Storia‐異人列伝

歴史に名を残す人物と時間・空間を超えて―すばらしき人たちの物語

百人一首の年頭所感

2024-01-12 23:02:56 | 音楽・芸術・文学

 一昨年、百人一首などを手がかりに親しんできた「やまと歌」鑑賞などを集め「Storia異人列伝(Ⅵ)ーやまと歌・百人一首ー」をAMAZONから出版し、和歌、俳句、川柳、狂歌まで好きな日本の歌500ぐらいを記録と記憶にとどめたはずだった。正岡子規、白洲正子、井上靖、丸谷才一、田辺聖子、辻邦生、堀田善衛・・・和歌の造詣深き先達に道案内をお願いしての「やまと歌の旅」だから内容は確かなのだが、読んでくれるのは自分だけ!?それにもめげずにその後も堀田善衛「明月記私抄」や、織田小吉「絢爛たる暗号」村井康彦「藤原定家明月記の世界」などを読み返している。文学と人間、人生への深い洞察、そして何より歌の心がわかるおひとは堀田善衛先生であろうか。

ただ、「絢爛たる暗号 ー 百人一首の謎解き」で知った織田さんの推理と探求は、これまた学者にはない大胆かつ鋭利な掘り下げであった。百人一首すらうろ覚え、どんどん忘れるばかりのわが記憶の島の助けにすべく、織田さんの解析した「小倉山荘色紙和歌」関連復元図をカルタの絵札を使って大きくした。この半年、ムスメが(息抜きで?)競技かるたに関心があるようなので対戦してみれば、いつも完敗。あんなものは歌の世界ではなくいわば体育会系の遊びじゃないか。。。でも悔しいのでこれではならじとわが庵の襖にかけて眺めている。わが文字の不味さは別にして、あらためて、定家という歌人はタダモノではないなと感心することしきり。

このお正月、YAHOOニュースで見れば箱根駅伝の勢いのせいか青学の院生が競技かるたのクイーン位を獲ったようだ。ついでに目に止まってびっくりした記事が貴乃花、「再婚相手は初恋の人です」のお話だ。文春オンラインを辿ればいいが、あの時の拾い読みだけでも素晴らしいドラマであった。彼はなんと純真で素直な男なのだろう。ひさしぶりのいい笑顔だなあ。そっとしておいてあげればいい。

ああいうこともあるんだ。ぼくの図屏風から拾ってみれば、こんなかなあ。おひめさまの歌が好きだよとLIINEでいったら、ふみえちゃんからはおとこのもいいよと、数秒後?に返ってきた。こういうひと、いいね。

あらざらむこの世のほかの思ひでに 今ひとたびの逢ふこともがな(和泉式部)

君がため惜しからざりし命さへ 長くもながと思ひけるかな(藤原義孝)

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二百十日に寄せて

2023-09-02 08:30:36 | 音楽・芸術・文学
もう9月1日か、それにしてもなんとも暑い今年だなあ。ねれ縁の上は、足の裏が火傷しそう。青空、陽射しはカンカン、なのに、そろそろ肉体労働のアルバイトに行く時間だ。
9月1日といえば1923年の関東大震災、これは大正12年。夭折した親父は生きてれば今年で100歳。
さらでだに、二百十日といえば正岡子規がとっさに詠んだ戯れ句が思い浮かぶ。少し長いが、「日本」新聞社に入ったころの逸話を引いてみる。
 
《『子規全集〈別巻 2〉回想の子規 (講談社) 』ー『日本新聞に於ける正岡子規君』 古島一念 より
。。。
 君が入社して先づ筆を執つたのが例の有名なる獺祭書屋俳話の一篇で、君が俳句上の所論を公けにした言はゞ俳句界革新の暁鐘であつた、僕は成程一寸變つた議論だとは思つたが、なに高が十七字のチョンノマ文學だ、善いも悪いもあつたものかと高をくゝつて居つた、
 すると間もなく岐蘇三十首なる漢詩が出て來た、漢詩の方は多少の趣味を以て居つたから其善悪位は分る、分る丈に是には痛く其腕前に驚いた、併し君は純粋なる文學者であつて新聞記者としては成功するや否やは尚ほ疑問を存して居つた、夫れだから或日の事であつた、新聞社の歸へり路に僕は君を引張つて、とある鳥屋に這入込んだ、そして僕は先輩然として俳句を新聞の上に應用する事に就ての工夫やら新聞文學なるものは一種の技倆を有する事などを説いた、君はそんな事は言はずとも知て居ると云ふ様な顔付で聞いて居つたが別に何にも言はなかつた、僕は其時の君の顔が何となく癪に障つてコイツ生意氣な奴だと思ふて居つた、それから一月も立つて丁度其年の二百十日であつた、日本新聞は發行停止を命ぜられた、僕は多少試験の氣味で君何か一句ないかと言つたら言下筆を把つて、
    君が代も二百十日は荒れにけり
とやつた、こいつはなかなか喰へぬ代物だ、よくもコンナに十七字の中にこなしつける事の出來るものだと只だもう譯けもなく矢鱈無性に感服して仕舞つた、君は大方腹の中でこいつも矢張り話せない月並連中だと笑つて居つたろう。
 併し予は此の一句を得てから自分の所論が成功したかの如く嬉しかつた、即ち青崖の評林と共に俳句の時事評を以て紙面を飾る事が出來ると思つたから今度は更らに時事を詠じて呉れと頼んだ、今となつて見るとコンナ事に君を煩したのは氣の毒であつたと後悔するが負ける事の嫌な君は快く此の注文を引受けて是より日々紙上君が俳文若しくは俳句を見ざるの日はなかつた、試みに其の二三の例を紹介しよう。(以下略)
。。。。》
 
さてと、ひと仕事終わって。。。。今夜の僕の二百十日は、昨日、子母澤寛の「勝海舟」を読み終えたから「海舟記念日」としておこう。高校のバレー部の2年上の主将だった成広先輩に勧められたのが今年2023年の節分のころ。半世紀前の出版の全6巻をタダ同然で手に入れれば、箱入り、セロファン紙カバーまでつく見事な本であった。だが、いかんせん、当方の気づく時期が半世紀遅れた。虫眼鏡まで使ってやっと読み終えた「勝海舟」これは、素晴らしい小説であった。僕も「Storia異人列伝(Ⅳ)ー明治維新ー」という稚拙な本をまとめたが、これも読んでいればまたまた内容が発散(深化ではなく!?)するところであったかもしれぬ。西郷と勝の合作の若者だった山本権兵衛が海軍大臣になったのを見届けての翌年明治32年1月、伯爵の勝海舟は亡くなった。最後に残した言葉は「コレデオシマイ」。100年前の二百十日、関東大震災時の首相は、この山本権兵衛であった。
 
勝麟太郎は、周りの人たちにべらんめえ調の江戸言葉で思いや、ぼやきやらを撒き散らす。むろん、しゃべりなど会話は、歴史小説作家の腕の見せ所、嘘八百も混じったものではあろう。しかしその内容と雰囲気がまさに本当のことに思えてしまう。話の中身と時間の流れは維新のころの史実を丹念に追いかけて書いたものだからだ。
このころのもう一人の人物西郷隆盛には、海音寺潮五郎が西郷への想いを通して見事な維新史を遺してくれた。倒れゆく徳川幕藩体制の側にも、子母澤寛が勝海舟という醒めた理性が存在していたことを書いて示してくれたのだった。新聞小説としての初出は太平洋戦争中の昭和16年から21年のころである。小説は、徳川家の駿府転封のごたごたあたりで突然に終わりを告げる。
 
戦後だいぶ経ってNHK大河ドラマにもなったようだ。この小説のままで、壮大なドラマになりその場の情景までが目に浮かぶのだ。麟太郎の口からは、行く末もわからぬ時勢の動きから様々な人物たちの生き様、死に様、江戸や大坂、京、長崎まで地理や四季折々の風物も、日々の小さな花々と雨風までが詳しく語られる。このまま映像化すればドラマになるのだ。この小説家の力量である。
麟太郎を取り巻く人間模様、親父の小吉に始まり父母、愛妻、愛妾たち、義弟の佐久間象山、彼を慕う若き坂本龍馬ら。。。
子母澤寛の筆の下には、この時代の精密な調査と考察が潜む。封建時代の江戸幕府の役職の名称、位階、俸禄。。。若き麟太郎、壮年の勝安房守が動き回る江戸の町は江戸切絵図を横に置かないといけない。だが彼が動き回るのは狭き江戸だけではない。京、大坂、神戸、長崎、サンフランシスコ、ハワイ、広島、駿府。。。勝海舟という男は徳川家とその時代に最善の幕引きをしてくれたようだ。「勝海舟」は、出処進退も潔い、素晴らしい人物の良き人生の物語であった。
 

(1860年渡米時にサンフランシスコにて撮影、ja.wikipedia.org/wiki/勝海舟)

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Storia異人列伝の全集本(!?)出版のお知らせ

2023-02-07 13:52:18 | 音楽・芸術・文学

当ブログにて公開してきた記事を集成したKindle電子本を順次ご紹介してきましたが、この度併せて全て印刷本としても出版しました。

,「Amazon」サイトにて(著者名)「佐竹則和」で検索すれば、全11冊の情報が表示されます。

まずは各本ごとの個別画面にて<試し読み>をご覧いただけければ幸いです。

 

著者:佐竹則和   2023.2.7

 

 

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Storia 異人列伝(Ⅸ)自画像のゴヤ ー

2022-11-03 12:57:59 | 西洋のひと/ギリシャ・ローマ

標記タイトルの電子本は、十数年来当ブログにて公開してきた画家ゴヤ関係の記事を推敲・集成したものです。

ゴヤの生きた場所に立ちゴヤの実作の前にてゴヤの生涯を思い見事な鑑賞態度を示された堀田善衛。ゴヤ、生涯2000点の作品というが十数点の自画像を手掛かりに堀田善衛のライフワーク『ゴヤ』にて、画家ゴヤの人間と作品を追いかけたものです。

電子本のコンテンツともとになった当ブログ上の関連記事、書籍紹介記事は内容が重複するため全て非公開化または削除しました。これまで記事引用やリンク参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にてまとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2022.11.3

Storia 異人列伝(ⅧStoria 異人列伝(Ⅸ)自画像のゴヤ

Amazon Services International, Inc.による

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Storia 異人列伝(Ⅷ)ーチャーチルの第二次世界大戦ー

2022-10-13 10:12:07 | 西洋のひと/ギリシャ・ローマ

標記タイトルの電子本は、十数年来当ブログにて公開してきたチャーチルの著作「第二次世界大戦」をもとにした記事を推敲・集成したものです。

ウィンストンーチャーチルの著した『第二次世界大戦回顧録』は1948年から1953年にかけて発行された全6巻になる書物です。1957年にチャーチル自身が読者の便を図って重要部分と補遺を1巻にまとめ直しましたが、これでも膨大な内容ではあります。第一次大戦から第二次世界大戦を国家、世界の指導者として国家戦略、戦争指導、戦争集結までに関わった人物の著作ですから第一級の史料であり第二次世界大戦の史実のみならずチャーチルの強い意志や、思想、愛すべき人柄までもわかるものです。今や戦争の経験や記憶は消え、またまたロシアとウクライナ、西欧諸国とアメリカ、あの時代と先の大戦で起きたことと同じことが起きている。独裁専制、電撃侵攻、経済制裁、武器供与、占領地域、大量殺戮、協定破棄、原子爆弾、戦争犯罪、鉄のカーテン。。。。これはチャーチルが回顧した流れと同様であり、国連や現在のサミットなどの機能不全までを見通していたチャーチルがならした警鐘はどこへ行ったのか?と思うことしきりです。 

電子本のコンテンツともとになった当ブログ上の関連記事、書籍紹介記事は内容が重複するため全て非公開化または削除しました。これまで記事引用やリンク参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にてまとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2022.10.10

Storia 異人列伝(Ⅷ)ーチャーチルの第二次世界大戦ー

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Storia 異人列伝(Ⅶ)ーサムライと大和魂ー

2022-09-13 10:14:28 | 音楽・芸術・文学

標記タイトルの電子本は、十数年来当ブログにて公開してきた室町末期から江戸開闢まで戦国時代の傑物、織田信長、徳川家康。。。、文化人たちなどの記事を推敲・集成したものです。電子本化にあたっては残念ながら当ブログ上の関連記事、書籍紹介記事などは重複になるため非公開化または削除しています。これまで記事引用やリンク参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にて、まとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2022.9,13

Storia 異人列伝(Ⅶ)ーサムライと大和魂ー

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「Storia 異人列伝(Ⅵ)ーやまと歌・百人一首ー」

2021-07-13 02:49:55 | 音楽・芸術・文学

標記タイトルの電子本は、十数年来当ブログにて公開してきた西行、定家、実朝などの歌人、和歌・川柳・俳句・狂歌・百人一首などの記事を推敲・集成したものです。電子本化にあたっては残念ながら当ブログ上の関連記事、書籍紹介記事などは重複することになるため非公開化または削除しています。これまで記事引用やリンク参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にて、まとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2021.7.13

「Storia 異人列伝(Ⅵ)ーやまと歌・百人一首ー」

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「Storia 異人列伝(Ⅴ)ー子規と漱石とー」

2021-06-08 09:05:51 | 大和のひと/明治・幕末

標記タイトルの電子本は、十数年来当ブログに掲載し公開してきた記事を推敲・集成したものですが、電子本化にあたっては残念ながら該当する当ブログ上の記事はネット上での無償公開コンテンツとして重複するため非公開または削除しました。これまで記事引用やリンク・参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にて、まとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2021.6.7

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「Storia 異人列伝(Ⅳ)ー明治維新ー」

2021-05-22 13:31:24 | 大和のひと/明治・幕末

西洋史上の人物が主役の「Storia異人列伝(I)および(II)」、「Storia 異人列伝(Ⅲ)ー古代ギリシア編ー」までKindle本での電子書籍化をしてきましたが、 本編「Storia 異人列伝(Ⅳ)ー明治維新ー」は同じ趣旨で、日本が近代国家として生まれ変わった「明治維新」の時代に焦点を当てたわが日本人たちの物語です。

歴史記述の常として先達の碩学の文献引用が多いため、書籍としてまとめると参考文献のリーダーズダイジェストともなりうるものです。ただし、残念ながら、該当する当ブログ上の記事についてはネット上での無償公開コンテンツとして重複するため非公開または削除しています。記事引用やリンクされている方にはお詫び申し上げます。以下にて、まとめてご覧いただければ幸いです。

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Storia 異人列伝(Ⅲ)ー古代ギリシア編ー

2021-05-05 20:17:17 | 世界史のひとindex

伝説時代からローマ帝国終焉までの人物伝を「Storia異人列伝(I)」、ナポレオンまでの約一千年の人物伝を「Storia異人列伝(II)」として昨年からKindleの電子本として、Amazonより出版してきました。神々から文化文芸、戦争術まで古代ローマにとってお手本になった古代ギリシア人たちの話については、このほど「Storia 異人列伝(Ⅲ)ー古代ギリシア編ー」としてまとめました。土井晩翠先生のお仕事が感動的な「イーリアス」「オデュセイア」。ポリスの黄金時代を築くには、優れた指導者層・政治的人間がいたーソロン、ペイシストラトス、クレイステネス・・・ペリクレス。哲学的思惟もすれば自然科学的な考察もした哲学者たちの百花繚乱ーソクラテス、プラトン、アリストテレス、ディオゲネス、クラテス・ヒッパルキア、タレス、ピタゴラス・・・・デモクリトス。そして天才アレクサンドロス。

該当する当ブログ上の記事については出版上重複するため削除しました。記事引用やリンク・参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にて、まとめてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2021.5.5  

Storia 異人列伝(Ⅲ)ー古代ギリシア編ー

 

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Storia異人列伝(II)ー中世〜ルネサンス〜ナポレオンー

2021-04-12 18:37:01 | 世界史のひとindex

 西洋史に残る人物に関して当ブログにて公開していた数十記事をリライトし、「Storia異人列伝(II)ー中世〜ルネサンス〜ナポレオンー」としてアマゾンより出版しました。該当する当ブログ上の記事については重複するため削除しましたので記事引用やリンクされている方にはお詫び申し上げます。以下にてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2021.4.10  

Storia異人列伝(II)ー中世〜ルネサンス〜ナポレオンー

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Storia 異人列伝(I)ーいにしえのローマ人ー

2020-06-24 06:32:26 | 世界史のひとindex

 

 ヴェネツィアの物語などで感心していた塩野七生さんがローマ人の物語に取り組み始めた頃から、このブログ上に読了した書物から知識を得た記事を置いていました。以来500篇ほどの蓄積にはなっていましたが古希を迎え整理と断捨離を敢行、まずは古代ローマの人物関係数十記事をkindle 版の電子書籍としてまとめアマゾンより出版しました。インターネット上に無償公開コンテンツが存在し内容が重複すると出版上に若干問題も伴うことから、電子BOOK化対象、および予定の既出記事については当ブログにては非公開もしくは削除しました。なお、検索サイトによっては削除された記事が存在する様に見えたりもすることもある様ですが、記事は存在しません。これまで記事引用やリンク・参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にてご覧いただければ幸いです。

著者:佐竹則和   2020.6.15  

       Storia異人列伝(I)ーいにしえのローマ人ー 

 

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「フローレンス ナイチンゲール」の出版

2020-06-16 07:59:30 | 世界史のひとindex

このGOOブログ上にアップしていた、リットン・ストレイチー著作の日本語訳「フローレンス ナイチンゲール」記事3編については、翻訳も見直しの上で電子書籍としてまとめ、アマゾンから出版しました。インターネット上の無償公開コンテンツとして残し内容が重複すると著作者・翻訳者の特定など書籍出版上の制約も伴うことから、当該コンテンツは当ブログからは削除しました。これまで記事引用や参照されている方にはお詫び申し上げます。以下にてご覧いただければ幸いです。

リットン・ストレイチー著 佐竹則和 日本語翻訳 2020.4.22

フローレンス ナイチンゲール

 

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「ビクトリア女王伝」の出版

2020-06-16 07:57:11 | 世界史のひとindex

このGOOブログにアップしていたリットン・ストレイチー著作の日本語訳「ビクトリア女王」の記事10編については、翻訳内容など見直しの上で下記の表題にてまとめ、アマゾンからkindle版電子書籍、および印刷本として出版しました。インターネット上の無償公開コンテンツとして残し内容が重複すると、著作者・翻訳者の特定など書籍出版上の制約も伴うことから、当該コンテンツは当ブログからは削除しました。これまで記事引用や参照されている方にはお詫びしたい。以下にてご覧いただければ幸いです。

リットン・ストレイチー著  日本語翻訳:佐竹則和 2020.4.13 、2022.12追記)

ビクトリア女王伝: “Queen Victoria”by Lytton Strachey

 

 

 

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図書館の魔女 / 髙田大介

2020-03-17 22:22:59 | 音楽・芸術・文学

    図書館の魔女 (上・下)  /  髙田大介著 講談社

 高田大介さんを知ったのは、元はと言えば将棋の世界からの辿り着きである。ここ数年でネットでの動画配信、テレビ映像も急速に進歩・変貌し、将棋の対局番組でも持ち時間6時間さらには二日がかりのタイトル戦まで実況中継される素晴らしい環境になった。おかげで数十年ぶりで「将棋の世界」に触れ「観る将棋」としてハマって、現役棋士の人となり、声まで、ほとんど頭に入ってしまった。もっとも対局中継でも、1時間以上の長考に沈んで・・・となれば、番組制作側としては困るし僕みたいなミーハーなファンは飽きてしまうので、対局者の昼食、晩飯、おやつの紹介までにも工夫を凝らしているようだ。棋士たちはヒフミン以外は千円札でお釣りがくるような店屋物食べてる、お気の毒にと思っていたら、高田さんのMARGES DE LA LINGUISTIQUE  ⇨ 将棋指しが飯を食うに、遭遇した。

 高田さんのこの研究手控えブログに載っていた戯れ文は無論遊びだが、しかしかなりの将棋愛好家でないと書けないし、何より面白い多才なかたとお見受けした。さて、なにをしてるヒトだろう?言語学者であり小説も書くということでどちらが本業かは図りかねたが、まずは目についた「図書館の魔女」という小説、これが全くもって素晴らしい。続編の「烏の伝言」まで、単行本それぞれ厚さ3センチづつもある長編なのでツンドク状態だったが没入したら一気通貫に楽しませてもらった。学者の論文なら世間一般の目には触れず、その知見に触れることは難しい。最近の小説といえば空想妄想ファンタジーが多くあまり読む気が起きなかった。ところが、高田さんの小説、これは、違った。

 小説の読書感想など興ざめであるから、この小説の中で勉強になった箇所を数カ所引用させていただき、認知症寸前の我が頭脳のサポートにしたいと考えた。それが、以下の数カ所の引用である。
 「図書館」というもの、「書物」というもの、それらがかたち作る世界、「言葉」というもの、さらには「手話」、それらに触れた箇所だ。そして、図書館は人類の知の集積として、無害な読書人のためではなく、現実世界を動かす司令塔にもなりうる、という箇所だ 。

さて、図書館の魔女とはいったい何者なのか????ここからは、小説だから「検索」ではなく、自分で買って読むという知的で地味で、楽しい作業が待っている。こういう本がもっと世の中には知られて売れて、それこそ図書館でも目につくようになって欲しいと、心から思う。

>>>> (以下、「図書館の魔女 (上・下)  /  髙田大介著 講談社 」より引用 。。。。。部は中略)

>>>>。。。。

 キリヒトの方へ向き直ったマツリカは、厳しい視線で彼を射すくめるとますますぞんざいに右手を振るって言葉を継いだ。

ーーそんなわけで私が欲していたのは、ハルカゼに代わってハルカゼ並の仕事のできるものだった。ちょうど心当てに出来る人物が見当たらないので、顔が広いのが取り柄の爺に推挙を依頼したわけ。さて、そこでだがお前に務まるだろうか、キリヒト。

 キリヒトはどう応えていいものか判らなかった。自信がないといえば簡単だったかもしれないが、それでは自分の師匠をはじめ、自分を推挙した人々の期待に背くことになりかねない。返答に窮しているキリヒトに向かってマツリカはなおも言葉を重ねる。
ーー字も読めずに図書館の司書が務まるはずもないのはわかるね?しかし、そもそも字の読める読めないの問題ではない。司書というのが単にあっちの本棚に行き、こっちの本棚に戻りと、本を入れたり出したりするのが仕事だと思ったら大間違いだよ。

 こう言ってマツリカはこれから大事なことを言おうとする者が必ずそうするように息をすっと深くすった。もっとも、ふつうの人がするように、ここで声音を高めたのではない。マツリカはその代わりに、左手をキリヒトの目の前に突き出すと素早い手の動きで語り始めた。

ーー科学者でもいい、博物学の徒でも文献に沈くものでも構わないが、人がこの世界について何か新たに余人の知りえぬことを見いだしたと思ったとき、必ずや人は書物を著す。そのようにこの世界の森羅万象を明らめ、究めようと一冊の書物が生まれ、類書に並んでいく。こうして世界のありとあらゆる事どもを細大漏らさず記すべく数限りない書物が書架に背を並べ、やがては書物の詰まった棚の数々がそれじたい一つの世界をなして、網の目のように絡まりあって世界の全体を搦めとっていこうとする。これが図書館だよ。キリヒト。

 キリヒトには聞きなれぬ難しい言葉が、肘から先を鞭のようにふるうマツリカの手の動きに伴って次々と紡ぎ出されていく。ひらめく指先を目で追っているうちになんだか気が遠くなるようなきもちになってくる。図書館の書架の数々が自分の周りをめぐり出し、マツリカの指揮のままに渦を巻いて自分を翻弄しているかのように感じられてくる。キリヒトの目の前でまさにこの図書館が、そして螺旋をなしてどこまでも続いていく書架の列が、さらには一つひとつの書物が動き出してキリヒトの今まで知っていた世界を覆い尽くそうとしているようだ。なんだか本当に目まいがしてくる。

ーー図書館にある書物は、すべてが互いに関連しあって一つの稠密な世界を形づくっている。一冊いっさつの書物がそれぞれ世界に対する一片の知見を切り取り、それが嵌め絵のように集まって、大きな図を描いている。未だ知り得ぬ世界の全体を何とか窺おうとする者の前には、自分が自ら手にした心覚えと、人から学んだ世界の見かたとがせめぎ合い領分を争ってやまない。そしておのれ自身の認識と余人から預かる知見が、ほかのどこにも増して火花を散らしてせめぎ合うのが、ここ図書館だ。図書館は人の知りうる世界の縮図なんだ。図書館に携わるものの驕りを込めて言わせてもらえば、図書館こそ世界なんだよ。

。。。。。

ーーそれではキリヒト、お前は言葉のもう一つの基本的な性質のことを覚えているかな?

 キリヒトは思わず頷いたが、それは何だったか言ってみろと言われたら困ってしまったところだ。幸いマツリカ自身が答えを先に言ってくれた。
ーー言葉は小から大へ階層構造をもって組み上がっているといくということだ。有限の記号がこうして漸次複雑さの度合いを増して、世界そのものの複雑さに拮抗しようとする。それではキリヒト、書物は何で出来ている?

「・・・言葉で・・・でしょうか」
ーーよかろう。言葉を集めて、一つの書物が織りなされる。この書物が言葉の性質をそっくり受け継ぐだろうことは理解できるね?
「はい」正直に言えば理解してしているかどうかは判らないが、それは質問ではなかった。

ーーだとすると書物もまた時の進行に従い、一方通行の一条の線を成していることは明白だね?
「はい」自信に欠けた返答に、マツリカが助け船をだす。

ーー何も難しい話じゃない。本を逆に読んでいく人はいないでしょう。逆から書いていく人はいないでしょう。そういうことよ。
なるほど、それなら判るとキリヒトの目が明るくなる。

ーーそれではキリヒト、最後の質問、図書館は何で出来ている?
 キリヒトにも今度の質問の意味は明らかだった。削りだした岩盤やら、材木、漆喰、鋳鉄、そういうことを聞いているのではない。図書館を構成するもの、図書館が図書館であるためにそこになければならないもの、それは書物にほかならない。果たしてマツリカはキリヒトの答えを待たず、あとを続けた。

ーーもうすでに判っているだろう。図書館は書物の集積から織りなされた膨大な言葉の殿堂であり、いわば図書館そのものが、一冊の巨大な書物。そして収蔵される一冊いっさつの書物はそれぞれ、この世界をそのまま写しとろうとする巨大な書物の一頁をなしている。ではキリヒト、図書館もまた一冊の書物であるとすれば、その図書館の書物の性質をそっくり受け継ぐだろうことは理解できるね?したがってまた図書館が言葉の性質をそっくり受け継いでいることも理解できよう。言葉が互いに結びつきあい、階層を成して単位を大きくしていく、そのまっすぐ延長線上に図書館があり、世界の全体すらもまた同じ線上にある。無論この巨大な書物はどの頁を最初に取りあげてもよく、どの頁を読まなくて差し支えない。開くべき最初の頁、辿り着くべき最後の頁がどこにあるかも判らない。読み進むべき方向も明らかではない。にもかかわらず任意にいかなる頁を繙いても、そこには一条の不可逆の線が刻まれているだろう。

 縦に続くものもあれば横に続くものもある。左から右に並べられる言葉があり、右から左へくりひろげられる言葉があり、中には一行ごとに進む向きを変え「黎耕」する言葉もある。それなのにありとある言葉がただ一つの規則のみは遵守している。そこには必ず順序を持ち、前後の列を保つ、後戻りすることのない一本の線を成した言葉が刻まれているということ。図書館が一冊の書物である限り、図書館は言葉が享受する様々な力をひとしく持ちあわせるし、言葉が出て縛られるありとある桎梏をひとしく課せられている。なかんずく図書館の中の図書館と世界に謳われ、自らもまたそう嘯くこの「高い塔」が、言葉がそのものから立ちあがり、書物そのものから織りなされてある以上、その基本的な性質を曲げず受け継ぐのは理の当然だろう?
 故に、キリヒト、この図書館がまた一冊の書物である以上、順路は一方向にして不可逆、それに何の不思議があろう?

。。。。。

 しばしば勘違いされていることだが、手話というものは本来「声の代替物」ではない。つまり一般には、ある国語がまずあって、それを声で表すことも、手話で表わすことも出来ると誤解されがちなのであるが、これは手話の本質を突いてはいない。手話はそれ自体で独立した一つの言語なのであり、既存の音声言語に依存する代替的表現手段などではない。キリヒトもかつては、ここを誤解していた。手話は何かの、たとえば声の代理を果たすものだと何となく理解していたのだった。

 当たり前のことだが通常の音声言語は発声を前提とする。だから発声を前提とした構造化があって規則がある。手話という全く前提を異にする表現手段を。いつまでもこの音声言語の鋳型に無理に嵌めこんで、あたら矯めてしまうのは不合理なことで、植木鉢に魚を育てようとするような話である。

 手話は手指の動作ばかりではなく首の振り、眉や頰や口角や顎の様子、表情から視線すらをも動員して、空間的・多面的に展開される、音声言語とはまた別個の言語であって、手話ならではの文法規則や文の構造化要素の多くが、こうした全身的な挙措の総体として織りなされている。

 もともと聴覚や発声に障害を持つ者は家ごとに、それぞれ独自の「家庭内手話」とでもいうべきものをほとんど自発的に発達させるが、これがある程度の規模と歴史をもつ社会集団の中で自然、擦り合わされ、調整され、長い彫琢と練磨を経て、自分たちの要請に特化した一つの言語を結実させてきたのであった。

 イラムやマツリカの手話には、必ずしも音声言語にそのまま対応しない、独自の秩序、独自の構成原理のようなものがあり、それが彼女らの手話の表現力と発話速度を支えている。実際キリヒトは、ただ指を鳴らしただけ、ただ人を指差しただけに見えるしぐさで、マツリカがいかに雄弁に、傲然と命令を下すかを見てきた。

 もっともキリヒトもすぐに気付いたが、ひとくちに手話は別個の言語をなしているといっても、特にマツリカの手話は、いわば幾つものが重ね合わせられており、その内実は単純ではなかった。全てが純粋な手話の論理に従って組み立てられているわけではない。
 まず最初の層としては右に強調してきた純粋手話の層がある。これは音声言語の秩序化としばしば全く別個の構造規則を持つ層である。
 しかし聾者、唖者は数の上でまさる周囲の音声言語の話者と意思疎通することも避けるわけにはいかないから、音声言語を敷き写し出来る表現手段だって、どうしても必要になる。その極端な方法として、音声を全て手指で「書く」という方法、当該の言語の音を字母に「書く」のと同じように、手指の形と動きに変換する手段が考えられる。いわゆる「指文字」である。指文字は原理的には音声言語の全てを敷き写しにすることが出来る。

 だがもちろん指文字はけっして効率的な方法とは言い難い。指文字は発声に比べても手話に比べても、致命的に遅く、著しく誤認が多く、手話本来の表現資産を欠いた極めて不合理にして不便な手段なのである。
 それでも指文字がどうしても必要になる場面はある。例えばマツリカがキリヒトの名前を確かめたときのように人や土地のを発話したい時、あるいはとある「語」そのもの、綴りそのものが話題になっている時には、その「言葉」を書いて見せないわけにはいかなくなる。
 またマツリカがこととする文献学や書誌学、はたまた言語や文字の歴史が話題となるなら、事細かに音や文字を指定して話を進めなければならない。とりわけ写本の比較にことが及べば、誤記や綴りの変異がそのまま枢要な着眼点になるのだからことは一層繊細になる。

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 用兵と戦地の管理といった実学の粋を学んできたキリンには、古代の埒もない戯言が書かれた文献を再構したり、夢物語と区別も付かない偽の歴史書を発掘したりといった図書館の仕事が、虚しい虚学のように思われてならなかった。例えば架空の生き物を列挙した文献を収集、整理することにどんな意味があるというのだろう?

 それなのに高い塔は長らく一ノ谷の軍略の最終拠点と見なされてきているのである。キリンには無駄と思える本を山と集めた図書館が、時に王宮で具体的な戦術の拠りどころとなる理由がさっぱり判らなかった。キリンにとっては、必要な資料はぎりぎりまで絞り込んで、無駄なく漏れなく全ての手筋を眼前に晒したうえで、適切な一手を選ぶというのが最良で効率も良い方法に思われた。図書館はあまりにも不透明で、無秩序で、規模が大きすぎ、限られた時間の中で限られた情報を持って決断しなければならない現実での方針決定に対して有効なものとは思われない。

 ところがそれでありながら、自分のお家芸である読みの深さと、情報を絞り込んだところから下す即断の勝負において、実際にキリンは図書館の後塵を拝していた。つまりキリンは図書館に将棋で連敗を続けていたのであった。

 ことの起こりはこうである。キリンがカリームのもとに身を寄せるようになって、ひとつ思いがけず有り難かったのは、カリームが一ノ谷との連絡に毎日伝令を一組往来させていたことである。キリンにとってこれが特別意味を持ったのは、一ノ谷の古書店組合の重鎮のひとりと通信で対局を進めていたからであった。すでに西方ではキリンは手合わせをする棋士に事欠いていたのである。

 この対局相手の紹介で、キリンは海峡向こうの一ノ谷本土に、未だ顔も見ぬ強敵を何人か知ることになった。カリームは自分の抱えている軍師の一人が、その知略を穏当な形で世間に知らしむるのをむしろ好ましいことだと考え、自ら身元の紹介先を引き受けてキリンの将棋による外交を支援した。実際の用兵と抽象的な知的遊戯ではもちろんことの本質は異なる。それでももっぱら同じ条件で純粋な知力を競うこの遊戯に人がとりわけの関心を持っていたのは、当代でもっとも強い将棋指しと名指しされている一群の一劃に、長らく高い塔の先代タイキが君臨していたという理由があった。それで人は誰も、この策略と知謀をめぐる洗練された遊戯を単なる卓上の手遊び、有閑階級の余技とは考えず、あたかも軍略に長けた者達が脳髄を持って鎬を削る模擬戦のごときものと考えていたのであった。

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