不眠閑話

政治、経済、教育、文化、社会、時事など。殆どは旧ブログからのコピペ・転載です。

桂離宮

2022-07-26 14:46:16 | 美術
SNSで発見した写真。

投稿者はモンドリアンの絵画のようだと形容していたが、成程と思う。
   
奥行があるようなないような、立体でありながら平面であるような。線の美しさを感じる。
   
多分、違う角度から見ても、その都度、違う美が現れるのだろう。見事なり。




【再掲】「高校教師」(TBS系ドラマ、1993年)

2022-07-21 14:01:24 | サブカルチャー
「高校教師」(TBS系ドラマ、1993年)
            
日本の90年代TVドラマの中で、私のもっとも好きな作品の一つ、「高校教師」について、寸評を加えてみたい。    
                    
この作品は、高校教師(=ポスドク?)と女子高生の「禁断の愛」を描くという――さらに心中(情死)に至るという、今でいえば、完全にアウトな内容の物語なのであるが、注目したいのは、このドラマが単に恋愛を描いているだけではないという点である。
           
では、恋愛以外にどんなモチーフがあるのか?――というと、結論からいえば、それは主人公の「自分探し」というものになる。以下、そうした本作の副次的テーマを、語り(ナレーション)の構造から読み解いてみることにしよう。
            
すでにこのドラマを観たことのある読者ならご存じの事と思うが、「高校教師」は冒頭部分から、主人公の「独り言」のようなナレーションが、しばしば挿入されている。
        
そのナレーションをよく聞くと、全11話のうち、10話までは「あの頃の僕は~」「あの頃の僕は~」という<過去形>で物語が語られていくのであるが、最終話の心中直前の場面(エンドロール寸前)になって、突如「今、僕は~」という<現在形>に変わる。
           
このことは、物語全体が実は心中する直前の主人公の「回想」でもあった、という事を意味している。
        
つまり、主人公の「僕」は、ヒロインと出会ってからの思い出を、記憶をたどりながら回想していたのであり、物語はそのような主人公によって(ある意味、自分の都合のいい形に)編集され、美化された話だった、という事である。

(したがって、「高校教師」は潜在的には「一人称物語」といえる。ただ、この問題については、書くと長くなるので省略する。)
          
それでは、このナルシズム的な自意識のなかで、「僕」はヒロインとの関係を反芻(回想)しながら、一体何をしようとしているのか? というと、それが「本当の自分とは何か?」という<自分探し>の問題になる。
           
例えば、主人公は記憶(物語)のなかで、「本当の自分というのは、全てを失った時にあらわれる」(第3話)と述べているが、この「本当の自分(=すべてを失った自分)」に関する話題は、その後もたびたび記憶の中で繰り返され(第4話、第7話)、最終話(語りの現在時)に向けての伏線になっている。
         
そして、実際、物語は「僕」が、将来の夢も、婚約者も、何もかもを失っていく、という形で展開していくのであるが、そこから「すべてを失った今の自分とは、何者なのか?」という死の直前の「僕」の問いかけが生まれてくる。
       
「僕」は、かつての同僚の愛の姿や、ヒロインとの関係を回想し、それらを(ある種の)〈鏡像〉としながら、変容していく自身の姿を辿っていくかのようである。このような形での「自分探し」こそが、本作のいわゆる「語りの衝動」なのだともいえよう。
          
では、すべてを失うことで、最終的に主人公が発見したらしい「本当の自分」とは一体何か?――それは紙数の都合もあるので、ここでは書かない。結末はぜひ、読者の眼で確認して頂くことにしたい。

【再掲】SUZUKIのチョイノリを情熱的に語る

2022-07-17 10:18:16 | 車・バイク
スズキのチョイノリは、すごい昔に、乗っていたことがあるが、私にとってとても愛着のあるスクーターであった。
          
では、チョイノリの何が好きか? というと、それはあの<チープさ>にある。このバイクは、何もかもが<チープ>に出来ているのだが、そこで開き直っている所に、このバイクの最大の魅力があるのだと思う。
            
たとえば、チョイノリは、まずデザインが<チープ>である。あの、ほとんど何もないシンプルさが、とても潔い。それから、エンジンも<チープ>である。トルクが全然なく、アクセルを回すと、バイクとは思えないほど、軽い音がする。(オモチャみたいだ)それから装備品も、スピードメーターしかないという単純さである。
           
しかし、――繰り返しになるが――その安っぽさが良い。「チープなものには、チープなものの良さがある」が、このバイクを開発した人は、それがよくわかっているのだろう。チョイノリは、そのオモチャ感(?)の美学を追求したバイクなのである
                        
ちなみに、「では、なぜこのバイクを手放したのか?」というと、このバイクに乗っていると、しょちゅう警察に捕まるからである。私は、昔、何も違反していないのに、しょっちゅう捕まって、いちゃもんをつけられたりして、違反切符を切られていた。
               
そして、確か免許を更新する時、ほとんど点数が残っておらず、もっとも悪質なドライバーが受ける講習を受講させられたような気がする。(チョイノリは、そんな風に、警察の点数稼ぎのカモにされるので、お薦めできない。)
                     
いずれにせよ、チョイノリは、本体は安いが(違反切符をしょっちゅう切られるので)、実はコストパフォーマンスが悪いバイクなのである。



【再掲】日本の外交

2022-07-15 21:09:34 | 政治
過去ブログからの転載。
   
※   ※   ※
日本政府の外交が下手すぎる。稚拙すぎる。そう感じる。
    
では、日本政府の外交の何がどう駄目だと思うのか? 具体的に自分の意見を記しておく。
  
  
1.主導権の有無
例えば、韓国との外交(徴用工問題)を見てみると「日本企業に実害が出たら制裁する」という言い方をしているが、私の考えではこの段階で既にアウトである。
    
なぜアウトか? というと、この条件だと「制裁はいつ発動されるか?」という問題の決定権を、韓国に与えてしまう事になるからである。ーーつまり、韓国側は「自分のタイミングで制裁される時期を決めていい」という事になる。
    
こんなものなら、脅しでも何でもない。私だったら全然恐ろしくない。もし、私が韓国なら日本が一番制裁しにくい時期、そして韓国が制裁されても大丈夫な時期を選んで、日本企業の資産を売却するだろう。そして、実際に制裁されても、既に準備は万端なので、日本の攻撃などあまり効かない。
    
日本は何故自分から、外交の主導権をむざむざ相手に渡すという愚をおかすのか? 非常に理解に苦しむ。この辺りの駆け引きをみると、外交が下手なんだなと感じる。
       
ちなみに「では、どうすればいいか?」ーーというと、韓国が制裁されたら一番困るタイミングで、日本からYESかNOかの返答を迫り、NOと答えたら制裁を発動すればいい。あくまで「主導権は日本にある」という強気の姿勢で、交渉は進めなければならない。いや、政治的駆け引きとは、そういう事ではないのか?
  
   
2.スモールステップの計略
中国とか、ロシア相手の外交も下手である。
   
というのも、北方領土にせよ、尖閣諸島にせよ、中露の方法を見ていると、スモールステップの積み重ねで外交している
  
つまり、まずは「漁船の領海侵犯」(中国)といった「小さい攻撃」(スモールステップ)を何度も繰り返し、相手(日本)が慣れてきたところで、「軍艦の侵入」(中国)という具合に、次のステップに進む。ーーこのように、スモールステップを繰り返しながら、じわじわと相手を侵略していく。やり過ぎた時は「3歩進んで2歩下がる」のように、少し相手(日本)に妥協するが、それでも前進はやめない。そういう兵法である。
    
では、こういう中露の外交に対して、日本政府はどうしているのか?
   
というと、「遺憾の意」の連発である。(馬鹿か……呆)
   
さて、こういう状況を打開していくにはどうするか? ーーそれは素人には分からない部分も多い。
        
ただ、私だったら、相手と同じ事をしてみるかもしれない。受け身に回らず、こちらから仕掛けてみるのである。
      
例えば、まずは「日本漁船による北方領土のトラブル」を繰り返し、「国会議員の北方領土上空視察」を何度も繰り返す。で、それが既成事実化してきたら、「国会議員の北方領土上陸」を行い、その後は「首相の北方領土上空視察」みたいに展開させていく。そうやって少しずつ相手(ロシア)の防衛ラインを切り崩していく
     
相手が手を出して来ないギリギリのラインを見極めながら、スモールステップを繰り返し、それが既成事実化してきたら、次のステージに入っていく。そういう計略である
      
ちなみに、今、日本が中露韓米から食らっているのは、この攻撃である。しかしーー何度も言わせて欲しいーーそんな外国の攻撃に対し、僕らの日本政府はいつもどのように対応しているか?
    
「遺憾の意」だ!!(馬鹿だ!)

【再掲】好きな短歌

2022-07-14 21:27:39 | 文学
好きな短歌。メモ

【坪野哲久】
・ツルハシ担いでのつそりはいつたのでびつくらしたかお神さんおどおどすることあねえおれはガス屋だ (歌集「九月一日より)
  
・ガス屋だと思つて気を許してゐる奴等お前らの仕合を見つめてゐるおれの熱い眼だ見ろ! (歌集「九月一日より)
  
・母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎(も)えて雪ふらすなり (歌集「百花(びゃくげ)」より)
   
・死にゆくは醜悪を超えてきびしけれ百花を撒かん人の子われは (歌集「百花(びゃくげ)」より)
   
・存分に料理してくれろとわめきちらすさびしきものをわれ秘(かく)し持つ (歌集「百花(びゃくげ)」より)
   
・たましいのやすらわぬこそいのちなれ煩悩具足八十二歳 (歌集「方丈旦暮」より)  
   

【坂口弘】
・リンチへの彼の抗議に揺らぎつつ揺らぎを隠しさらに撲りぬ (歌集「坂口弘歌稿」より)
   
・リンチせし皆が自分を総括すレモンの滓を搾るがごとくに (歌集「坂口弘歌稿」より)
   

【斎藤史】
・暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた (歌集「魚歌」より)
   

【沢口芙美】
・大夕焼けに川あかあかと流れゆく醒めて狂へる心あるべし (歌集「フェベ」より)
   
・おどろきの表情のこる煮魚の目よりこぼれむとする白き玉 (歌集「フェベ」より)
   
・血ににぶる包丁の刃をふきぬぐひ魚の身さらに切り分けてゆく (歌集「フェベ」より)
   
  
【佐々木幸綱】
・久々に人を殴りし拳の血驚愕に似て新鮮なりし (歌集「直立せよ一行の詞」より)
   
・しっ、静かにっ! 春画の女の生き様び生き生きとして贅肉厚し (歌集「直立せよ一行の詞」より)
   
・肉が肉生み恥が恥生むかなしさの水際に立ちて歌わんものを (歌集「直立せよ一行の詞」より)