『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

お抹茶カウンセリング

2024-05-17 06:33:47 | アート

 

きのうは
表千家JCの来談日だったので、
お稽古用のお道具を搬入し、
そのお点前を拝見した。

 



道具組には
30年前に
亡き師匠から
頂戴した茶碗と
初めてのお稽古に用いた
プラ製の中棗(なつめ)を選んでみた。

この三十年には
楽、萩、志野、信楽、備前
・・・などの茶碗に
木地の棗や濃茶入など
ずいぶんと道具も揃ったが、
初心の頃を思い出させる道具からは
師匠から教わった一言一句が
蘇るようである。

*

お稽古に通って四年目という
JCのお点前は、まだ、
たどたどしいながらも
その所作は美しく見えた。

なにより、
お稽古用とは別の
お茶事用の真新しい袱紗を
持参したのには感心した。

SCが遊び心で創った
規格外の極細の茶杓を
使いづらそうにしていたが(笑)、
その“遊び心”は解って
面白そうにしていた。

*

主菓子には
朝、冷蔵庫に常備している
餡子に黄な粉をまぶして
ラップで茶巾絞りにしたものを
二つ持参した。

それを頂いて
彼女の立ててくれたお薄を
頂戴した。

なんだか、JCとSCが
立礼(りゅうれい)棚を挟んで
オママゴトをしている
みたいでもあった(笑)。

彼女は着物を着ての
お茶事も経験したらしく、
掛け軸の拝見の仕方なども
習っていた。

なので、
よくある茶室の掛物についても
しばし、談義でき、楽しく思った。



*

SCは
十年前ほどに
勤務校のカウンセリング室に
片隅に放置してあった、
どなたかの習作と思われる
本郷焼の釉薬がかかった
茶碗を手前に用いた。

素人の作品は
手取りが重いのが難だが、
それでも、茶碗の縁の
「山道」が険しく、
釉薬の垂れ具合も
風情があり、気に入っている。

縁の欠けていた部分は
金継で修復して、
それもまた味わいのある
景色になってくれた。


これをモチーフにして
かつては、静物画を
水彩で描いたこともある。

**

トリコチロマニア
(抜毛症)で
来談している子だが、
この日、初めて、マスクを外して
お薄を服する素顔を見たら、
とんでもなく美人で驚いた(笑)。

その美顔に見合わない
頭を禿らかしてしまう症状は
何としても治ってくれないと・・・と、
嘆息してしまった。

*

続いては、
「N高デザイン科」志望の子が、
ようやく実技試験のデッサンを
始めたと言って、画帳を
持ってきてくれた。

自己流ではダメだから、
必ず、美術部の顧問の先生に
指導を受ける事、
と念を押していたら、
さっそく、それに従ってくれた。

ふだんは、
アニメのキャラクターばっかり
描いてる子だが、
さすがに線描は慣れていて、
林檎の輪郭線はカッチリしていて
明暗も見事に表現できていた。

受験日まで
あと十か月ほどあるので、
この線で練習を重ねれば、
十分に合格圏内には
到達できそうである。

本来は
小学時代の「いじめ」の
PTSDでセラピーに来ているが、
得意な絵画自体も
アートセラピーとして
奏効しているようで、
最近ではフラッシュバックが
なくなってきたという。

カウンセリングの間に
チャチャっと
SCのクロッキーを
アニメタッチで
「イケメン化してみました」
と描いてくれたのには
笑ってしまった(笑)。



***

きのうの「手作りベント」は、
前日に採集した
筍ご飯であった。

例年の如く、
近所の放置竹林沿いの
歩道にボンボン出てたので、
脚でポキリポキリと蹴とばして
採ってきたものである。

12本も採れたので、
懇意にしている
M先生んとこや
フレンチ・シェフ宅に
4本ずつお裾分けしてきた。

これも、例年のことである。

放置竹林の竹の子は
放置してると
そこからまたニョキニョキと
竹に成長するので、
誰かが「間引いて」やらないと
歩道が占拠されてしまう。

なので、
ヴォランティアを兼ねて、
美味しく頂くことにしている(笑)。




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