象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

コロナ明けの夜〜もう昔には戻れない

2024年03月04日 06時23分36秒 | 独り言&愚痴

 一昨年の9月以来、約1年数カ月ぶりに久留米の歓楽街を散策する。
 コロナ渦が完全に明け、殆どの人はマスクを外して歩いている。私1人がマスクをしてるのもアホらしいので、マスクを外したら思いのほか空気がキレイに感じた。
 日曜の夜という事だが、人通りは閑散としている。どうも私が行く時は決まって人通りが極端に少ない。
 昔よく行った店は殆どが潰れてるか、店名を変えて生き延びていた。「ロシアンパブ」で紹介した店はテナントのビルごと潰れている。
 まさに”兵どもがコロナの跡”状態である。


全ては過去の遺産

 正直、ここまで凋落しているとは思いもしなかった。男の性的欲望はどんな時代も不滅であると思ってたから、少しショックでもある。
 時間が経てば、人は何もかも忘れさり、全ては過去の記憶として消去される。
 そういう事が判ってても、目の前の現実はもっと酷いもので、何とか空いてる店も営業にはほど遠く、寝たきり老人の如く何とか息だけはしてるという悲しい有様である。
 コロナ感染者が出たという事で一時は閉店に追い込まれたが、かつては行列が出来てた人気の店も今では閑散としている。

 このまま帰ろうとも考えたが、1年半ぶりの久留米である。どこか賑わってる店がある筈だと自分に言い聞かせ、何とか営業してそうな店の扉を叩く。
 中はガラーンとして客は1人もいなく、女の子は2、3人しかいない。気落ちした様な無愛想のボーイが出てくるだけで、私はすぐにその場を去った。
 拍子抜けした私だったが、気がつくとあるビルの5階にいた。もう長いこと行ってなかったから、記憶は曖昧だったが、昔よく足を運んだ店の1つであった(多分)。
 だが、この店も同じ様な感じである。
 しかし、客の声がする。私はその声に誘われるようにして中に入るも、女の子は4人ほどしかいない。

 帰ろうかなと弱気になるも、年増のママさんらしき女が気を利かせ、快活な女の子を紹介してくれた。
 20代前半に見えたが、26歳だという。体型は少し”緩め”だったが、性格はストレートでとても明るい。日本に10年近くいるというから”16ほどで日本に来たのか・・明るくは振る舞っているが色んな事情があったんだろう”
 そう思うと純粋に楽しめない自分がいた。
 もう1人の娘も付いたが、こちらの方がややグラマーだった。柳川や大川と違って、客慣れしてるせいか、会話はスンナリと弾む。
 今回はこれと言って盛り上がる事もなく、”もう久留米で遊ぶ事もないだろう”と思うと少しブルーになった。

 若い頃はハメを外してよく遊んだもんだが、今はそのハメが外せない。夜の街も廃れたが、自分も同じだ。
 それでも、夜の街に恋い焦がれる自分がいる。そして荒んだ店に失望し、夜の街を後にする。ここ数年、そんな事が幾つ続いただろうか。
 そろそろ見切りをつけなきゃいけないのに、朽ちた夜に(少し大げさだが)一縷の望みを託す老いた自分がいる。そうやって夜の街と共に、人は静かに死に至るのだろう。


最後に〜朽ちた脂肪の塊

 朽ちた歓楽街と老いた自分
 そういう意味では、私も夜の街も同類なのかもしれない。いや、そうでないと困るのだ。

 しかし、朽ちた夜の陥落街もよく眺めると風情がある。
 私が若い頃の夜の街には躍動があり、その躍動が醸し出すフェロモンに吸付けられるように店を散策したもんだ。
 派手な看板の店の前には看板娘が屯し、通りを歩く男らを誘惑する。勿論、そういう店に限って中は空っぽではあるが、それだけでもある種の欲望を満たす事は出来た。
 様々な如何わしい店が乱立し、悩ましいネオン群が更に性的躍動を底上げする。それだけで若い私は十分だった。

 正直、ホステスなんて誰でもよかった。若かろうが年増であろうが、美人であろうがなかろうが、性的魅力がありさえすれば、それだけで十分だった。自分に期待と自信が持てない様に、相手にも余計を期待する事はタブーなのである。
 ”夜の女”というのは、つまりそういうもんだ。着飾ったドレスを脱ぎさり、分厚い化粧を落とし、全てを剥ぎ取れば、朽ちた1人の女、いや1体の脂肪の塊に過ぎない。そういう事が判ってて、男は夜の街に繰り出す。

 どんな若い女優よりも、こうした身近に存在する脂肪で出来た塊の方が私には魅惑に思える。故に、多少は高く付いても、夜の街を散策するのだろう。アイドルを追っかける程に高尚でもないが、性的自己満足としてみれば、満更悪い趣味でもない。

 所詮、人間の、特に男の考える事は単純である。
 男は食べたいから食べるし、呑みたいから呑むし、抱きたいから抱く。”呑む・打つ・買う”は単細胞な生物のなせる業なのだ。
 これは旅もグルメもペットも同じ筈だ。
 夜の街もそんな単細胞な人種を餌にして繁栄し、生き延びてきた。が、コロナウィルスという半生物がその流れを完全に打ち砕いてしまう。
 それでも人は学習する生き物である。いや学習せざるを得ない生き物である。ウィルスが設計図を拡散させ宿主を探すように、人は反省と学習により知能を進化させ、存続を可能にする必要がある。
 しかし、夜の娯楽には存続させる程の設計図もないし、既に限界があるのだろうか。
 コロナ渦の後は、何時もそんな気がする。



2 コメント

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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2024-03-04 06:43:33
お邪魔します。

コロナの前と後、
色んな物事が変わりました。
僕は歓楽街に足を運ばなくなり久しいですが、
貴ブログ今投稿の記述---
“朽ちた夜の陥落街もよく眺めると風情がある”
---に触発され、そのうち出向いてみようかと考えています。

では、また。
りくすけサン (象が転んだ)
2024-03-04 23:05:59
震災から2ヶ月なんですよね。
まだ2ヶ月、もう2ヶ月って感じですが。
コロナ渦もつい先日のような気がしてましたが、まだまだ尾を引いてるんですよね。
それでも時代は何事もなかったかのように普通に動いていく。

りくすけサンも気分転換という気分にはまだなれないかもですが、温泉にでもゆっくりと浸って、美味しいものでも食って英気を養いたい所でしょうが
目の前の現実を考えると、何かやりきれないものがありますよね。

私もそういう事が判ってながら、繁華街を彷徨いたんですが、答えは見つかりませんでした。
頭の中では判ってるつもりなんですが・・・
辛い時期にコメント有り難うです。

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