メガリス

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龍馬伝説「亀山社中設立伝説」はウソである。「亀山社中日本初商社伝説」もウソである

2015年03月17日 00時44分42秒 | 幕末維新

 “坂本龍馬が「亀山社中」を設立した”という龍馬伝説「亀山社中設立伝説」はウソである。また“「亀山社中」が日本初の商社である”という龍馬伝説「亀山社中日本初商社伝説」もウソである。

 後世に「亀山社中」と呼ばれるようになった集団は薩摩藩家老 小松帯刀によって「設立」された。
 慶応元年(西暦1865年)五月に薩摩に滞在していた坂本龍馬ら土佐浪人一党のうち、坂本は他の浪人仲間より先に薩摩を発ち熊本・大宰府を経由して長州に入った。(薩摩と長州の和解連携は他ならぬ薩摩が構想し小松帯刀・西郷隆盛達が中心となって工作を進め実現したもので、薩摩の庇護下に入った坂本龍馬らは西郷・小松帯刀らの指示を受けてその工作に関わった。この時の坂本の行動も小松・西郷達の意を受けてのものである。“坂本龍馬が薩摩と長州の手を結ばせることを発案し、彼が仲介して気乗りしない両者を説得して実現した”という龍馬伝説「薩長連携発案仲介伝説」はウソである。
 龍馬出立後、彼を除く土佐浪人らを長崎へ連れて行き海運の仕事の道筋をつけてやったのは薩摩藩家老小松帯刀である。(龍馬らには操船技術はあっても船その物や海運業についての知識・人脈等は無い。それを持っていたのは薩摩である。)
 長崎に居なかった龍馬は「亀山社中」の「設立」には関わっていない。

 「設立」経緯などよりも重要な事だが、「亀山社中」は独立した会社・商社のようなものではない。
 正式な薩摩藩士ではないが薩摩に雇われ薩摩藩から給料をもらっている、現代の言葉で例えるなら臨時職員の集まりだ。勤務地が長崎で仕事が海運だったということだ。「亀山社中」には会社・商社と呼べるような実態は無く、“「亀山社中」が日本初の商社である”という説を唱えた当人が後にそれを撤回している。

 「亀山社中」という名称は後世になって創作されたもので、当時彼らは自分たちを単に「社中」と呼んでいた。現代なら「仲間」「グループ」という程度の意味の当時は普通に使われた一般的な言葉だ。独立した組織らしい名称が無かったので、便宜的にそういう呼び方が使われていたわけだ。秘密結社でもあるまいし世間様に対しちゃんとした名前を名乗らないというのは、彼ら「社中」が実は薩摩藩という組織の一部であり、当人達もそういう意識を持っていた証拠だ。

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