拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

権利の濫用

2024-04-13 20:44:26 | 日記

今週の朝ドラに離婚間際の妻が登場して夫に対して着物の返還を求める訴えを裁判所に起こした。朝ドラ受けで「着物が戻るといいですね」と言ったあさイチの鈴木アナを始めとして日本中が妻の味方になった風だがときは昭和初期。当時の民法では妻の財産の管理は夫がすることになってたから妻が裁判で勝つのは至難の業。すると、法律家を目指すヒロインが、裁判官が自由な心証で判断するという「自由心証主義」を持ち出した。だが、自由心証主義はあくまで事実認定についての法理。すなわち、争いの当事者が主張する事実がホントかどうかは一応証拠で証明するのだが、結局のところは裁判官の自由な心証による、ということ。そうやって認定された事実への法律のあてはめは、これは厳密にやらなくてはいけないのであって、裁判官が自由にやってよいということではない。もし、自由心証主義でもって着物が戻ったのなら、私は今回の朝ドラの視聴をやめようと思った。注目の判決はいかに?妻勝訴。着物は戻った。理由は?夫の財産権の行使は権利の濫用であるとのこと。おお、この手があったか。これはアリである。あんなに言ってた自由心証主義はなかったことになってるのが気にはなったが。

「権利の濫用」で有名な判決の一つが「宇奈月温泉事件判決」。事件の概要はこう。宇奈月温泉の源泉は温泉街から離れたところにあって管でお湯を引いていたのだが、その管が私有地をかすめていたため、私有地の所有者が所有権に基づく妨害排除請求、すなわち、管をどけろ!と訴えを起こした。自分の所有地に他人の物があればどけろ!と言うのは法的な権利。所有者はその権利を行使したわけ。理屈は通っている。ところが、所有者が敗訴した。その土地は黒部川の断崖絶壁で使用価値はゼロ。管が通ってても実害はない。他方、管をどかせられたら温泉街の損害は計り知れない。こうした場合において、所有者が管をどけろ!と言うのは権利の濫用であって許されない。これが判決理由であった。因みに、ブラタモリで黒部川をとりあげたとき、宇奈月温泉は源泉から管を引いてる旨の説明があり、管の位置まで図示していて私は狂喜乱舞しました(裁判のことは触れなかったけど)。

かように威力のある「権利の濫用」の法理ではあるけれど、原則をひっくり返すいわゆる「劇薬」だから、そうちょくちょく使ってはならない(皆が皆「権利の濫用」を言い出したら、法が認めた権利は有名無実化する)。水戸黄門の印籠も、お代官の措置を一発で覆すから使用頻度は1回の放送当たり1度のみ。すなわち、1週間に1度である。それと同じである。

なお、新朝ドラのヒロインだけれど、おせっかいなおっちょこちょいで正義感にあふれてるって、これ、ヒロインの「定型」ですね。ヒロインがだだっと駆け出して一人前方にいて、残された仲間の集団が後方にいる図柄、これもヒロインを目立たせる「定型」。うーん、定型はあまり好きじゃない。



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