まだ終わらんよ!

結末違うTV版『Z』と劇場版『新訳Z』から『CCA』にどうつなぐ?

 劇場版こと「新訳Z」が公開された時、主題歌を担当した某歌手が『これで「Z」と「CCA」が繋がった』と発言した記憶があるのですが、おそらく某歌手の好みではない「ZZ」がなかったものになったと受け取れました。

 「ZZ」は「ZZ」で好きな私はむしろつぎはぎだらけな「新訳Z」では「CCA」には繋がらないと思いましたし、下記リンク先でも妄想されているように「新訳ZZ」も必要だと思われた観客もおられたと思います(故に「ZZ」があったことになった「UC」は小説版は良かったです。アニメはチートでしたが、、、)。

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/magmix/entertainment/magmix-220849

 そこで昔ガンダムシリーズの宇宙世紀(以下U.C.)に関するシンポジウムが開かれたことにインスパイアされてU.C.に関して探求を行っている私クワヒロ・バラーナも「新訳ZZ」を妄想、と言いたいのですが、そこは捻ってTV版の「Z」と「CCA」が「新訳Z」をもってしても「ZZ」を間に挟まないと繋なぜつながらないのかを検証してみたいと思います。

 ちなみにこれまで私のレポートは以下です。

 『百式は百年先も戦えたのか?

 『ネオ・ジオンの騎士について

 『エゥーゴはなぜガンダムMk‐Ⅱを使い続けたのか?

 それでは各作品のプロットや「Z」及び「新訳Z」のそれぞれの結末及びそれぞれの舞台となったグリプス戦役と第一次ネオ・ジオン抗争については割愛して早速検証に入りたいのですが、と言っても繋がらないと思う理由は「CCA」の劇中でのシャア・アズナブルの演説です。

 そこでシャアは " 地球連邦ザビ家の残党を騙るハマーン・カーンの跳梁ともなった " と発言しています。

 跳梁の意味がハマーンに好き勝手させたと解釈できますし、連邦軍ハマーンに好き勝手されたとも解釈される発言だと思うのですが、少なくともそれらしい描写は「Z」や「新訳Z」よりも「ZZ」の方が色濃いかと思います。

 また、ジオンの残党狩りを掲げながらも対立するエゥーゴを叩くためにハマーン率いるジオンの残党のアクシズと手を組んだティターンズが当時連邦軍の主導権を握っていいたので、ティターンズ ≒ ハマーンの跳梁を許した連邦軍と解釈できないこともないですが、「ZZ」で連邦政府の首都であるダカールへの降下作戦を行ったハマーンに対してダカールでのパレードや迎賓館に招くなど歓待を行っているグリプス戦役後の連邦政府の方がよりハマーンの跳梁ともなったと言えるのではないでしょうか。

 加えてネオ・ジオンを改名したハマーン率いるアクシズジオン残党の「ZZ」劇中での描写及び「センチネル」でネオ・ジオンには手を出さずに逆にトワニング提督率いるネオ・ジオンの艦隊所属のモビルスーツ部隊に威嚇射撃を許しているコンペイトウ駐留の連邦軍の描写から考えると、ネオ・ジオンの地球降下作戦は一年戦争でのジオン公国軍の地球降下作戦とは性質が異なるものだと思われます。

 むしろネオ・ジオンの動きはグリプス戦役で疲弊した連邦軍内部に入り込もうとした、具体的にはエゥーゴに倒されたティターンズに取って代わって主に宇宙の治安維持を担う、すなわち降下作戦はそれを既成事実にしようとする動きにも見えます。

 「AOZ」は「Z」の世界観を崩しかねないと思っているので逆になかったことにして欲しいと思っているぐらいですが、その「AOZ」でも連邦軍ティターンズのメンバーに対してグリプス戦役後に軍事裁判を行う姿が描かれており、「AOZ」が「ZZ」の軸だと迫ってくるネオ・ジオンに対していささか呑気なようにも見えます。

 逆に「新訳Z」でのエンディングではハマーンは地球圏からあっさり撤退しており、その後の連邦が跳梁となった姿は描かれておらず、やはり「新訳ZZ」でその姿を描く必要があると思います。

 そう考えると「AOZ」は「新訳Z」の軸に繋がっているともとらえられると思いました。


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