活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

天正遣欧少年使節の肖像画の話

2016-08-11 14:11:10 | 活版印刷のふるさと紀行

 暑いときは難解な本に取り組むのに限るというわけでもないのですが、「経済学古典の将来とその受容」というタイトルの京都大学の松田 博先生の著作を書棚から取り出しました。サブタイトルに━スミス『国富論』初版、マルクス『資本論』初版の所蔵状況を中心に━とあります。

 以前、私が千々石ミゲルの本を出すとき表紙のデザインにミゲルの画像がほしくて、京都大学の図書館所蔵の天正遣欧使節の図像の使用許可をいただく斡旋を松田先生にお願いしたのがお目にかかったさいしょでした。

 松田先生は古典籍研究会でも活躍しておられ、その後もいろいろ教えていただきました。その中でとくに参考にさせていただいたのは、少年使節が滞欧中、あるいは帰国直後に彼らに関する書物はヴァリニャーノが書いて使節たちが帰国する途中でマカオで出版した「遣欧使節対話録」以外、日本で出されたものは一冊もありません。おそらく切支丹弾圧の影響もあったのでしょう。

 それに対してヨーロッパではローマ、ヴェネチュア、ミラノをはじめ各地で、使節がローマ法王の謁見を受けた1585年から16世紀中に日本の使節もの約80冊は出版されているといい、それらの書物の表紙だけのコピーを先生から頂戴したときは本当に驚きました。いかに、日本の少年使節の到来が当時のヨーロッパではセンセーショナルな出来事であったかです。

 ところで、この有名な少年使節の図版ですが、ドイツのアウグスブルグで印刷された木版画で、京都大学の第11代総長浜田耕作博士がオランダのナイホフ書店で購入、所蔵されていました。1952年にご子息が京大図書館に寄贈されたといいます。

 かなり高額な買い物だったらしいのですが、━7月25日ミラノ到着、8月3日出発の日本王侯㈣青年の来往━という記述があるそうですが、この肖像画のひとり、ひとりの名前が入っていたわけではありませんから、確定にいたるまで、かなり悶着があったようです。

 ちなみに、中央は使節の補導役のメスキータ司祭,上段右が伊東マンショ、左が中浦ジュリアン、下段右が千々石ミゲル、左が原マルチノです。少年使節はドイツに行っておりません。オランダとも縁はありません。なのに、アウグスブルグの新聞がどうしてこの肖像画入りで記事にしたのか知りたいし、オランダの書店が高値で売ったのかも知りたいものです。この木版画を印刷したのはアウグスブルグのミヒャエル・マンガーで1586年とのこと。

 




 


 

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リオの思い出

2016-08-06 16:57:14 | 活版印刷のふるさと紀行

 いよいよ、今日、はじまりました。カラフルな開幕イベントをテレビでみながら無事に五輪が開会出来てよかったと思いました。ブラジルの政局不安、経済の混乱、開催都市リオの治安悪化、選手村のトラブル、ロシア選手団の問題などなど心配な出来事があまりにも続いたせいです。

 リオへは一度だけ行きました。印刷関連の国際会議にはコンプリントと世界印刷会議の2つがありましたが、たしか世界印刷会議の会場にリオが選ばれたときです。ロス経由で36時間かかりましたが、治安は今より良かった気がします。

 それでもこんなことがありました。ホテルはビーチ沿いで当時は日本のA建設の経営でなにかと快適でした。ただ、会議場のホテルのトイレで現地の屈強な青年3~4人に取り囲まれて、あわやの思いをしました。たまたま、どやどやと会議のメンバーが数人固まって入って来てくれたので事なきを得ましたが。

 会議の打ち上げのパーティでホステス役のブラジルの女性と組んで踊ることになりました。豊満なで均整の取れたボディ、ちょっと浅黒くて彫りの深い顔、豊かな髪。実に魅力的でした。が、いかにせん、背が高いのです。向き合って踊ると彼女の胸が私の眼鏡をこするのです。なんだか、女性というよりはカモシカと組んで踊っているような気がしたものです。

 それとリオは夜景がきれいでした。小高い丘にキラキラ無数の電飾が光っているのです。「あれは貧民街の裸電球なのです。実はあのちょっと暗い方は高級住宅街でひと筋離れて向かい合っているのです」と説明を受けました。翌日、街を歩くとビル建設が盛んでしたが、足場がみんな木製なのにはおどろきました。テレビで見る限りビーチは変わっていませんが、町並みはすっかり近代的になったようです。(写真はNHKのテレビの画面から)

 

 

 

 

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筑波宇宙センターを見学

2016-08-04 13:32:50 | 活版印刷のふるさと紀行

 車からロケット広場の50メートルもあるH-Ⅱロケットが視界に飛び込んで来て、実物の迫力に圧倒されるところから見学がはじまるのです。テレビでさんざん見ているくせに現物ははじめて、宇宙服も見慣れているのはテレビの上だけ、実際に目の当たりにすると「なるほど」と、妙に親近感をおぼえました。

 筑波研究学園都市の一画に約53平方メートルとたっぷりの敷地にこの宇宙センターが出来たのが1972年だといいますから、われながらいかに宇宙オンチであることか。

 見どころは「スペースドーム」という展示館。日本の宇宙開発の中枢JAXAの沿革と現在を全部で10のコーナーで見ることができます。個人的には国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の実物大モデルでした。人工衛星による宇宙利用でどのような未来が人類にもたらされるのか、理系オンチの典型みたいな私にはなかなか理解できませんでしたが、期待するや大です。

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すばらしい南島原市のメッセージ

2016-08-04 01:12:55 | 活版印刷のふるさと紀行

 これはザビエルに遅れること30年、1579年に来日していまの長崎県南島原市口之津港に上陸したアレサンドロ・ヴァリニャーノのブロンズ像です。

 すでに何度かこのブログで紹介していますし、ご存知の方が多いと思いますが、ヴァリニャーノこそ日本にグーテンベルク方式の金属活字を使う活版印刷をもたらした大恩人です。

 彼のふるさとはローマから300キロ離れたキエーティ、450年以上たった今、故郷が生んだ偉人ヴァリニャーノの生家跡が市役所になっていて、その正面に口之津と同じ彼の像が鎮座ましますといいます。つまり、口之津のはレプリカなのです。口之津開港450年にこの像が贈られたことでわかるようにヴァリニャーノを絆にして南島原市とキエーティ市の間に深い友好が重ねられています。

 実は先日、以前から親しくさせてもらっている加津佐の教育委員だった松藤さんに連絡をとったところ即刻、貴重な返信をいただきました。なかでも「平成遣欧使節がみたヨーロッパ」というCDにはすっかり惹きつけられました。伊東マンショや千々石ミゲルら4人の天正遣欧少年使節のあとを追って南島原市が8人の中学生をポルトガル・イタリアに派遣したのです。ローマ法王の謁見を受けるヴァチカンでの貴重なひとときをはじめ、430年前に天正少年使節が辿る「平成使節」の様子に釘付けになりました。

 私自身も2度訪ねたところが多いということを懐かしさもありますが、天正使節も訪ねられなかったキエーティまで旅程に組んであることには感心しました。

 それだけではありません、南島原市は有馬のセミナリヨの再現授業を行ってラテン語でグレゴリオ聖歌を歌うような経験を中学生にさせています。このセミナリヨのあった日野江城や島原・天草の乱のあった原城なども地元ですし、長崎教会群はもちろん長崎もおとなりです。こうした歴史環境を生かした教育は南島原市の発するメッセージ、いきいきとした情報発信として素晴らしいものです。

 なお、口之津のヴァリニヤーノ像は松藤幸利さん撮影のものす。

 

 

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文字ハンター 浅葉克己さんと中西 亮さん

2016-08-02 05:26:05 | 活版印刷のふるさと紀行

  あなたは世界に文字がどれくらいあると思いますか。実は私も知りません。『世界の文字とことば』〈河出書房新社)によると、世界にはおよそ5,000から7,000の言語があって、文字の数となるとせいぜい、その100分の1以下で、その歴史はさかのぼること5,000年がいいところとあります。 

 つい、先日,浅葉克己さんの講演会が日本橋のAGCスタジオでありました。浅葉さん自身が文字ハンターの]有名デザイナーで、トンパ文字を使った意欲的な作品に私自身が惹かれておりますし、その日の講演がこれまた、日本で世界の文字に関する大権威、故中西 亮さんと二人で文字を求めて世界を旅をした話と聞けば絶対に聞き漏らすわけにいきません。

 講演はトンパ文字のような絵文字はもちろん、アルファベットのような表音文字、漢字のような表語文字のいろいろについて笑いを誘う軽妙な浅葉節の楽しい2時間でした。中国殷の甲骨文字の現物やインドのデーヴァナーガリーの新聞を聴衆に手にとって見られたのもうれしい試みでした。

 中西さんとは私が「活版印刷紀行」の取材で京都の中西印刷にお邪魔したときに古い印刷物などをまるで魔法つかいのように次々に取り出しては長時間つきあってくださったし、浅葉さんとはGGGでお世話になること何十年ですから、お二人の文字ハンティングの旅に思いをはせることしきりの講演会でもありました。念のため主催はLIXILでした。

 

 

 

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第33回 DNPふれあい音楽会

2016-08-01 18:48:44 | 活版印刷のふるさと紀行

 暑い日でした。でも会場は隅田川の終点、東京湾につながる勝どきトリトンの中にある第一生命ホール。海辺だから良しとするかです。トリトンには気に入った酒房やインテリア・ツールの店があるのでときどき足を向けるのに、第一生命ホールははじめて。2階のフロアからエスカレータでぐるぐる昇らないと行けないとは初めて知りました。ちょっと、おっくう。

 しかし、音響効果もいいし、観客席のレイアウトもゆとりがあって、さすが音楽専用のことだけはあると感心。33回の本日満席。2月に紀尾井ホールであった第32回はヴェルディの歌劇でしたが、今回は第1部が混声合唱で「鷗」、「河口」スメタナの「モルダウ」など水辺につながるもの。美しく、すずしげな合唱に好印象をもちました。第2部は本日のメイン、アントニン・ドヴォルザークの交響曲第8番ト長調作品88でありました。

 入口で手渡されたプログラムの表紙がチェコ、プラハのカレル橋のカラー写真でした。スメタナもドヴォルザークもここチェコがふるさと、それにモルダウ川とくればいかにもらしい選択。余分なことですがカレル橋とくれば私にも思い出があります。長さ500メートルのこの橋をイエスだ、ザビエルだと聖人像を見上げながら2往復もし、最後は立ち止まって川面を泳ぐ白鳥に見入っていた日のことを。

 それはちょうどDNPフィルハーモニックの揺籃期だったと思います。まだ、まるで高校の部活の演奏のようで必ずしも大拍手とはいきませんでした。あれから幾星霜、それが、今日のような大編成ですばらしい音のハーモニー。合唱団にもこころ打たれました。それとアンコールにこたえたテレビ「真田丸」のテーマ曲も予想外で聴衆は大喜びでした。

 いつもご案内くださるチェロ奏者の高橋 正さんに感謝、そろそろご定年かと思いますが、社業でかくかくたる成果をあげながら、片や企業フィルでの長年のご活躍、頭がさがります。

ところでモルダウ川は今は「ヴルダヴァ川」と呼ぶことになっているそうです。

 

 

 

 

 

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