JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

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TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

Annaberg Sugar Plantation 製糖工場

2011年11月27日 | カリブ

Annaberg Sugar Plantation
アンナバーグ 製糖工場

18世紀から19世紀にかけて、
カリブ海の島々で隆盛を極めた砂糖の生産 ・・

アンナバーグ 製糖工場跡は、
セント ジョン島に残る往時を偲ぶモニュメントです。



セント ジョン島は、
セント トーマス島に続いてデンマークの領地となりました。

強い陽射しと肥沃な土地は砂糖キビ栽培に適し、
島は瞬く間に砂糖キビで埋め尽くされました。



当時、ヨーロッパで消費される砂糖の 70パーセント以上が
カリブ海の島々で生産されていました。



19世紀に入ると、
イギリスやフランスなどが
カリブ海における砂糖生産で台頭しはじめ、
デンマークの独占利益は減少していきます。
また、貿易や商業へと植民地の役割が移行していき、
セント ジョン島の砂糖生産は終焉を迎えました。



1917年、セント トーマス島と同様にデンマークからアメリカに
金銭譲渡されたセント ジョン島 ・・



島の多くの部分はロックフェラー財団が買い取り、
財団の所有地となりました。



石油で巨万の富を築いた
John Davison Rockefeller, Sr
ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア (1839年ー1937年 )
の孫
Laurance Rockefeller
ローレンス・ロックフェラー (1910年ー2004年 ) は、
1956年、
所有地のほとんどをアメリカ合衆国国立公園局に寄付しました。



寄付の条件は環境保護 ・・



以来、セント ジョン島の美しい自然は守られています。



遥か昔、南米から船で渡ってきた先住民が暮らした島 ・・
ヨーロッパからコロンブスがやってきて、
島は砂糖キビの島に変わりました。
甘い蜜の栽培のために先住民が駆り出され、
先住民は、
過酷な労働とヨーロッパからもたらされた伝染病で滅びました。
次に、アフリカから奴隷が連れてこられました。
その数は、カリブ海全体で延べ 1000万人ともいわれています。



島は、何事もなかったかのように穏かです。

すべては、波が洗い流してしまったのでしょうか ・・

jfk-world
























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