歴史の教科書にも出てくる出島。
長崎の観光で出島に行ったことがなかったし、観光ガイドにも出島観光というのはオススメがない記憶。
でも、路面電車に乗ると出島はあるので、出島に行ってみることに。
長崎市は、昭和26年度から出島の整備計画に着手し、史跡内の民有地の公有化や施設整備に取り組んできたとのことで、どうやら出島一度は消滅した??
出島は一度消滅してしまいその後、復元工事が行われていたようです。
出島は海に面しているとばかり思っていて、出島ワーフとか出島メッセの近くにあるのかと思いきや、新地中華街からすぐなのでした。
出島の表門。
長崎市の国史跡「出島和蘭(オランダ)商館跡」で、江戸時代に島と対岸を結ぶ唯一の橋だった「表門(おもてもん)橋」は約38メートルあり、2017年に約130年ぶりに復元されたそうです。
出島は以前から出入りできるスポットではあったけれど、観光客向けに整備されてなかったため、出島観光はそれほど推してなかったのかもしれません。
本来、出島は狭い場所であり、復元されても狭いことに変わりはないのです。
本来、出島は狭い場所であり、復元されても狭いことに変わりはないのです。
オランダと言えばのミッフィ。
私はオランダでミッフィミュージアムにも行ってきましたが、日本のサンリオピューロランド的で大人女子一人の私は完全に浮いていました。💦
出島がもともとここにあったのか、それともこの場所に移設して作られたのか??
江戸時代の海だったところを埋め立てたのか。
歴史を感じる門。
江戸時代のミニ出島。
出島は幕府によって1634年(寛永11年)から1636年にかけてポルトガル人を管理する目的で建設された、人口の島で周囲は海だったそうです。
明治以降は、長崎港の港湾整備に伴う周辺の埋立等により陸続きとなり、扇形の人工島であった頃の面影は失われたのだそうです。,m
オランダ商館、平戸から出島へ。
寛永16年(1639)、ポルトガル人は出島から追放され、築造されたばかりの出島は無人の地となったそうですが、寛永18年(1641)には平戸からオランダ商館が移転されたとのこと。
オランダ商館、平戸から出島へ。
寛永16年(1639)、ポルトガル人は出島から追放され、築造されたばかりの出島は無人の地となったそうですが、寛永18年(1641)には平戸からオランダ商館が移転されたとのこと。
平戸のオランダ商館も行ったことがありますが、そのときはなぜ、平戸にオランダ商館があるのがよくわかってなかったのですが、なんとなくわかってきました。
出島は安政の開国までの約218年間、西欧に開かれた唯一の窓として、日本の近代化に重要な役割を果たしたそうです。
出島の後ろには長崎に本店のある、十八親和銀行の本店が見えます。
十八銀行と親和銀行が合併して十八親和銀行になったのですが、長崎と言えばの地銀。
その手前は教会?
長崎の「和華蘭文化」は出島から。
17世紀前半から中国との貿易を独占的に行っていた長崎港。来航した唐人たちは、長崎市中に散宿していたそうですが、密貿易が増加したため、幕府は1689年、出島のように唐人達を収容する唐人屋敷を建設、唐人収容が出島の始まりとのこと。
出島のオランダ、唐人屋敷の中国、そして日本の文化が混ざった長崎独自の「和華蘭文化」が生まれたのです。
出島のオランダ、唐人屋敷の中国、そして日本の文化が混ざった長崎独自の「和華蘭文化」が生まれたのです。
出島 dejima
〒850-0862 長崎県長崎市出島町6-1
電話番号 095-821-7200
FAX番号 095-826-0335
営業時間 通常8:00~21:00 ※最終入場20分前まで
休日 年中無休
料金 大人520円、高校生200円、小中学生100円
交通アクセス 長崎駅前から路面電車(崇福寺行)で約5分、出島下車徒歩すぐ
電話番号 095-821-7200
FAX番号 095-826-0335
営業時間 通常8:00~21:00 ※最終入場20分前まで
休日 年中無休
料金 大人520円、高校生200円、小中学生100円
交通アクセス 長崎駅前から路面電車(崇福寺行)で約5分、出島下車徒歩すぐ