5月14日 午後 シュノンソウ城を後にして、北フランス ノルマンデイ地方にあるモン・サン・ミッシェル(Mont St -Michel)まで長距離バス移動。見学の修道院の閉館が18:00とのこと、間に合うか皆で心配。17:20頃 到着・安堵。日本人が大好きな世界遺産第2位にランクされている
TVや雑誌で見た憧れのモン・サン・ミッシェルが視界に入ってきた。
海に囲まれた円錐形の地盤の上に立つ修道院は増築を繰り返し複雑な形に。昔は道が無く押し寄せる敵に対して難攻不落の要塞
島内に入ると跳ね橋がお出迎え。敵の侵入に備えた橋
修道院までの参道は、現在お土産屋さんの店が立ち並ぶ。ホテルも有りそこに宿泊した。
先ずは閉館までに高台にある修道院へ。下からみると物凄く高い。きつい階段を登る
塔の最先端。その下に聖ミカエル(St. Michel)の像(右)が
礼拝堂
下を見ると眩暈がするほど高い。下の駐車場の車が豆粒。今満ち潮で、潮が道の両側まで迫る。昔は道が無く波に飲まれ命を落とす巡礼者も多かったそうだ
回廊 ここは修道院の最上部にあり僧たちの瞑想の空間
柱の上部に施されたレリーフはノルマンデイ派の特徴を表している
夜10時ようやく日が落ちた。島がライトアップされると聞き、島の外に出て島全体を撮影。実に綺麗だ
その8(パリへ向かう)に続く
5月14日(月)ゆったりと流れるロワール川のほとりに見え隠れする美しい古城が点在する地方を訪れる。
最初に訪れたのは世界遺産 シャンボール城(Chateau de Chambord) ここはフランソワ1世(1494-1547)が狩猟のため作らせた城で、広大な森の中にある。最初に目に入った建物は教会
教会の石楠花が満開
シャンボール城 城は左右シンメトリーで構成されていて素晴らしい
城の中央の塔の下にあるルネッサンス様式の二重螺旋階段は、上る人と下る人がすれ違わない設計になっている。
この城の設計の素案はレオナルドダヴィンチだという説もある。この塔も
フランソワ1世が仕留めた獲物の剥製が部屋一杯
庭に女性の騎馬隊員 観光シーズンには人馬一体のショーがあるそうな
シャンボール城を後にシュノンソー城(Chateu de Chenonceau)向かう
16世紀初頭に建築されて以来、歴代の城主が女性だったことから「奥方たちの城」と言われる。
門を入って暫くするとスフィンクスの石像がお出迎え
バラの塀が綺麗
庭園が実に綺麗だ
庭園の向こうにお城が
シェール川にかかるシェノンソー城はおとぎの国に出てきそう
城塞として使われたマルク塔(右) シュノンソウ城(左)は後から作られた
その7(モンサンミッシェル)へ続く
5月26日(土) クラブの仲間と日光 高山(1668m)に登った。高山は戦場ヶ原と中禅寺湖の間に小さな盛り上がりを見せる山。スタート地点の竜頭の滝付近と中禅寺湖畔にはトウゴクミツバツツジが鮮やかに咲いていた。
スタート地点の竜頭の滝、残念ながらツツジと一緒に撮る時間が無い
山道に綺麗なアズマシャクナゲ 日に映えてまぶしいな~
コバイケソウの群落。花は一月後か
頂上はもうすぐ、最後の登りがきつい。上を見ると青葉が目に沁みる
歩くこと80分ついに頂上へ。 マイズルソウも新芽を出している
頂上のダケカンバは未だ新芽が出ていない。日光は寒さが厳しい所
樹間から日光白根山がかすかに見えた。未だ雪がある。来月登る予定
小休止の後下山開始。30分後に中禅寺湖面に到着。昼食後「中禅寺湖自然探勝路」を巡り、ゴールに向かう。ツツジが綺麗だ
ミツバツツジも満開・白ヤシオツツジとの競演だ
探勝路の高台より湖面をのぞむ
ゴールの菖蒲ガ浜の公園に咲く ヘビイチゴとニリンソウが迎えてくれた
次回は「フランス急ぎ足の旅」その6(ロワール古城めぐり)です
5月13日 アルルを出発、一路、後期印象派の画家セザンヌゆかりの地エクス・アン・プロヴァンスへ向かう。プロヴァンス地方の主要な都市として繁栄した町。
今日は日曜日、プラタナス並木が美しい通りでは蚤の市が開かれていた。
広場では野菜、果物の青空市場 美味しそうな果物がいっぱい
丁字路の壁にセザンヌの顔の入ったプレートが。道路にも”C"の入った金色プレートが埋め込まれていた。
サン・ソーヴール大聖堂 ロマネスク様式(右)をベースにゴシック様式(左)をプラス(右の建物と左の建物は下半分で合体している)
セザンヌのアトリエは鬱蒼たる森の中にある。彼の父親が金融業で財を成し、セザンヌに広大な土地を買ってあげた。
セザンヌが愛したサント・ヴィクトワール山 アトリエから数キロ離れた高台より遠望できる。その高台へ天気の良い日は歩いて出かけたそうだ(晩年は馬車を頼んで)
ここから眺めた山を何枚も描き残している。そのうちの一枚
セザンヌのアトリエ見学後、アヴィニヨンに戻り、フランス自慢の新幹線TGVに乗る。
アヴィニヨン駅構内はガラス張りでとても明るい。
反対側に列車が入ってきた
午後3時38分いよいよ北フランスへ 4時間後トウールへ到着。荷物車両が離れており、慌てて取りに行く
その6(ロワール地方の城めぐり)へ続く
5月12日アルルのホテルで早起きし朝陽を見て庭を散歩。9時過ぎローマ時代の巨大な水道橋として有名なポン・デユ・ガルへ向かう。
”早起きは三文の徳”ホテルの窓を開けると綺麗な朝陽が。近くに飛行場があるのかジェット雲が空に綾なす
庭を散策。モネの作品にあるような池
9時過ぎポン・デユ・ガルへ向かう。バスで走ること1時間。巨大な橋が見えてきた。古代ローマの水道橋。2000年の時を越えて現代に残る。
長さ275m、水面からの高さ49m。~実に美しい橋~
橋の下から上を見る(中段の右端から)。
中段の左端から。
おや!~空にハングライダーが
きれいなポピーの花 フランスの各地で見られた花
ポン・デユ・ガルを後にアヴイニヨンに。1309年フランス王とローマ法王庁とが対立、教皇クレメンス5世が、ここに滞在を余儀なくされた「アヴィニヨンの捕囚」の舞台となったところ。実質1377年まで「キリスト教界の首都」だった。
教皇のお立ち台
ローヌ川に架かるアビニヨンの橋(サンベネゼ橋)”橋の上で輪になって踊ろう”の歌で有名
午後はフランスの素朴さと自然豊かなユベロン地方へ
威容を誇るゴルドの街並み。眼下に畑が広がっている
街の石畳の路地に入ると中世の町に迷い込んだ錯覚に襲われる
可愛い女の子が鞠遊びに興じていた
峡谷の下にひっそりと建つロマネスク様式のセナンク修道院(1148年創設)。ラベンダーで有名だがまだ少し早いようだ
夕刻アルルのホテルへ戻る
その5(エクスアン・プロバンス)へ
5月11日朝 ニースを離れ先ずカンヌに向かう。カンヌではもうすぐ始まる第60回国際映画祭(5/16~27)の準備が急ピッチで進められていた。
会場入り口の歩道のタイルに有名映画人の手形。これは”黒澤 明”監督の手形(左)。この街では電話ボックスまでが映画のフィルムの形(右)
街中も花でお化粧サフィニアが美しい
カンヌを後に港町マルセイユへ
港には沢山のヨットが。リッチな人が多いのであろうか
昼食は名物ブイヤベース。味は今一だな~
昼食後港界隈を散策。丘の上に大きな教会。この街のノートルダム寺院
午後マルセイユを後にアルルへ向かう。ゴッホの絵”アルルの跳ね橋”の舞台として有名。
このヴァン・ゴッホ橋がモデルになったそうだ
傍にゴッホの絵の説明看板が
ゴッホの名作”夜のカフェテラス”の舞台も見に行く。昼なので感じが違う
これがゴッホの絵。それにしてもかなり実際の街並みとは異なるな~
この街にも、ローマ時代の紀元一世紀末頃建設された円形闘技場が
中に入り、高い観覧席から闘技場を撮影。かなり広いが、これでも中位とのこと。収容人員2万人。現在は闘牛場、オペラ、野外劇場に使用されている
その4(ポン・デ・ガール、アヴィニヨン)へ続く
城壁を見ながら港へ。
ここは漁港 新鮮な魚が豊富に獲れそう
街中をぶらり歩き。青いテント屋根のお店が有名なレストランだそうだ
坂の多い街 公園に綺麗な花が。タチアオイに似ている
世界で2番目に小さい公国・モナコへ到着。中高年の方には懐かしい名女優グレース・ケリーとレ-ニエ大公
ここは2人の結婚式が行われた教会(葬儀もここで)
有名な自動車レース・モナコグランプリも今準備の真っ最中。青のスタンドが観戦席。並木の道路を最高時速300kmで走るそうだ
レース開催の看板があちこちに
宮殿と衛兵
公国の海側は散策路。バレリアーナ花の下を見ると豪華なヨットハーバーが
大砲も今は見世物となっているが?平和な世の中~
海に面したところに小さな植物園。リュウゼツラン(左)右の花は不明?
本日最後の訪問地"鷲の巣村”エズ。標高427mの岩山に造られている
細い路地を頂上まで数百段の階段を登る。久しぶりの登山気分
下を見れば中世の面影が残る街並みと紺碧の地中海。眩暈(めまい)がしそうな高さだ
その3(カンヌ、マルセイユ、アルル)へ続く
5月9日午後成田を出発、フランスを南から北へ急ぎ足の旅をした。今まで訪れた場所は殆どがパリ近郊であったが、今回訪れた南フランスは別の趣があり楽しい、有意義な旅であった。
午後1時半頃英国航空で先ずロンドンに向け出発
ロシアの上空(イルクーツクあたり)を通過。未だ川は凍っているようだ。
ロンドンから乗り継ぎ、ニースへ
ニースは地中海独特の明るい日差しが降り注ぐ
街中は陽気な観光客で賑わう。誰でも気軽に声をかける”ボンジュール”
有名なシャガール美術館へ
聖書の教えに基づいた作品が多い。
美術館近くは高級住宅街。綺麗な南国の花(ブーゲンビリア)が見られる
アパートの窓にもゼラニウムの花が
再び海岸に戻る。気の早い観光客が泳いでいる
開放的な雰囲気が感じられる岸壁。目のやり場に困るな~
明るい太陽いっぱいのニースの港
その2(モナコ公国)へ続く
連休前半の快晴の日、森林浴と野の花に会うため、県立「房総のむら」を歩いた。
綺麗な八重桜が出迎えてくれた
色鮮やかなモミジの若葉に眼を瞠る。秋と見紛うばかりの 美しさ
モミジの枝にとまるヒヨドリも絵になる
散策道に黄色あざやかな花 キンラン
楽しみにしていたギンランは見つけることができず
参考※昨年撮影のギンラン
小さな花だが存在感あるコキンバイ
光の中のアマドコロはなんとも言えず美しい
山道をはずれて田園風景を眺める。田植えが済んだばかりの田圃
道に戻り歩き続け花々を観察~チゴユリが可愛らしい~
フデリンドウ。青い色が目にも鮮やかだ
足を伸ばして坂田が池に行った。亀が倒木に並んで甲羅干し
以上で「初夏の房総のむらを歩く」を終わります
都合で10日間ほどブログをお休みします。皆様への返事が遅れますこと
ご容赦ください
5月3日わが街の平岡鳥見神社(ひらおかとりみじんじゃ)で「獅子舞」が保存会によって奉納された。
獅子舞は、悪魔祓いと豊作を願って行われるもの。
舞人は氏子の青年男子が選ばれジジ(親獅子)、セナ(若獅子)、カカ(雌獅子)の3匹によって行われる。この獅子舞は昭和30年12月に、千葉県の無形民俗文化財に指定された
平岡鳥見神社入口
5月3日午後一時 巫女さんを先頭に入場
神主さんの祝詞で
舞人継承者への認証伝達式。親獅子、雌獅子、若獅子継承者に手渡される
3獅子が楽人の笛(笙)に合わせて舞う。舞は「初の切」「二の切」「弓越えの舞」「寝起きの舞」「三角の舞」「ミミズ拾いの舞」「けんかの舞」「仲直りの舞」で構成されている。一部を紹介する
けんかの舞か? ~ 獅子の顔アップ~
ミミズ拾いの舞か?
何の舞だろうか?
寝起きの舞
弓越えの舞(動きが速い)
以上でわが街探訪を終わります
4月24日の午前9時半、歩き始めてから1時間半後、目的地の明神池に到着。
観光客のいない池は静寂が支配する世界 ・・・・・
池の向こう側にアオサギがのんびり羽を休めている。随分遠いなあ~
往きは梓川の左岸の山道を、帰りは変化を求めて右岸の路を歩く
湿地帯の木道を歩くがまだ花さえも見つからない 。
木道の下には綺麗な流れが。ヤマメがいるが、カメラに写らない
途中餌探しに歩いている猿に出会う。こちらを気にしているようだ
正午ごろロッジに帰着、往復7km、心地よい汗を流した
昼食後、帰途に着く。その前にもう一度穂高連峰を撮影
オヤ?河童橋の近くで穂高連峰を描いていいる人がいる。上手だな~
帰りのバスが休憩のため寄った松本の道の駅の前に綺麗な菜の花畑。安曇野にも春がやってきたようだ
以上で「早春の上高地を歩く」を終わります。
4月23日上高地の宿に到着してから一時間ほど経った頃、穂高連峰にかかっていたガスがとれ輝く峰が姿を現した。
河童橋の手前から夕陽を浴びた峰を撮る(真ん中の平らが奥穂高)
ズームアップしてジャンダルム、ロバの耳(真ん中尖ったところ)、奥穂高を撮る(右側のなだらかな峰)。夕陽は画面の左から
その右には明神岳が
左側は西穂高方面
24日早起きして河童橋に出かけた。朝陽は画面の右から
焼岳も今朝は雲がない
今日も快晴。午前中に明神池までハイキングだ。雪道を元気に出発。
柳の芽が膨らみ始めた
綺麗な流れに出遭った。川底の水草がとても美しい
根が露出している。苔が朝陽に輝いて綺麗だ。
4月27日の開山を前に山道整備に拍車がかかる。”ご苦労様”と声をかけた
明神池に近付いた。こちらから見る明神岳も迫力がある
その3へ続く
釜トンネルを抜け上高地に向かう道路の交通規制解除前日の4月23日、ハイキングクラブの仲間と上高地に入り、一軒だけ営業の五千尺ロッジに泊まった。翌24日人気(ひとけ)の殆ど無い上高地を歩き、早春を満喫した。
4月23日午後釜トンネル前に集合。トンネル内を通り抜け、まず大正池を目指して歩く。現地ガイド(一番左:木村太郎さんは日本ガイド100人に選出)から、説明を聞く。
1.3km歩きトンネルを抜けると、あちこちに雪が見られた。ここは標高1,400m、まだ冬景色
木道を黙々と歩き、周辺の植物を見るもまだ芽が出ていないものが多い
森に入ると道に雪が残っており滑って歩きづらい。おっとっと!
やがて大正池と焼岳が見えてきた。大正池は土砂で埋まりつつある。昔の面影がないな~
上高地をリゾート地として世に紹介した、英国の宣教師ウエストンの碑
さらに梓川沿いを上流に向かって歩き続ける
春の兆しが木々の色に見える。これはケショウヤナギか
歩行3時間、本日の宿五千尺ロッジに到着。なつかしの穂高連峰が見えてきた。こちらは西穂高の方向か (河童橋から撮影)
こちらは奥穂高の方。少しガスがかかっているのが幻想的
その2へ続く