JA1WSE移動アマチュア無線研究場

無線研究活動を写真と日誌で記録するノート

6mは水平がいい

2024年05月30日 | アマチュア無線


モ-ビル運用が主体だったから、アンテナは垂直ホイップが使用されていたが、山の上で半固定でコンテストするには水平偏波の方が受けも飛びもいい!
トップは約4mになる、もちろん立てたままで走るわけにはいかない。移動運用地にて組み立てルーフの基台にねじ込む、アスは直流的にはボディーに着いてるが、高周波的にキャパシタ、?、マグネットシートで屋根に接地、地面とはタイヤで絶縁された状態なので各ドア3方へ広げる!7メガでは効果発揮50メガでははたしてどれだけの効果か?
八木アンテナほど高さはあげられないが周囲の開放状態で稼ぐ!



宮島 宮浜温泉 

2024年05月16日 | アマチュア無線
廿日市市より臨む宮島、中国 JA4 を観光しました
これから宮島口いき渡船のります
宮浜温泉は静かないい温泉でした、海に牡蠣たな、瀬戸の島をながめ露天風呂はよかった。天気があれて強風、大野浦駅にいっても、山陽本線は90分遅れ、やっと10時半に上りが来た。
二駅乗ると、宮島口、桟橋へいくとすっかり国際観光地の風景、外国人の方が多いくらい!
渡船は2系統あり 松大フェリのほうが頻繫に出てる、おりると完全観光地?土産物屋食堂、鎌倉のような雑踏、伊勢神宮のような厳かさかんじられない。赤い鳥居のちかくまで俗人が海に入り撮影してる、あまりみたくない光景だっだ。この神社はほんでんも礼拝所も海のなかに建てられた清盛様の清い浜海だから赤い鳥居も海中にある








穴太寺 あのおじ 西国二十一番観音霊場JR嵯峨野線で訪れ、納経してきました、花園、太秦、保津峡を通り亀岡市へ、 
駅前ロータリーにバスは無く、さてどうしたものか、案内所へ行くと、おじさんがこんせつ丁寧に地図までいんさつしてくれた、ありがたいお接待に感謝、寺はりっぱな山門とお寺、納経し御朱印をいただきました




高松駅




高松駅より電車で善通寺へ向かう
土讃線であるが電化されて、ワンマン運転琴平行で善通寺へ1時間かけて到着、おりたつと、すっかり整備された街並大通りはひとどおりはなく、静かな参道だった。20分ほど歩くと、見覚えのあるおおきな五重の塔、寺境内も広いが本殿も薬師如来もでっかい。、!納経し御朱印も4とおり見本から選ぶことができる、88めぐりはお釈迦さまをいただいたので、こんかいはお大師さまの印をいだいた 500円






テレビで照会された金丸座、琴平を見に行ってみた
外人客ばかり興味深くみてた。日本人にも興味持ってほしいが、無理なはなしかも?






高松港は今も

2024年05月10日 | 旅行



小豆島に行かう船便が活躍している、オリーブの島、土庄行、池田行とたくさん往復していた

宇野高松国道フェリーが廃止したようです

神戸港行 ジャンボフェリーは 高松東港から運航してるそうです 小豆島経由もあるようだ

宇野、高松を連絡船してた 讃岐丸のアンカー 錨が記念に遺してあります、
およそこのあたりに接岸してた?のかも、予讃線のレールも岸壁まで敷設してあり船内にもレールに接続し
客車を乗せて運航したこともあるようだ、
髙松駅はもっと岸壁よりにあった、駅構内を歩き乗船したと記憶している。駅前に大きな花時計が目立つ

その岸壁は今小豆島や直島に行くフェリーが接岸するようだ
各島へわたるには60分ほど乗る、定員はすくないが高速船も出ている





ジャンボフェリーは看板のところまで行ってみた
阪神大震災で神戸の岸壁が破壊し運航できなかったこともあった




芸術祭開催の直島は人気があり 高速船で30分ほど宮の浦港へ 65人のると満席次の便を待つしかない

直島諸島、男木島、女木島行きはこの桟橋から乗れる





昭和 ネモフィラ公園

2024年05月03日 | アマチュア無線
昭島、立川市にまたがる、昭和記念公園
水戸に並ぶ、ネモフィラの丘はみごと
立川口から入るのが一般的たが、西立川口が駅から最短で入場できる。小学校の遠足は皆、西立川駅から歩く
夏のレインボープールは30年の開業を終わり廃施設になっていた
ネモフィラの丘をみたいなら、北の砂川口からはいればすぐにたどり着く!







東京コンテスト 900 --- 1500 参加

144SSBがにぎやか

50CWははじまりは結構いた
50SSBも少しはいた

28は何も聞こえず

21はCWが弱く入感、呼んでみたが応答なし

仕方ない 144メガに戻り 30局くらい稼ぐ
144FMをのぞいてみたがコンテストのやり方を知らない世界でNRを説明してNRを発してもらう始末
いずれにしても交信できた局がすくなすぎる・・・FMで関心具合を測り CQ トーキョーコンテストを叫ぶ

1500 コンテスト終了 ー--集計結果ー--
144 CW 15   SSB 29  FM 35
50 CW 6   SSB 3   AM 1  FM  1
28 CW  2 SSB 1
21 CW 3

50 が意外に少ない・・・20年前の20分の一   50メガシングルでは得点不足⁇
50メガを期待して 檜原村や奥多摩町へ朝一番移動して設営した局がたくさんいたようだ
いつも、よく訊くコールサインやグループ仲間で奥多摩周遊道路など行ったようだ
あきる野市には1局、日の出町にも1局いい場所取りして頑張っていたが・・・午後からは静まり返った
1500までコンテスト時間あるのに 参加者があまりにも少ないので早めに撤収をしたのかも?
トーキョーコンテストがこの状態では先が思いやられる

CW を使う局が減った


JARLニュースは新聞だった

2024年04月30日 | アマチュア無線

1967年頃、JARL保証認定を受けるためには入会金はらい会員にならなければ、免許を受けるための検査をしてくれないのだと思っていた?、JARLの存在は知ってはいたが、すべてJARLの運用に従わなければなにも手続ができないようなことは事実で、電波監理局はその上で審査するだけ、、、、
実際従事者免許だけでは電波は出せない。
局免は、、電波監理局の検査を受けて合格しなければ発給されない。この検査というものがなかなか面倒なものでなんの知識を持たない素人考えがすんなり通せるようなものではない。書類審査、予備検査、本検査に合格し始めてコールサインが割り当てられ発信できる。
この面倒なことを代理保証認定してくれるのが JARLの保証認定制度でたいへん好都合によい手助けをしてくれていた。
だから 入会して連盟の会員になることが義務だと思ったこともあるが、近頃は存在が薄れて会員はおおはばに減った。


にっぽんは JA. 大韓民国?はHM. 琉球がKR8. アメリカ本土がW と識別ふごうだったかと記憶している

1972年のJARLニュースにはHM1AQのコ-ルサインをもちKARLの会長が記事になっていて、

いまでは使わないHMが使われ、いつのころからHLに切り替わり現在に至っている。

 新聞を床面に置きスマホで写した、なぜか天地逆に投稿されてしまった。HM は今は使用禁止 北に割当分 将来?  P5もあけてあるが、果たして使われることあるのか

 入会金が必要年会費1200円だったと思う

なかなか稼げない50MHzはCWでCQランニング、なんとか50局できた、マルチも7マルチ達成!


研究用トランシーバー
内蔵バッテリーは使わないが外部電源で実用可になった、、144/430デュアルハンディ機3/2W出せる!
430のものは他にいくらでもある。、が今回はK社製のいい研究材料であった。?