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Tシャツとサンダルの候

旧八女郡界隈

最初に断っておく。

今回の投稿は、旧八女郡における南北朝時代の史跡巡りである。

南北朝の史跡に関しては、折りにつけ、これまで随分と訪ねてきた。

それでもまだ、行けてない場所が山ほどある。

今回は、その中の幾つかを巡りたい。


ただしである。


どこもかしこも、歴史の片隅に置き忘れられたような場所ばかり。

南北朝フリークでもないカタギの人間には、退屈極まりない投稿になると断言しておく。



またしても前置きが長くなった。

とっとと、自分だけの為のブログを始める。

最初の目的地はここ。



国道沿いにすっくと立つ巨木。

八女市山内のチシャの木だ。



真っ直ぐ奥に進むと、素戔嗚神社に突き当たる。




征西将軍懐良親王が肥後に向かう途中、ここで宴を催した。

その陣屋跡に芽を出したのがこの木で、地元では「宮チシャ」と呼ばれ・・・云々。

そんな旨が書いてある。



県の天然記念物。



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黒木町 旧隈本家住宅



係の人がやって来た。


「いらっしゃいませ。」

「あ、どうも。」

「どうぞこちらに。」



「この床の間の木をご覧下さい。これは柿渋が作った模様でして、先日、『なんでも鑑定団』で・・・」


材木一本で、数十万円は下らないと言う、価値あるものらしい。



「これなんか、良くお分かりになると思います。」

「ははあ、ほんとですね。」



身分差を表す踏み石。

最奥部が、上段の間から庭に降りる際の、2段になった踏み石。

中段の間からは一段。

1番手前の下段には、踏み石すら無い。



一枚板の縁側。

全長は10m近くある。



納戸を開けると、何故か隠し階段があったりする。

二階に上ってみた。



2階は資料展示室となっていた。







ここを訪ねた目的は、実は隈本家住宅ではない。

隈本家住宅に隣接する、南北朝関連の文化財を集めた収蔵室にある。



中でも見たかったのが、この『天授塔』である。

猫尾城合戦の戦死者を弔らう為の宝篋印塔の一部。

『禅徹禅門 天授二年 妙覚』の文字が見える。

天授とは南朝方の年号である。



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矢部村 老松天満宮。

二つに分断された境内それぞれに、イチョウの巨木が立つ。



『後醍醐天皇が後征西将軍良成親王の守り神として、忠臣高藤九郎がご神体を奉じ、九州に下り・・・』

と、由来にある。







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星野村 小野神社



向かって右は、阿吽の阿形。

実はこれは狛犬ではなく、獅子なんだそうな。



こちらは口を閉じた吽形。

こちらを狛犬と言うらしい。

因みに、角がある狛犬が登場したのは古く、平安時代から。

その後江戸時代には、狛犬から角は無くなったそうだ。

小野神社の創建が鎌倉時代である事を考えれば、もしかしたら創建時からのものかも。

いずれにせよ、相当古いのは確かである。



懐良親王はその晩年、この境内に御在所を置いた。












砲弾をモチーフとした慰霊碑。



ここにも銀杏の巨樹が。

懐良親王のお手植えと伝えられる。





ここまで読んで頂いた方には、

「欠伸をしながらも、最後まで読んで頂き、まことに有り難うございました」

そう感謝申し上げたい。
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