最近の『週刊文春』には首を傾げますが、月刊の『文藝春秋』は中身はもちろん、サイズといい、厚さといい、付き合いの深い馴染みの店みたいな親しみを覚えます。私自身も95年とはいかないまでも、その半分に近い年月、なじみを重ねてきた一人です。
新年特別号は大型企画と銘うって「文藝春秋を彩った95人」が目玉。前編が司馬遼太郎からはじまって山本七平まで34人で81ぺージ、後編が昭和天皇から篠沢秀夫まで35人で59ぺージ、これだと69人ですが、「文藝春秋と私」と題する立花 隆から柳田邦男まで43ページの特別寄稿26人があって95人になる勘定で1冊の中で150ぺージにも及ぶ大特集でした。大正12年の創刊から平成に至る95年間に文藝春秋誌上で活躍した各界の人たちが登場しているからのついつい読まされてしまいます。
ただ、個人的に心ひそかに生じた不満はこの大型企画の中で担当編集者の話は出て来ても、印刷担当者や印刷について触れる場面はひとつも出てきません。
雑誌ほど印刷担当者のカゲの力に負う印刷物はないと思われます。あまたおられる遅筆作家や評論家先生のために生じたロスタイムを必死で埋め、書店の棚に発行期日どうりに雑誌を並べるためにどれくらい印刷担当者が無理をしなくてはならないか。私は目の当たりにしています。大正・昭和の時代と現代、平成のデジタル印刷技術とは格段に違います。しかし、出版社と印刷会社の雑誌の仕上がりと時間との共闘には今も変わりはありません。印刷にも光を。