く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

〈枚岡神社〉 国の平安を祈願して「平国祭」

2024年05月22日 | 祭り

【「振矛の儀」に続き巫女による「矛の舞」も】

 東大阪市の枚岡神社で5月21日「平国祭」が執り行われた。通称「へいこくさい」と呼ばれているが、正式には「くにむけのまつり」。国の平安を祈願して毎年この日に行われている。

 祭典は午前10時に始まった。拝殿から宮司が祝詞を奏上。この後、本殿に安置されていた「平国矛(くにむけのほこ)」を使って「振矛の儀」が行われた。

 矛を地面に突き立てるように力強く垂直に突く。その動作を中央、左側、そして右側と3度繰り返した。儀式が終わると、矛は大切に抱えられ本殿前の祝詞舎の石段を上っていった。

 続いて巫女舞が奉納された。2人の巫女が通常手にする鈴に代わって矛を抱え、笛や太鼓に合わせ優雅に舞った。この舞の後には刀剣術「勇進流」の宗家、瀬戸天勇宏俊さんによる演武奉納も。

 午前11時からは参道広場で「勇進流」のメンバーが日頃の鍛練の成果を参拝者たちに披露した。「ビュ!」という真剣の風を切る音が印象的だった。

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〈大和郡山城址〉 現代工芸フェア「ちんゆいそだてぐさ」開幕

2024年05月19日 | メモ

【若手工芸家100人余+ワークショップ+飲食ブース】

 奈良県大和郡山市の郡山城址で5月18日、現代工芸フェア「ちんゆいそだてぐさ」が始まった。19日までの2日間の日程。会場には若手工芸作家100人余の工芸クラフトブースに加え、16のワークショップブース、30店の飲食ブースも設けられ、初日から家族連れなどでにぎわった。

 2013年から始まり今回で12回目。タイトルの「ちんゆい」は金魚の中国語での発音。金魚は沢山の卵を産むことなどから、原産地中国では縁起物とされる。中国から渡来した金魚は江戸時代に一大ブームを巻き起こした。

 18世紀半ば刊行の『金魚養玩草(そだてぐさ)』(安達喜之著)は日本初の金魚飼育書といわれる。「ちんゆいそだてぐさ」のフェア名には金魚の街⋅大和郡山の地から多くの工芸家が育ってほしいとの願いが込められているわけだ。会場入り口には金魚模様の布が風に揺れていた。

 主会場は城址会館(旧県立図書館)前の広場と追手門向櫓前の広場。陶磁器や木工、金工、ガラス、皮革製品などの展示ブースがまさに所狭しと並ぶ。

 関西以外の出展者では岐阜県の陶磁作家が目立った。東日本からは東京や茨城、静岡、長野など、西日本からは沖縄、広島、岡山などの出展者も。沖縄県読谷村に工房を構える伊波祐也さんの焼き物は植木鉢やカップなどが独特の柄と風合いで注目を集めていた。

 女性客で賑わっていたのが京都の志知希美さんの“加賀指貫(ゆびぬき)”のブース。そのカラフルな美しさがアクセサリーとして人気を呼んでいるようだった。

 奈良県下市町の大竹洋海さんは吉野杉を使った家具や灯りづくりに取り組む。今フェアには木目の美しさを生かした皿や丸盆、一輪挿しなどを出品していた。

 ワークショップは陶芸のろくろ体験、ベンガラ染め、ペンダント作り、粘土細工、ドライフラワーと多彩。瓢箪を使ったマラカス作りも子どもたちの人気を集めていた。

 フェアの盛り上げに一役買っていたのが足長パフォーマー。子どもたちが驚いた表情で見上げていた。

 城址会館そばの木陰では何組もの親子が太鼓打ちに興じていた。さて、その楽器は? アフリカの太鼓「ジャンベ」かな。

 追手門櫓など会場内のあちこちに設けられた飲食ブースも終日大にぎわい。買い求めるお客さんの列が絶えない店もあった。

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〈奈良市写真美術館〉 アン⋅ジュン「『重力へ』方向と座標」展

2024年05月16日 | 美術

【開館以来初の外国人アーティストによる個展】

 入江泰吉記念奈良市写真美術館(高畑町)で、韓国出身の女性写真家Ahn Jun(アン⋅ジュン)の個展が開かれている。タイトルは「『重力へ』方向と座標」。1992年の開館から約32年たつが、外国人アーティストによる個展の開催は今回が初めて。6月30日まで。

 会場にはアメリカで撮影した代表作「Self-Portrait(セルフ⋅ポートレイト)」と韓国帰国後の「One Life(ワン⋅ライフ)」の二つのシリーズを中心に70点ほどが並ぶ。いずれもアン自身がプリントした大型作品ばかりだ。その中にはまるで合成写真と見まがうものも多い。

 「Self-Portrait 」は20代のとき2008~13年の作品で、アン自身が被写体となって高層ビルから眼下を見下ろす。細身の彼女がビルの縁から飛び立つような作品は構図的にも衝撃的だ。窓枠を跨いだり、角の縁石に座り込んだり「危ない!」と思わせる作品も多く含まれる。

 その写真集の推薦帯にこうあった。「素足になり、まだ見ぬ世界へ飛び立つ その開放的な姿態によって彼女は鑑賞者を虚空の端へ誘う」。ただ鑑賞者が高所恐怖症だとしたら、身がすくんでとても見てられないかもしれない。

 ニューヨークから帰国後、モチーフは一変する。「One Life 」シリーズの主役は果物のリンゴ。まるで静止画のように風景の中に溶け込む。空中に静止したリンゴの姿に、一瞬の輝きやはかなさ、刹那的な時の移ろいなど様々な思いを込めたのだろう。その発想自体に異才ぶりがうかがえる。(下の写真は作品の部分)

 撮影地は韓国をはじめ日本、中東、英国など。シャッター速度とともに、気になるのがリンゴの動き。勝手に空から降ってくるわけがないし。では、どこから? 彼女が自ら投げて撮ったこともあれば、同行した夫君や祖父母など家族の協力もあったそうだ。

 アンは米国から帰国後、石や水、火、風など自然界の根源的なものにも目を向けた。会場には怒涛が聞こえてきそうな荒波、メラメラと激しく燃え上がる炎などの作品も展示されている。

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〈天理本通り商店街〉 5回目のイベント「本ぶらサンデー」

2024年05月13日 | メモ

【縁日広場⋅風船アート⋅マジック┄家族連れで大にぎわい】

 奈良県内で最も長い商店街が天理市にある。JR ⋅近鉄天理駅と天理教教会本部を結ぶ「天理本通り商店街」。総延長約1キロのドーム型アーケードの下に約180店舗が連なる。

 その商店街で5月12日「天理本通りマルシェ 本ぶらサンデー」と銘打ったイベントが行われた。2年前の2022年春にスタートし、以来毎年5月と11月に開催しており今回で5回目。

 ほぼ一直線に延びる商店街の両脇にはピザやスイーツ、唐揚げなどのキッチンカー10台をはじめ、物販や手作りワークショップ、フリマブースなと50店ほどが出店。縁日広場や遊びの広場も設けられた。

 先月4月の中旬にこの商店街を歩いたときは天理教の祭典「教祖誕生祭」直後とあって黒い法被姿の信者が目立ったが、この日はちびっこを伴った家族連れで大にぎわい。縁日広場では射的(無料)が人気を集めていた。

 商店街を移動しながらパフォーマンスを繰り広げる風船アートとマジシャンの周りにも人垣が絶えなかった。風船パフォーマー「nakajun(中村潤子)」さんの手さばき、お見事! 子どもたちから注文を受けるや、あっという間に「クマ」や「ウサギ」「銃」などを作ってはプレゼントしていた。

 イベント総合受付そばのステージでは「本ぶらカルテット」などの生演奏も。商店街関係者でにわかに結成したようなネーミングだけど、演奏のほうはなかなか大したものだった。

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〈大乗院庭園文化館〉 落合勲さんの「二十四節気書画展」

2024年05月11日 | 美術

【季節の草花に温かい“こころの文字”を添えて】

 奈良市高畑町の名勝大乗院庭園文化館で「二十四節気書画展」が開かれている。書道家⋅画家の落合勲さんが季節の草花を描いて言葉を添えた書画が壁面一直線にずらりと並ぶ。

  

 落合さんは1940年、三重県四日市市生まれ。喫茶店を営む傍ら、書画に没頭し、感謝の気持ちを込めた書を“こころの文字”と呼んで各地で個展を開いてきた。

  

 詩人清水英雄さんとの出会いが転機となった。清水さんの著作『ありがとう歳時記』『ありがとう二十四節氣』で草花の絵を担当。『ありがとうカレンダー』でも長年、清水さんとコラボを組んできた。

  

 落合さんの作品を前に頭に浮かぶのが先日4月28日に亡くなった星野富弘さんのこと。筆を口にくわえて、心に染みる草花の詩画をたくさん残してくれた。落合さんの作品も優しさや温かさが画面に溢れている。

  

 ❲春分❳ではハルノノゲシの絵に力強い筆致で「さあ野性のバトル開戦」。❲穀雨❳ではカタクリの花に「この足でこの眼でであえたよろこびと みなさんのお励しに感謝」と添えられている。

  

 ❲立夏❳にはシャガに「空もこころも晴れておくれ」、❲夏至❳ではギボウシに「雨を楽しむ」。「湯氣の中に愛がある」と添えられた❲冬至❳の作品も印象に残った。書画展は5月12日が最終日。下の写真は文化館2階からの眺望(庭園奥の建物は奈良ホテル)

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〈元興寺〉 本堂正面に花御堂を飾って灌仏会

2024年05月09日 | 祭り

【園児たちが「花まつりの歌」を奉納】

 奈良市ならまちの世界文化遺産⋅元興寺で8日、お釈迦様の生誕を祝い子どもたちの健やかな成長を祈る花祭り「灌仏会(かんぶつえ)」が執り行われた。花祭りは釈迦の誕生日とされる4月8日に行われることが多く、東大寺や興福寺でも「仏生会」としてその日に開催。ただ元興寺では毎年旧暦の4月8日に近い5月8日に行っている。

 国宝の極楽坊本堂正面には色とりどりの生花で飾られた花御堂。参拝者たちはその中央に立つ誕生仏に甘茶を注いでから堂内へ。左手には甘茶が入った2つのポットが置かれ「ご自由にお飲みください」と書き添えられていた。

 堂内は近隣の「極楽坊あすかこども園」の園児たちでいっぱい。午前11時、法要が始まると、園児たちは胸元で小さな手を合わせて合掌していた。

 法要が終わると、辻村泰善住職が園児に向けお話し。「世界で一番高い山、知ってますか? エベレストですね。仏様はその麓のルンビニで生まれました。生まれたとき虫や鳥などみんなが喜んで、しおれていた花も雨が降って元気になりました。その雨を甘露の雨といいます。みんなも生まれたとき感謝されたことを忘れないでくださいね」

 この後、園児たちから『花まつりの歌』がお返しに。ちびっこたちの元気な歌声が堂内に響き渡った。「おはなあげましょささげましょ きょうはこどものはなまつり にこにこげんきなおしゃかさま みんなでおいわいいたしましょ」

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〈サンヤレ踊り〉 滋賀県草津市の6地区で華やかに

2024年05月04日 | 祭り

【2022年「風流踊」としてユネスコ無形文化遺産に】

 滋賀県草津市内で5月3日、国の重要無形民俗文化財に指定されている「サンヤレ踊り」が各地の神社に奉納された。一昨年の2022年秋に「風流踊」の一つとしてユネスコの無形文化遺産に登録されたばかり。

 サンヤレ踊りは五穀豊穣などを祈るもので、古文書などによると江戸時代からの長い伝統を誇るという。今年は市内7地区のうち隔年実施の矢倉を除く6地区で踊りが披露された。

 下笠地区では正午から約30分にわたり老杉神社で踊りが奉納された。主役は華やかな花笠と衣装の子どもたち。青年男子の「サンヤレ、サンヤレ」という囃子詞(ことば)に合わせ太鼓や鞨鼓(かっこ)を打ち鳴らした。

 吉田地区の踊りは午後1時半から三大神社に奉納された。こちらは太鼓打ちの子どもも、囃子や笛吹きも全員男性で白い法被姿。囃子方の「ヤー、ホイ」という独特な囃子と動きが印象的だった。

 その後、志那中地区の惣社神社へ。踊りの行列は「今ごろ御旅所のはず」。社務所でそう教えてもらって太鼓が聞こえてくる方向に向かうと「御旅所祭」の真っ最中。ピンク色の法被姿の女の子たちの輪の中で、色鮮やかな襷掛けの男の子が太鼓を打っていた。

 御旅所の一角にはユネスコの無形文化遺産登録を記念した石碑が。そういえば各地区の踊り保存会の旗や法被などにも誇らしげに「ユネスコ」の文字が躍っていた。ユネスコ登録が伝統の保存に一役買っていることは間違いない。

 神社奉納後、踊りの行列は各地区の町内を巡行した(写真は志那神社で)。今年は3年に一度の長束(なつか)地区も登場した。3年前は新型コロナの影響で中止になっており、印岐志呂(いきしろ)神社への奉納は実に6年ぶりとのこと。

 ただ三大神社などを巡るうち時間的余裕がなくなって長束の踊りを見ることができなかったのが心残り。三大⋅志那⋅惣社の3つの神社は「藤の志那三郷」としてフジの名所として有名とのこと。踊りよりフジお目当ての観光客も多いようだった。(写真は三大神社で)

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〈虎屋京都ギャラリー〉 所蔵品展「水のいきもの」5月19日まで

2024年04月29日 | 美術

【掛軸⋅香合⋅湯呑み⋅木彫り工芸品⋅印籠など】

 老舗和菓子店「虎屋」の京都ギャラリー(京都市上京区)で「水のいきもの」をテーマに掲げた所蔵品展が開かれている。金魚やコイ、タイ、カニ、サザエなどを題材とした掛軸や工芸品が並ぶ。5月19日まで。

 ギャラリーは京都御所に程近い「虎屋菓寮京都一条店」に隣接する。展示中の掛軸は4点。山元春挙(1872~1933)の『鯉』は水面から飛び跳ねるコイの躍動的な瞬間を描いた水墨画(写真は部分)。春挙は円山四条派に属し明治から昭和初期にかけて京都で活躍した。

 河鍋暁斎(1831~89)の『四季風景五月幟図』は五月晴れの中、鯉のぼりが富士山をバックに悠然と泳ぐ。その雄大な光景とともに、室内に飾られた武者人形や軒先の菖蒲なども丁寧に描かれている。

  

 南画家滝和亭(1830~1901)の墨画淡彩『柳下漁夫図』は髭を蓄えた漁夫が釣果を確認するように魚籠(びく)の中を手探りする。その満足そうな表情が印象的だ(写真は部分)。土田麦遷(1887~1936)の『金魚之図』も展示中。

 掛軸以外では19代雲林院宝山のタイの形をした『嘉鱗香合』、4代清水六兵衛の清水焼『赤絵蟹湯呑』が目を引く。湯呑のそばにある2匹の『木彫り蟹』(作者不明)の甲羅の模様にしばし見入ってしまった。

 琥珀製『若葉蔭』は金魚が埋め込まれ実に涼やか。寒天で作ったこれと同じ透明和菓子が5月8~19日の期間限定で「虎屋菓寮京都一条店」とそばにある「とらや京都一条店」で販売されるそうだ。

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〈東大寺〉 大仏殿で「花まつり千僧法要」

2024年04月27日 | 祭り


【全日本仏教青年会主催、宗派を超え若いお坊さんが全国から結集!

 奈良⋅東大寺で4月26日「花まつり千僧法要」が営まれた。主催は全日本仏教青年会(新井順證理事長=四天王寺総務部長)で、南都二六会⋅東大寺との共催。1988年から毎年この日に開いており、宗派を超えて全国各地から集まった若手僧侶たち約300人が大仏さまに仏法興隆、世界平和、災害被災地の早期復興などを祈願した。

 午後零時45分、僧侶たちの行列が法螺貝が吹かれる中、大仏殿に向けて出発した。色とりどりの袈裟をまとったお坊さんの列が延々と続く。

 参道の両側にはあっという間に人垣ができた。海外からの観光客も興味深そうに見つめ、スマホのシャッターを押していた。行列最後尾には東大寺学園幼稚園の園児たちが続いた。

 大仏殿で法要が始まったのは午後1時すぎ。最初に園児たちが『世界がひとつになるまで』という歌を大仏さまに奉納した。散華の後、般若心経、大般若経転読と続く。

 法要中も参拝客が次々と堂内に。写真撮影はいつも通りOKだが、法要中の真正面からの撮影だけはご法度。法被姿の東大寺職員が海外観光客に「ノー フォトグラフィー」としきりに声を掛けていた。

 法要後、僧侶たちは大仏殿のすぐ東側にある宝塔「アショカピラー」の前へ移動。この塔はインド仏教の聖地サルナートにあるアショカピラーの石像頭部を模したもので、ライオン4頭が背中合わせに並ぶ。全日本仏教青年会が1988年「花まつり千僧法要」を始めたときに記念塔として設置した。

 そのすぐそばには金色に輝く高さ23mの「七重塔相輪」がある。こちらは1970年の日本万博の遺産。古河グループのパビリオン「七重塔」の相輪部分が寄進され、翌年この地に移設された。

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〈天理参考館〉 企画展「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」

2024年04月21日 | 考古・歴史

【パラカス~ナスカ、インカの多彩な土器⋅木器を一堂に】

 世界の民俗資料と考古美術の博物館「天理大学付属天理参考館」(奈良県天理市)で企画展「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」が始まった。3年前に開催した「ペルー北部地域編」の続編。ペルー南部からボリビアにかけて栄えた古代アンデス地域の土器や木器を、紀元前のパラカス文化からナスカ、インカ文化まで時代を追って紹介している。6月3日まで。

 パラカス文化は紀元前800年から紀元後100年頃にかけてペルー南海岸北部で栄えた。神や動物などを組み合わせた複雑なモチーフの織物が作られ、土器には幾何学文様や信仰の対象だったネコ科動物が多く描かれた。下の写真はパラカス前期の幾何学文皿。

 巨大な地上絵で知られるナスカ文化が栄えたのは紀元後100年頃から650年頃にかけて。土器のモチーフには陸上動物や魚類、海獣、栽培作物などが選ばれ、最盛期には10~12種もの顔料が使い分けられたという。

 写真㊤はナスカ前期の鳥が描かれた橋形把手付き双注口壷。鳥は猛禽類のオナガハヤブサと推定されている。写真㊦はナスカ後期の深鉢。胴の上部に海の最強の生き物シャチが擬人化されて大きく口を開き、中央と下部に女性の顔が描かれている。

 ボリビア~ペルー南部の高地では紀元後500年頃から1150年頃までティワナク文化が栄えた。一方、ペルー中央海岸北部では1000年頃から1470年頃にかけ、独自のチャンカイ文化が花開いた。チャンカイの土器は白い化粧土の上に黒色顔料で幾何学文様や動物⋅人物などを描いたのが特徴。写真は双耳壷。左側の把手基部にサルとみられる塑像が取り付けられている。

 

 15世紀半ばから16世紀前半にかけ勢力を拡大しアンデス一帯を支配下に治めたのがインカ帝国。広大な領域内はインカ道と呼ばれる道路網で結ばれ、様々な産物が運ばれた。インカの土器を代表するのが把手付きの皿。写真の皿には幾何学文様の両側にフクシアとみられる花の蜜を吸う鳥が描かれている。

 この企画展では真作の土器や木器に加え、「再生産、消費される古代文化」コーナーに贋作も展示。贋作の多くは当初、盗掘などで破損した部分を補修して完成品に見せかけていたが、1950年代以降はナスカ土器を中心に贋作が堂々と作り続けられているという。写真はいずれも贋作または部分的贋作と推定される壷。

 企画展会場では山形大学のナスカ研究所と付属博物館の協力で、ナスカの地上絵に関するパネルも展示中。山形大学が地上絵の分布調査を始めたのは20年前の2004年。12年には現地に研究所を設立し、これまでに新たに多くの地上絵を発見してきた。(MBS 毎日放送の番組案内によると、4月21日午後6時放送の世界遺産「空から迫る『ナスカ地上絵の秘密』」で山形大学新発見の地上絵も登場)

 地上絵があるのはペルーの南海岸から約50㎞内陸の砂漠台地(標高約500m)。砂礫層を掘ったり積んだりして様々な動植物などが描かれ、ユネスコの世界文化遺産になっている。その制作目的は? パネルによると、豊作を祈願するためという説が有力とのこと。長く残っているのは①極乾燥地で植物が生えない②風で礫(小石)が移動しない③流水の影響のない場所に描かれたーーなどによるそうだ。

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〈松伯美術館〉 開館30周年「勤勉努力―素描 下絵そして本画」展

2024年04月17日 | 美術

【上村松園『唐美人』⋅松篁『緋桃』⋅淳之『鳬』┄】

 開館30周年を迎えた松伯美術館(奈良市登美ケ丘2)で「勤勉努力―素描 下絵そして本画」と題した展覧会が開かれている。美人画の上村松園とその子松篁、孫淳之の作品群で知られるこの美術館は、三代の膨大な素描や下絵なども保有する。それらを通して本画が生まれるまでの過程を作者のコメントとともに紹介している。5月6日まて。

 同館では2年前の2022年秋にも「本画と下絵から知る上村松園⋅松篁⋅淳之」展を開催。そのとき松園の作品では『鼓の音』『楊貴妃』『花がたみ』などを下絵と並べて展示していた。今回は『唐美人』『美人納涼』『雪』などを本画と下絵で、そのほか『月蝕の宵』『新蛍』など十数点の下絵も展示している。

 松園は1948年、女性として初めて文化勲章を受章した。生前、作品制作への心構えについてこう語っていたという。「人事をつくして天命を待つ、と昔の人が申したように、何事もやれるところまで努めつくしてみた上で、さてそれ以上は大いなる神や仏のお力に待つよりほかはありません。芸術上のことでもそうであります」

 松篁は母松園の姿勢を見習いながら花鳥画の制作に没頭した。松園から絵について注意などを受けたことはないという。ただ「勤勉、努力していく母の後ろ姿をずっと見続けていた。それが母のいちばん大きな遺産だったと思う」。母に次いで松篁も1984年文化勲章を受章した。今展では『緋桃』『燦雨』『白木蓮』『月明』など松篁の大作が原寸大の下絵とともに展示されている。

 現館長淳之も松篁の後を継いで60種700羽の鳥を飼育する奈良市の「唳禽荘(れいきんそう)」にアトリエを構える。淳之は祖母松園について「大変な量の素描などを整理しながら、努力とはこれなのだと思い知らされた」と述懐している。今展では『鳬(けり)』『水辺』『小千鳥』などを展示中。淳之も2022年に文化勲章を受章し、三代続けての受章となった。

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〈剣聖の里⋅柳生〉 満開の桜をバックに第16回さくら祭

2024年04月07日 | 祭り

【2日間にわたり火縄銃の演武など多彩な催し】

 奈良市柳生で4月6日「第16回柳生さくら祭」が始まった。会場は旧柳生藩陣屋跡の広場で、7日までの2日間。満開の桜を背にした野外ステージでは初日から火縄銃の演武をはじめ忍術や尺八の演奏、舞踊、南京玉すだれ、コスプレショー、柳生新陰流演武など多彩な出し物が繰り広げられた。

 火縄銃の演武は正午すぎにスタート。大阪城鉄砲隊などのメンバー11人が勇ましい甲冑姿で登場した。率いるのは堺鉄砲研究会を主宰し、柳生観光大使も務める澤田平さん。古式銃⋅古式砲術研究の第一人者で、「なんでも鑑定団」(テレビ東京)の鑑定士としても活躍してきた。

 鉄砲隊の面々が手にする火縄銃はいずれも江戸時代に作られた本物という。澤田さんの号令一下、一斉射撃や一人ずつ順に放つ“つるべ撃ち”などか披露された。そのたびに白煙とともに凄まじい轟音が轟いて、観客から驚きの声が上がった。

 この後、真剣の試し斬りに続き澤田さんによる「がまの油売り」の口上もあった。赤い甲冑姿の男性が持つ短い刀は国内で唯一本物と確認されているという忍者刀(忍刀)。一太刀(ひとたち)でスパッとよく斬れていた刀に、がまの油を塗るとなぜか切れ味がさっぱりに。ところが油を拭き取ると再び鋭い切れ味を取り戻した。不思議! 澤田さんは「がまの油は刀傷にもよく効いた」と話していた。

 火縄銃やがまの油売りの前には、橿原市のボーカルとギターのデュオ「歓音~かのん」の演奏や地元の「大河流舞遊会」による舞踊などもあった。さらに午後も南京玉すだれやコスプレショーなどが続いた。

 7日には和太鼓や三味線、草笛の演奏、田原伝統芸能、狂言、相撲甚句、アフリカの太鼓とダンスなど、初日とは異なるグループが出演する。フィナーレは2日間とも法被姿の町民たちによる「柳生音頭」の踊り。この音頭、第1回さくら祭(2006年)に合わせ、地元の小学校教師の作詞とキダ⋅タローさんの作曲で生まれた。(下の写真は初日に登場した南京玉すだれのメンバー)

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〈奈良県立図書情報館〉 「キネティックアートな3人」展

2024年04月03日 | 美術

【井村隆⋅遠藤賢治⋅千光士義和】

 奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西)で「キネティックアートな3人」展が開かれている。キネティックアートは静的な彫刻に対し、動きを取り入れたオブジェなどの総称。金属や段ボールを使って独創的な作品を制作してきた井村隆、遠藤賢治、千光士(せんこうじ)義和の作品が並び、子ども連れの家族の人気も集めている。4月21日まで。

 井村隆の作品群は「カラクリン」と呼ばれ、キネティックアートの第一人者として高い評価を得ている。1945年堺市生まれ。デイスプレー制作会社を退職後独立し、全国各地で個展を開き様々なモニュメントの制作にも取り組んできた。

 それらのモニュメントの中には堺市緑化センターの花時計「フラワーフェアリー」や新潟県立自然館の「シンボルタワー生命球」、横浜子ども科学館の「銀河への旅」、東京⋅三鷹の森ジブリ美術館の「スペースフィッシュ」なども。

 一連の作品群「カラクリン」に使われる素材は主に銅や真鍮、アルミなど。「ボンフリー」と名付けられた魚の頭を持つひとがたの生き物が乗り物を操縦する。展示中の作品は『シーラカンス』『ノア』『飛び魚』『ボンフリーファクトリー』『魚の舟』など。最大の『シーラカンス』は横幅が1.3mもあった。

 遠藤賢治は1953年広島市生まれで、奈良にアトリエを構えて「プチプルプレーン」と名付けた空き缶アートを制作。大阪芸術大学キャラクター造形学科の教授を務めていたが、2020年に亡くなった。

 今回は空き缶を活用したミニチュアの飛行機などの遺作のほか、『太陽の詰め合わせ(太陽がいっぱい)』と名付けられた作品なども展示中。表情が微妙に異なる缶の蓋の詰め合わせに遊び心が詰まっていた。

 千光士義和は1958年高知市生まれ。85年に母校の先輩遠藤賢治の居る奈良市に移住し、動く段ボールアート作家として活躍中。大阪芸術大学芸術計画学科客員教授も務める。

 著書に『かんたん手づくり動くダンボールおもちゃ』など。今回は『マリンバード』や『天空のスイッチバック』など新旧の作品群を出品している。千光士氏は4月14日に開かれる「キネティックアーティスト井村隆の仕事」と題したトークショーにも登壇する予定。

  

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〈大和郡山お城まつり〉 5年ぶりに時代行列と白狐渡御

2024年04月01日 | 祭り

【公募の小中学生が武将役として騎乗!】

 奈良県大和郡山市で3月31日、「第63回大和郡山お城まつり」(3月24日~4月7日)のメインイベント「時代行列」と「白狐渡御」が繰り広げられた。新型コロナに加え昨年は雨天中止になっており、行列と渡御の開催は実に5年ぶり。沿道に多くの市民や観光客が詰めかけ、馬上の武将や白狐に扮して踊る子どもたちに歓声を送っていた。

 大和郡山城跡は「日本さくら名所100選」に選ばれている。城跡公園内の桜もお城まつりに合わせるかのように咲き始め、追手東隅櫓のそばにある枝垂れ桜は一足早く見ごろを迎えていた。

 時代行列と白狐渡御は市役所前での出陣式の後、午後2時ふれ太鼓に先導されて出発した。先頭は地元出身の鎌倉時代の名僧⋅叡尊上人。西大寺の復興などに尽力したことで知られる。

 この後、柳沢権大夫(淇園)、薮田市正、武田信玄、大和郡山藩初代藩主柳沢吉里などの武将が続く。勇壮な甲冑姿で騎乗するのは市内の小中学生たち。今回の行列から初めて公募で選ばれた。

 さらに続いて豊臣秀吉の弟の秀長、郡山城を築いた筒井順慶。豊臣秀長は2026年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で主人公として取り上げられることが決まった。白馬に跨がる順慶の後ろには「筒井順慶顕彰会」のメンバーが大勢続いた。

 白狐渡御は地元で「源九郎さん」と親しまれている源九郎稲荷神社の祭礼。この神社は歌舞伎「義経千本桜」でおなじみの源九郎狐(白狐)を神の使いとして祀る。狐のお面を被った子どもたちの可愛らしいこと。お囃子に合わせ元気いっぱいに白狐踊りを披露してくれた。

 城跡公園内では特産金魚の品評会や品種展、物産展なども開催。柳沢神社の参道と県立郡山高校(城内学舎)の間の道路には多くの露店が並び、あふれんばかりの人出で賑わっていた。そんな中で、ひときわ目を引いたのが手押し車に乗った10匹ほどの子犬たち。ミニチュア⋅ダックスフンド?

 

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〈富雄丸山古墳〉 新たに木棺から3枚の青銅鏡!

2024年03月17日 | 考古・歴史

【被葬者の頭部分にリンを含む真っ赤な水銀朱】

 国内最大の古墳時代の円墳、奈良市の富雄丸山古墳(直径109m)で、埋葬施設の粘土槨内の木棺から副葬品の青銅鏡3枚が見つかり、奈良市教育委員会の埋蔵文化財調査センターが3月16日、発掘現場を一般公開した。

 木棺を粘土で覆ったこの粘土槨は昨年度の調査で北東側の造り出し部分から出土。被覆粘土の中から東アジア最長の「蛇行剣」とこれまで類例のない「鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡」が見つかった。このため未盗掘とみられる木棺内部の調査も大きな注目を集めていた。

 木棺の材質はコウヤマキで、幹を半分に割って内部をくりぬき、下半分を棺の身、上半分を蓋としていた。大きさは長さ5.6m、幅64~70㎝、厚さが約5㎝。内部は2枚の仕切り板で中央の主室と左右2つの副室の3つに区画され、木棺の両端は小口板で区切られていた。 

 銅鏡が見つかったのは被葬者の足側とみられる副室内の小口板のそば。鏡面を上向きに3枚重ねた状態で出土した。一番上の鏡は縁の断面から三角縁神獣鏡の可能性が高いという。今後慎重に取り出して鏡の種類や背面の文様などを調べる。

 被葬者が埋葬されていたとみられる主室(長さ2.4m)では、頭があったと想定される位置を中心に水銀朱を検出した。最も赤色の濃い部分には人骨に由来すると考えられる元素のリンを多く含んでいることも分かった。

 このほか被葬者の足側の仕切り板の近くから漆塗りの竹製の竪櫛(たてぐし)9点も出土した。ただ同時期の古墳時代前期後半(4世紀後半)の古墳と比べると、副葬品が少ないのが特徴。事前に出土した長大な蛇行剣と盾形銅鏡から、木棺内からも甲冑や武具など豪華な副葬品の発見が期待されていた。それだけに、やや期待外れだったことは否めない。

 では被葬者は誰だったのか。副葬品が鏡と櫛だけで、これらが化粧道具でありながら呪術にも利用されていたことから、奈良市埋蔵文化財調査センター所長の鐘方正樹さんはこう推測する。「墳頂部に眠る当時の支配者の兄が、祈祷⋅呪術で支えてくれた巫女の妹の魂を守るため、大切にしていた蛇行剣と盾形銅鏡を供えたのかもしれない」

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