や小切手、郵便切手、証券などの原版彫り上げるという大変な仕事を仕上げ、のちのち活躍する日本人の凹版彫刻技術者育成にも力を尽くしたのです。

 この展覧会ではキョッソーネともう一人、同じイタリア人のアントニオ・フォンタネージというお雇い外国人を取り上げています。彼の方はキョッソーネと違って日本に滞在していた期間は2年と短かったのですが、工部美術学校で絵画の教師としてたくさんの日本人画学生の才能を育てました。

 会場で、この二人の作品をはじめ、二人から彫刻やデザインや石版など美術を学んだ印刷技術者や画家の作品をふんだんに観られます。明治初期に印刷と美術が交流し、そこから新しい印刷技術が生まれ、歩んだことをこれほどはっきりわからせてくれるとは思ってもいなかったので、会場で出会ったお仲間とついつい飯田橋で遅くまでオダをあげてしまいました。

ちなみに会期は10月18日から来年2015年の1月12日までです。

 

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当たり前だが驚いた話

2014-10-09 14:36:29 | 活版印刷のふるさと紀行

 台風一過さわやかな風に誘われ昼食を外でとることに。我が家から通りを隔てて50メートルあるかないかのビル4階のレストラン、前から一度入ってみたいと思っていた店。

 店に入って、なにげなく我が家の方をみて驚いたのです。前の建物が邪魔していて目に入りませんが、我が家の裏手の繁みの向こうに、スカイツリーの上部が見えるではありませんか。マサカでありました。

 屋上に上がって背伸びしたって繁みは見えてもスカイツリーなどみえません。まさかスカイツリーがこの方向とは 露ぞ考えたこともありませんでした。高さがそんなに違うわけでもないのに眺望がこんなに違うとは。ちょっと驚きました。

 そういえば山登りなんかで、ちょっと立ち位置がかわると、遠景がガラッと違うことは経験しています。あれなんだなと納得はするものの、いい歳をしてまだ、驚いておりました。「、エヘン、これが視点を変えるという実例です」などとふざけてみたくなりました。網越し写真でツリーがわかるでしょうか。


  




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京都、太秦でポスター展

2014-10-04 11:55:59 | 活版印刷のふるさと紀行

 太秦というと映画村を連想しますが、この10月9日から大日本印刷のdddギャラリーがオープンして、開館記念のTHE NIPPON POSTERSという企画展が開催されます。写真はその図録です。

 この図録が興味深いのは日本のポスターの代表的アーティストを第1世代から第6世代まで6世代にわけて作品紹介をしていることで、実はこれがそのまま10月9日から12月20日まで133人の作品展示構成になっています。

たとえば、第1世代は「図案からグラフィックデザインの胎動」と題して、亀倉雄策、早川良雄、山城隆一、中村誠、灘本唯人の作品、間を飛ばして第6世代は「脱デザイン、あるいはデザインチルドレンの反乱」と題してグループヴィジョンズ、服部一成、佐藤可士和、佐野研二郎、野田凪、森本千絵の作品が紹介されています。

世代別分類はおおむね賛成ですが、洩れてしまっている人、紹介作品の多寡については私見がないでもありませんが、こうして日本のポスターのビジュアル表現の歩みと印刷技術についてまとまって観ることが出来るのは実にうれしい展覧会です。ぜひ、関西の方にはお出かけいただきたいものです。

いささか宣伝めきました。dddギャラリーは太秦がはじめてではなく、平成4年にグラフィックデザインギャラリーとして大阪堂島で第1回展を開催、その後難波を経て今回で200回展を数える歩みを持っております。私自身堂島での立ち上げに関与した経緯がありますので、お許しください。




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イチジクを裂くとき

2014-10-03 10:27:26 | 活版印刷のふるさと紀行

 千葉の大網の知人からイチジクをたくさんいただきました。

イチジクなどとカナ書きするのは私の年代ではどうもイメージが似つかわしくありません。「無花果」であるべきです。

大網が産地であるかどうかは、聞き漏らしましたがおそらくご自宅でとれたものだと思います。熟し加減が丁度よく、甘くてたちどころに6個食べてしまいました。

実は私の生地、愛知県は無花果の一大産地です。おそらく東京の果物店やスーパーでも断然、愛知産が多い筈です。ご多分に漏れず、我が家にも裏庭に大きな木があり、子どもの頃父が細い竹竿でもいでくれました。私の記憶ではラジオ体操のカードを首に吊るしての毎朝の行事でしたから夏休みの終わりごろだったと思います。大網の知人によると「今が旬」とのこと、関東の方が遅いのでしょうか。

たしか原産地はアラビアだと聞きましたが、無花果とはトルコやイランでよくお目にかかりました。料理にも使われていましたし、ジャムや乾燥させた菓子もたくさんありました。クロアチアで買った無花果の菓子が秀逸でした。「無花果を裂くとき昭和もどりくる 窪田佳津子」

なんとなく、わかる句です。







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