老鶯のなくを聞く何となく寂しい老いの身にひしひしと迫りくる寂しさよ。生きる事の
難しさよ日々身を削る思いであるこの声を聴くと一日一日がむなしい。
身を削ずられる思いである。
此の所毎日風が強く黄砂の飛び交うにゅうすばかりである。
春の訪れか?コロナウィルスの騒ぎと相まって世の中は騒然としている。
早く落ち着いて欲しいものである。
人とは弱い者で内に閉じこもって居るより手が無いものか予防接種に頼る。
何か儚いものである。
秋は寂しい田圃の持ち主がいないのか隈なく荒れた田圃の風景ばかりが目に映る。
寂しい寂しい何か心に穴が開いてしまったような気がする中には大型機械が入り田圃を宅地に変えている。
寂しい皆老いて手放なさければならなくなったのだろう。
寂しい限りである。生きるためには仕様が無いのかもしれない。
今年の夏はばかみたいな感じである。夜になるとコウロギの声が聞こえるが熱い毎日が続いている。
世間はコロナの騒ぎで毎日世間を騒がしている。
速く通常の生活に戻りたいものである。
虫は確実に秋を告げているまた大きな台風が甚大な被害もたらした。
コロナウィルスと両天秤とは全くやりきれない早く正常な状態になってほし。
今年の夏は本当に狂っている。
日照りが続き何もできない状態が続いていたかと思えば雨が降り続いて何も出来ない
本当に参ってしまう。
其れにコロナウィルス騒動である変な年であった。
此の所毎日風と雨で野菜るいは全滅状態である。
雨はその割でわないが風には手の施しようようがない自然の前には人の力は微々たるものである。
なんとも侘しいてをこまねいてみているより仕方がない。
人なんて弱いものである。
朝早くからから飛び交う燕よいずこより来りていずこに去るのか彼らの帰巣本能は計り知れない。
人間にはかような能力はない認知症になったらどうなるだろう。
心細いものである。私も其の年齢になってしまった。
果たして何処まで耐えられるものか!
朝速く散歩に出るカルガモの親子が飛び立つ、また鶯の鳴き声も聞こえる全く賑やかである。
ヨシキリの甲高い声も混じって気持が和むとゆうか小鳥の騒音の中にいるようだ。
何であれ変な気持ちになる周りの農家が高齢化して田畑を荒らししまったからやぶの中から食用ガエルのいやらし鳴き声が
聞こえる何やらおおうらかさを超え侘しい感じになる我が身をらっぷしてしまう。
近頃は毎日コロナウイルスの騒ぎで室内の開放外出を控えを控える。
完全に振り回されている。
老い先の短い我々はどうしたらいいのかわからない速く何とかならないものか?
毎日内にこもってストレスがじゅうまんしている。
速く何とかならないものか?