心の扉 神戸カウンセリング花時計

心理療法や催眠療法、ストレス解消や悩み等メンタルに関するもの、そして日常の出来事を自由気ままに掲載します。

川端康成

2021年07月10日 | 人物

 

ノーベル賞受賞作家の川端康成氏は、

23歳の時に16歳の少女『伊藤初代』と

婚約をしたのですが、

その関係は、プラトニックなまま

1ヵ月後には破談となりました。

 

 

二人の関係は、

婚約1ヵ月後に『初代』からの手紙で

別れを告げられ突然に終わります。

 

あまりにも不可解で

唐突な別れを告げられた川端康成は、

初代への想いを断ち切れず様々な努力をしましたが、

二人の関係は元に戻ることはありませんでした。

 

 

婚約後に撮影 康成と初代

 

川端康成は、初代から突然の別れを告げられたことの

衝撃の真相をある人から3年後に知ることになります。

 

そして、その後の様々なことから初代は、

川端康成のことを嫌いになった訳ではなく

むしろ好きだったことが伺えるように思います。

 

純粋ゆえなのか、想いが強すぎた故なのか、

もう少し自分に優しくあれば、

もう少し甘えることが出来たなら、

二人の運命は、

全く違ったものになっていたと思われるので

凄く残念に思うのです。

 

二人の気持ちは同じであったけれども

二人の歩む道は、

別々の道を歩んでいくことになるのですが

川端康成は、初代のことを長く想い続けていたようです。

 

二人の道が交わることはありませんでしたが、

遠く分かれたはずの二人の道が死後に交わります。

 

1948年に初代は、脳溢血で倒れ、

その3年後の1951年に44歳の若さで亡くなり、

遺骨は、文京区の十方寺に納骨されたのですが、

三男が1972年に鎌倉市の鎌倉霊園に墓地を購入して

母、初代の遺骨を十方寺から鎌倉霊園に移しました。

 

その年の4月16日に亡くなった川端康成の遺骨も

奇しくも鎌倉霊園に埋葬され、

二人の納骨日も同じ6月3日だったそうです。

 

互いに好き合っていながら

別れることになるようなことが有るかも知れませんが、

もう少し自分に優しくあれても、

もう少し甘えることが出来たとしても

幸せな未来が確約されている訳ではありませんが、

上の二人の様な別れは悲しすぎるように思います。

 

川端康成は、悲恋を経験することによって

作品に命が宿り素晴らしい作品を

生み出すことにもなるのですが、

『身体が重いと足跡も深くなる。恋心も強いと傷が深くなる。』

 

しかも一つの恋をしっかりと終わらすことが出来ずに

想いを持ったまま別々の道を歩んだ場合には、

その道の先にある幸せにも

良いとは言えない影響を与えるように思うのです。

 

 

 

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