タイに恋した男の物語

マンゴとカエルと共に暮らすのヒマ トックが日本に住所を移し
タイでの出来事などを思いのままに書いて行きます

 私の知ることが出来なかったイサーンの貧困家庭

2017年08月17日 01時00分00秒 | 旅行


 私はリビアの派遣の期間でも、りビヤ人の生活などに興味があり、色々な同じ職場のメカニックなどの、


 家に招待されたりして、興味深く観察するのが好きであった。


 タイに遊びに行きだしても、仲良くなった女性の住処を尋ねるのが、興味があり、


 家に案内して貰っていたのであるが。


 イサーン出身の女性と仲良くなり、どんな所に住んで、どんな生活をしているのか、


 興味がわき案内させて、部屋を見る事ができたのでるが、


 ラチャダー地域のマンションと言うか、門番が居る5階位の部屋に住んで居た。


 部屋に入るとベット、冷蔵庫、テレビ等がが有って、


 タイ人にしては良い生活をしているなと思ったが、


 部屋には窓が無いのである、窓のない部屋を見るのは初めてである。


 何か閉塞感を感じ、長いは無用と自分のホテルに帰ったのであるが、


 次に有った時、チェンマイを観光して、その娘の実家の近くの遺跡に行く事になっていた。


 チェンマイ観光の時、友達と言う観光案内人の夫婦と、同行する事になったのである。


 色々な名所は見て歩けたが、経費も思ってより掛かり、バンコクに帰っても、


 予定と違い向こうの思うつぼに、引っかかってしまっと思っていた、


 イサーンの遺跡旅行には、娘の実家に泊まる事になっていたが、


 姉が実家の親の面倒を見ているのだが、テレビや冷蔵庫も無いので、私が買ってやると言う話が付いていた。


 今考えれば馬鹿で甘い話であるが、その時は人を助けても良いと思っていた。


 だけど実家の姉から家には、泊まれないと電話が有り、ホテルに泊まって欲しいと言う事で有った。


 その後家に寄ってくれと言うのである。


 私はその時は状況を理解できなかった、多分私の事が気に入らないのだろうと思っていた。


 私はイサーンに行かないと言い、喧嘩となったが、約束の冷蔵庫とテレビを買うお金は渡した。


 娘一人でイサーンの実家に帰って行った。


 娘が帰るまでバンコクで待っているとの約束であったが、別の飛行機のチケットを買い、


 娘が帰るまでに日本に帰っていた。


 娘からは私が帰る正規の予定の日に、飛行場で貴方を探したがいなかったと、連絡が有ったが、


 勿論無視をしたので有るるが、今考えるとタイの貧困家庭の家は、


 外国人を泊める余裕も無い酷い所で有ったと、思うのであるが。


 縁が切れて、返って良かったと思うこの頃である。タイ・ブログランキング
コメント (8)
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