活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

切支丹禁制の高札は「五郎丸」にあったか

2015-11-29 15:24:21 | 活版印刷のふるさと紀行

 岐阜市歴史博物館で切支丹禁制の高札をみました。

 定(さだめ)一、切支丹宗門之儀是迄御制禁之通固ク可相守事(キリシタン宗門の儀はこれまで通り固くあい守るべきこと)一、邪宗門の儀禁止の事(邪宗門の儀は固く禁止そうろうなこと)慶応四年三月太政官

 キリシタン禁制の高札としては多少の違いがあるものの、同じ慶応4年、1868のあちこちに残っている高札と内容は同じです。島原の乱以降、極端にキリシタンが圧迫されたご時世の中でもこの地区は切支丹に好意的だった織田信長のお膝元だけに、私としては宗門改めは比較的おだやかだったと考えたいのですが、幕府が宗門改めの専任の役人をおき、高札管理を厳しくするように諸大名に号令したのが寛文4年(1664)からだといいますから、彼の死後80年、もう信長の効き目はなかったでありましょう。

 ところでこの高札がどこの高札場にあったものかは確認できませんでしたが、私は「五郎丸」あたりではなかったのかと想像します。ここからは知ったかぶりで申しわけありませんが、いまの岐阜市や一宮市あたりは信長以来キリシタンの多い土地柄だったようです。とくに犬山市の五郎丸あたりに信者が多かったと聞きますから。車窓から五郎丸の地名標識を見たときにこうヒラメイタのです。

 犬山といえばのちに犬山城主になる尾張藩家老だった成瀬正虎がキリシタンだったので弾圧に手心を加えていた尾張藩が1659年、正虎死後このあたりを厳しく取り締まるようにして何十人もの検挙者を江戸や名古屋に送ったといいます。

 ところで、この高札の掲示された慶応四年といえば1868年です。その4年後の明治5年、1872に岩倉使節団がアメリカをはじめフランス、イギリス、ベルギーなど行く先々で日本のキリスト教禁教を責められ、信教の自由を説かれて頭をかかえた話は有名です。高札のことが宣教師を通じて本国に伝わっていたのです。しかし、晴れて日本で信教の自由が具体化したのは明治22年、1889大日本帝国憲法の発布まで待たねばなりませんでした。





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明治村で活版印刷機発見

2015-11-27 10:28:39 | 活版印刷のふるさと紀行

 神田川大曲塾の秋季研修旅行で「明治村」に行ってきました。最初に訪ねたのは学芸員の中井彩子さんのレクチュアに刺激されて村内地図と首っ引きで明治村4丁目の鉄道寮新橋工場(機械館)でした。

 明治村は今年で50周年、開村当初とは比較にならないほど展示されている遺構建物も展示品もコース設定やインフォメーションも充実していました。さすがと名鉄さんの社会貢献と感服した次第。

 さて、目的の鉄道寮機械館は明治5年にほとんどの建築材料をイギリスから輸入してイギリス人技師の指導のもと建てられたものです。いわゆる「新橋ステーション」の機関車修復所のプレハブ建物を再現したものらしいのですが、機械館の別名どうり、館内には明治時代の機械類が展示されておりました。

 紡績工場で使われていたリング精紡機や菊のご紋章つきの平削盤のような重要文化財にまじって明治生まれの活版手引き印刷機が展示されていたのですが、これは文化財ではありませんから少々肩身が狭そうでした。

 たしかミズノ・プリンティング・ミュージアムにあったと思いますが、築地活版製造所が月島分工場で明治42年に製造したロール機械の停止円筒式活版印刷機でA半裁判、8ページ掛け、説明板には札幌の鉄道局で使われていたとありました。手引き印刷機ではありますが、弾み車をつけて人力でハンドルを引っ張って回すこともあったかもしれません。 そのすぐ隣にめずらしい乗車券の印刷機もありました。




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未来の あたりまえをつくる。

2015-11-01 07:54:01 | 活版印刷のふるさと紀行

 

 この1週間は読書週間であったり、「文字・活字文化の日」があったりしているのに、ハロウィーンの百万分の一ほども盛り上がりがありません。当然といえば当然ですが、私のように印刷文化の研究者にとっては歯ぎしりしたいような気持ちです。

 ところで、最近、DNP、大日本印刷の未来のあたりまえをつくるというテレビコマーシャルにときどき遭遇します。1.知とコミュニケーション2.食とヘルスケア3.住まいとモビリティ4.環境とエネルギーという4つの領域でDNPは未来のあたりまえをつくっていきたいという企業のありようを標榜しているのです。

 大日本印刷の創業は1876年、明治9年です。おそらくこの140年の社歴の中でほぼ100年は活字や画像を紙の上に印刷する「印刷」が同社の主要業務でありました。それがシャドウマスクやフォトマスクで代表される印刷技術を応用した領域への進出に始まって上記のような「未来のあたりまえをつくる」企業に変身しつつあることは頼もしいと思います。

 ところが現在、印刷産業は企業数も出荷額もかなり下降線をたどっております。メディアの変貌がどうしてもいわゆる従来型の「印刷」に影響を及ぼしてしまったからです。統計で見ますと、日本でもアメリカでも印刷機の稼働率は30パーセントくらいです。稼働率をあげるために通販印刷の会社から仕事を受注する方策をとっている会社もありますが、そうすると自社の営業力が低下するという悩みが出てきてしまうようです。

 いまや印刷産業全体で将来ビジョンに真剣に取り組むところにさしかかっています。未来のあたりまえをつくるコマーシャルをみながら考えさせられます。

 

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