活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

祖父江慎+コズフイッシュ展

2016-01-23 19:05:08 | 活版印刷のふるさと紀行

 先週 の雪がまだところどころに残っている日比谷公園を抜けて日比谷図書文化館で開催されている「祖父江慎+コズフィッシュ展をみてきました。

 まず、会場正面の柱に巻き付いているいかにも祖父江調のイラストポスターが見慣れた日比谷図書文化館の顔を全く変えているのに快哉を覚えました。

 そして会場へ一歩足を踏み入れて真っ先に感じたのは祖父江慎さんのブックデザインの主張であり、哲学であり、訴えを饒舌に語りかけてくる空間であることでした。

 個人的にいいますと彼との出会いは吉田戦車本でした。正直ちょっと戸惑った記憶があります。と、いうよりもたじろいだといった方がよいかもしれません。少なくとも、私が在籍した出版社の編集室では絶対に見られないブックデザインだったのです。

 それが今回の展覧会では見事に質・量ともにすばらしい力感と説得力で観客を祖父江パワーでつつみこんでしまうのです。コズフィッシュを主宰されて30年近くなるでしょうか。すばらしい祖父江慎さんの歩み展といえそうです。会期は3月23日まで。



 

 

 

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初詣では池上本門寺

2016-01-11 12:31:50 | 活版印刷のふるさと紀行

 印刷文化史研究グループ神田川大曲塾恒例の七福神めぐり、今年は「池上七福神」でした。東急の池上駅に集合して曹禅寺の布袋尊を振り出しに総勢16人でわいわいがやがや歩きました。

 七福神には入りませんが、池上とくればゼッタイ「本門寺さま」を初詣しなくてはと。

 名物のあの急な階段を避けて裏からズルして昇ったおかげで裏手にある日蓮上人が荼毘に付された処として国の縦横文化財になっている「宝塔」と対面することができました。

 日蓮がここで亡くなったのは1282年(弘安5)10月のことで、病気治療のため身延山から常陸の温泉に出かける途中だったといいます。力道山のお墓のあることや五重塔やお会式の万灯練供養のことはしっておりましたが、またしてもおのが知識不足を嘆くことしきりです。

 それにしても快晴、高い建物が少ないので全方位青空がみられて、魚眼レンズで撮りたくなるほどでしたし、帰りに立ち寄った蒲田のガード下の飲み屋のスジ肉の煮込みのうまかったこと。

 

 

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いいニュースがある年に

2016-01-09 10:10:25 | 活版印刷のふるさと紀行

 北朝鮮の水爆発射、国際的な株安、2016年も不安含みのニュースで幕を開けました。昨年もISの跳梁、テロの続発、自然災害などなど暗いニュース頻発の年でしたが、私がひきつけられた2つの明るいニュースもありました。

 ひとつはYS11以来の日本のジェット旅客機実現、もうひとつは自動車の自動運転の公道実験成功でした。そのわけは、前回書いたように少年時代勤労動員で飛行機工場にかりだされ、劣悪な作業空間で鋲打ちと格闘した経験から、その同じ系列の会社でこうした快挙がなされたことはどんな工場環境から生まれたのだろうかの興味から。自動車の方は「右は大昔から右だ」などの指導員の罵倒を受けて教習を受ける必要はもうなくなるなということからでした。

 今朝の報道によりますと自動車の方は2020年には自動運転車が市場にお目見えするというではありませんか。文字どうり「自動車」になるのです。

 そういえば、昨年のニュースでこれからロボットや人工知能によってこれから先10年から20年の間に姿を消す人間の職業がたくさん出るとありました。東京オリンピック以降でしょうが、どのような変化がもたらせるか楽しみです。

 さて、これはサルはサルでも永井一正さんのモダンなサルです。

いいニュースがたくさんもたらされる年だといいですね。

                                     

 

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申歳だというので

2016-01-06 09:55:51 | 活版印刷のふるさと紀行

 遅ればせですが2016年開幕おめでとうございます。そして、この私は、何度かめの年男であります。

 サルというと、干支では「申」に違いありませんが、私はどうしても「猿」という字を思い浮かべてしまいます。なぜでしょうか。

 かつての戦争中、疎開した先きが猿投(さなげ)という地名でした。いまは豐田市に入っておりますが、愛知県の奥の院、家康のふるさと松平と同じ程度の僻地でした。

 朝、6時24分猿投駅発の三河線の始発に乗るために5時半に家を出て4キロ強の道を駆け足です。加納というぶらくのはずれにある猿投神社の一の鳥居をくぐるときにククッと山鳩が鳴いていたものです。そののどかな山里から向かったのが動員先の飛行機工場でした。

 昨年、その猿投駅から名鉄電車に乗りました。今は名古屋の地下鉄が乗り入れていますから名古屋まで一本です。懐かしかったけどチョッピリ違和感がありました。

 ところで、この写真のサルは「卯三郎こけし」の新作でかわいいと評判だそうです。

 

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