月命日には少し早かったのですが、お天気が良かった昨日、亡き両親のお墓まいりに行って来ました。
2012年12月9日
母(70)
肝細胞癌の為、発見から4ヶ月、闘病の末 亡くなる。
2016年12月8日
父(89)
パーキンソン病の為、発見から4ヶ月、闘病の末 亡くなる。
2人とも、病気がわかって4ヶ月で、サヨナラ…と、あちらの世界へ行ってしまいました。
父と母は15歳違いのおしどり夫婦でした。
先に、父より15歳年下の母が70歳という若さで亡くなり、ひとりぼっちになってしまった当時85歳の父。
父は潔癖症だったので、掃除洗濯に関しては毎日ぬかりなかったが、心配だったのは、食事が作れない事でした。
母が肝臓癌で入院してからは、私が父の食事の世話をしていましたが、母が亡くなってからは、介護保険を利用し、ヘルパーさんをお願いした事で、私の負担もかなり減りました。
父には、朝食はパン二個と、ヨーグルトとバナナを食べてもらうようにし、昼夜はヘルパーさんに食事作りをお願いしました。
洗濯は、父本人が、とにかく完璧な干し方で、日々奮闘してくれていました。
掃除も、病気で体が動かなくなるまで、毎日きちんとしてくれていたので、いつも、ホコリひとつない綺麗な実家でした。
そんな父も夏の暑い日、夜遅くから朝までの約10時間、台所へ続く居間で倒れていました。
前々から転ぶことが多かった父でしたが、倒れる1ヶ月前くらいからその症状はひどくなり、この日は全く自由が効かなかったようで。
いつもなら、何かあるとすぐに、ケータイから電話やメールをくれていた父でしたが、
それがこの日はそれができなかったみたい。
ケータイは、手の届かないベッドにありました。
翌朝、たまたま早く実家に顔をだした私が見たもの。
それは脱水で苦しむ父の姿。
すぐさま救急車で病院へ搬送するも、診断結果は
パーキンソン病!
毎月、かかりつけの医者に通院していたのに、その時病名はわからず…。
嚥下の状態も悪いとのことで、その日から亡くなる日まで、病気側からは一滴の水ですらだしてもらえませんでした。
しかし、家族の見舞時だけなら、プリンかヨーグルトはオーケーとの許しを得たので、プリンかヨーグルトを食べさせてあげたいがために、私は極力、病院へ通い続けました。
腹減った…
が父の口癖になっていました。
思いっきり食べさせてあげられない辛さを思い出すと、今でも涙が溢れて来ます。
そのうち、ガリガリにやせ細り、寝返りも打てなくなった父。
胃ろうはしない!と、拒否した父の意思をくんで、生きるためにした事、それは、高カロリー点滴。
パーキンソン病の進行で、そのうち言葉も聞き取れなくなり、入院から4ヶ月後、亡き母の元へ旅立っていきました。
なにもしてやれなくて本当にごめんなさい。
…母と、1日違いの命日。
両親のお墓まいりは、毎月欠かさず行ってます。
妹が来た様子はいつもないんだけどね…。
その代わり、私の両親の墓のすぐ近くに、お父様のお墓を建てた友人が、たまにお参りを、してくれます。本当にありがたい事です。
いつもありがとうございます!
昨日のお墓まいりは暑かった。
パパ、ママ、元気でやってる?
娘が結婚したよ!長男も来週入籍だよ!次男も彼女と上手くいってるよ。見守ってあげてよね。
ママ、生きてたらまだ75歳だったんだよね。これから一緒に旅行たくさんしようと思ってたのに残念だよ。パパと仲良くやってる?又、ガミガミうるさい亭主関白オヤジになってる?ママはそれでもいつもニコニコ笑ってたよね。でもね、ママが亡くなってからの4年間、パパはかなり丸くなって、とても素直で、とても優しいかったんだよ。1人にさせてしまってかわいそうだったなと思うよ。反省してももう遅いけどね。ママの指輪、パパのケータイに時計を見ると涙が出る時があるよ。2人に会えないのは寂しいけれど、私はまだまだ頑張るよ。お墓まいり又来るからね。みんなの事見守っていてね。バイバイ、パパママ。
お墓まいりから帰ってから、改めて仏壇に手を合わせました。
パパママ、やっぱり2人に会いたいよ…
亡き父から電話がかかって来ることは…
もう二度とない
私は、
今を生きる…