どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

さんぞうほうしの かえりみち

2024年06月01日 | せなけいこ

    さんぞうほうしの かえりみち/せな けいこ/金の星社/2024年

 

 三蔵法師の一行が、艱難辛苦の末、お釈迦様からたくさんのお経をいただいて、大きな川まできたとき、かめが でむかえてくれました。一行が、かめのせなかにのってもうすこしで、岸につくというとき、かめが、三蔵法師におねがいしたことをききました。「極楽にい行けるかお釈迦様に聞いてほしい」と、おねがいしていたのですが、三蔵法師は うっかりわすれていました。がっかりしたかめはみんなを放り出し、川のなかへもぐってしまいました。

 せっかくのお経も ちらばってしまい、拾い集めましたが、どうしてもたりません。川の中にいたおおきな なまずが ぱっくり お経をのみこんでしまったのです。おこった孫悟空が なまずのあたまをたたくと、なまずは ちぎれた お経をはきだしますが、まだたりません。
 孫悟空は、三蔵法師からいわれて、なまずのあたまをたたくことをやめました。

 のこりのお経を なまずが はきだすように あたまを ぽくぽく たたいている かたちが あの 木魚になったそうです。

 

 かめのお願いは、天竺へ行く途中のことで、えらいお坊さんでも、失念しまったのでしょう。

 せなさんが、中国旅行のとき、きいたお話がもとになっています。今年(2024年)金の星社から出版されていますが、1998年初版です。

 ただ、木魚の由来はいろいろありそうです。


かたつむりとさる・・ラオス・モン族の民話

2024年05月31日 | 絵本(昔話・外国)

   かたつむりとさる/再話・ヤン・サン 下絵・ハー・ダン 刺繍・モンのこどもたち 訳・やすい きよこ/福音館書店/1994年月刊こどものとも年中向

 

 どこの国にもおなじような話がありますが、いわば「ウサギとカメ」のラオス・モン族版。

 サルとカタツムリが、三つの山と三つの谷をこえるというスケールの大きな競争です。カタツムリは親類縁者を総動員し、とちゅうにちらばって、サルが「おーい、かたつむり、おまえ どこまで きた?」というと、サルより先にいるカタツムリが、「ここまで きたよ、さるさんよー」とこたえていきます。

 タイの難民キャンプに暮らすラオス少数民族の子どもたちが、刺繍で描かいているのが特徴で、登場するのは、サルとカタツムリ、そして草だけという絵で、素朴な感じがします。

 「ウサギとカメ」は、ウサギの自業自得ですが、こちらは知恵で勝負です。

 ラオス・モン族を調べてみるとベトナム戦争時、アメリカに都合よく利用された歴史があり、アメリカにも約三十万が居住しているといいます。

 こうした絵本がなかったら、少数民族について知ることは、一生ありませんでした。


いたいの いたいの とんでけ~

2024年05月30日 | 紙芝居

  いたいの いたいの とんでけ~/脚本:絵・とよた かずひこ/童心社/2024年(8場面)

 

 げんきなイカさん あしを ぶらぶら

 げんきなタコさん あしを くにょくにょ

 イカさんとタコさん 水の中へ

 水の中でごっつんこして、たんこぶできちゃった。

 イカさんも タコさんも 「えーん えーん」

 イカさんとタコさん、“ちちんぷいぷい”すると たんこぶ 「さようならー」って、とんでいったよ

 子どもが ころんだりとき、いちどは“ちちんぷいぷい いたいの いたいの とんでいけ~”って、いったことが あるはず

 

 ころんだとき ”きをつけなさい” ”だめね”などの声かけより ”いたいの いたいの とんでいけ~”は、まほうのことば


石になった男・・カナダ・インディアン

2024年05月29日 | 昔話(北アメリカ)

      大人と子どものための世界のむかし話20/カナダのむかし話/高村博正ほか編訳/偕成社/1991年

 

 こどもにきかせるのは二の足をふむ話。

 カナダのフレーザー川とハドソン川のぶつかるところで、まほうつかいの兄弟たちがキャンプをしていました。兄弟たちは、あっちの悪者をやっつけたり、こっちの人をたすけたり、そしてたまにはいたずらしながら川をさかのぼっていたのです。

 ある日、兄弟たちは村人をころしてたべている悪い魔女のうわさをきき、弟のひとりが、すぐに魔女をやっつけようとしました。夜に魔女のところへついた弟は、魔女の手をひっぱろうとしました。そのとたん、弟の右手は女のからだの中に、はいってしまい いくらひっぱってもぬけません。こまった弟はとうとう刀でじぶんの手を手首のところできりおとし、やっと魔女からはなれることができました。弟はキャンプにかえると、そしらぬ顔で、手首をかくしていましたが、すぐにみんなにばれてわらいのたねにされてしまいました。兄たちが弟の右手をとりかえしにいきますがだれも弟の右手をとりかえすことができませんでした。さいごに、末の妹がでかけ、すばやく魔女にちかづくと、じぶんの腕をつけねのところまで、ぐぐっと魔女のからだの中にいれ、さっとひきぬくと、その手には弟の右手がにぎられ、魔女は死にました。

 リロエの湖にやってきた兄弟は、岸の近くで水面を棒きれでかき回している男にあいました。なにをしているか兄弟が聞くと、魚をとっているがさっぱりとれないという。木の枝で魚をとろうとしても、とれるはずがありません。男は背中に大きな刀をしょっていて、「女房のはらが大きくなったので、刀できりひらいて赤ん坊をだすんじゃ。これまでなんどもそうしてきたが、きまって女房は死んでしまう。だからまた新しい女房をもらわないといけないのじゃ」といいます。

 兄弟たちが、じぶんのすねの毛をひきぬいて、そこらじゅうにまくと、毛のおちたところには、あっというまに草がはえてきました。兄弟たちは、その草で網をつくり、使い方までおしえ、さらに、こんどは魚の料理の仕方まで男におしえてやりました。男の妻にこどもがうまれるときがくると、妹は桜の木の皮でひもをつくって、赤ん坊にやさしくひっかけ、そっとひっぱりだしたので、こどもも母親も元気でした。兄弟たちはこうして、いろいろなことを夫婦におしえてやりました。しかしどう考えても、男がこれまで何人もの妻をころしてきたことを見逃がすわけにはいかず、男を石にかえてしまいました。

 「この石をみて、あとにつづく人間たちが、正しい生き方を学ぶように。」というわけで、いまでもカナダにあるという。

 

 兄弟たちが、「まほうつかい」とされているのですが、旅をしながら人びとに手を差し伸べるのは、「魔法使い」のおなじみのイメージとは違う存在でしょうか?


耳なし芳一・・山口

2024年05月28日 | 昔話(中国・四国)

      山口のむかし話/山口県小学校国語教育研究会国語部会/日本標準/1973年

 

 むかし、琵琶をひくことがじょうずな目の見えない芳一という若い坊さんがいました。得意にしたのは平家物語を語ることでした。

 ある夏の夕暮れ、あちこちにまねかれ、琵琶をひいてつかれきって寺にもどり、うたたねをはじめました。しばらくうとうとしていると、庭先のほうに、人の気配がしました。芳一が聞き耳をたてると、「琵琶をひくのが、上手と聞いて、高貴な方がぜひ聞きたいとおおせられるので、わたしについてきてほしい。」と、低い声。せっかくなのでうけることにした芳一は、武士らしき男に連れられて、屋敷の廊下伝いにいくと、そこは大広間のようでした。まわりには、たくさんの人がいるらしく、小声でささやきかわす話声が聞こえてきました。そこで芳一は、上品な女の人の要望で壇ノ浦の合戦を語りました。

 芳一の語りは、壇ノ浦の合戦をうかびあがせてみせるようでした。芳一は、一心に琵琶をかきならし、声もかすれんばかりに、熱情をこめて語り続けました。人々の間からは、かなしみをこらえきれずに、涙に声をつまらせて、はげしく泣く人まででてくるほどでした。

 語り終わると、年老いた女の人が、芳一の耳のそばに身を寄せてきて、ささやくように話しかけました。「また、あしたの晩も、きておくれ、けれどもこよいのことは、だれにもいう出ないぞ。七日七夜、人にいうてはならぬぞ。」

 芳一は、つぎの日も、むかえの武士にさそわれ、前の晩とまったく同じように、心をこめて、琵琶をかきならし、声をはりあげて語りました。しかし、夜がふけるまで語り続けるので、いくら若い男とはいえ、身はくたくたにつかれはててしまいました。

 三日目の朝、仲間の坊さんが、芳一のようすが、いつもとちがうことに気づきました。腫れぼったい目、青白い顔、病人のような芳一をみて、坊さんたちは、目をなはさいように注意しました。夕暮れ時になると、しとしと小雨がふるなか、琵琶をもってでかける芳一のあとをおいかけた坊さんは、驚くような光景を目にしました。芳一は平家一門のお墓の前に正座して、雨にずぶぬれになりながら、一心に琵琶をかきならし平家物語を語っているのでした。壇ノ浦のおわりの場面が近づくと、平家一門のお墓の上に、赤い火が浮かび、青い火がふうッとながれ、ゆれうごいていました。

 芳一が平家の亡霊に取りつかれていると思った坊さんは、急いで寺にかえり、見たことをおしょうさんに話しました。おしょうさんは、つぎの朝、芳一をまるはだかにし、筆にすみをたっぷりつけて、ありがたい経文を、頭に先から足の下まで、ぎっしりと書きつらねていきました。そして、だれがきても返事をしないようにいいます。

 さてその夜も芳一を連れ出そうとする使いの武士がやってきますが、芳一の姿は見えません。だが、暗闇のなかに、耳がうかんでいるのがみえ、二つの耳をちぎり取ってしまいました。やがて法事からかえってきたおしょうさんは、白い着物を、真っ赤な血でべっとりぬらした芳一を見て、耳だけに経文をかくのを忘れていたことに気づき、芳一の耳の傷口の手当てをしてやりました。

 それからも芳一は琵琶の名手として人々から愛され、いつのまにか「耳なし芳一」とよばれるようになりました。

 

 小泉八雲の怪談で広く知られるようになったこの話、山口にふさわしい昔話です。夏の夜に語ると雰囲気がでそうです。


エリック・カールのグリムどうわ

2024年05月27日 | 絵本(昔話・外国)

    エリック・カールのグリムどうわ/エリック・カール:再話・絵/木坂涼・訳/偕成社/2024年

 エリック・カールのグリム昔話の再話&絵ですが、ちょっと一味違ったものになっています。エリック・カールと昔話は結びつかなかったのですが、「イソップものがたり」も ありました。

 「しあわせハンス」「りょうしとおかみさん」「おやゆびトム」「3本の金いろのひげ」「7つの命をひと打ち」の5話と、ずいぶん贅沢な構成です。数あるなかから なぜこれを選んだのかも興味がありました。

 「しあわせハンス」は、七年分の給金としてもらった金のかたまりを、馬ととりかえ、牛、豚、ガチョウととりかえていき 最後は、なにもなくなる話。お人よしすぎて、おもわず あーあー となりますが、エリック・カール版は、人にとって、何が幸せか じっくり問いかけてきます。母親が、長く会えなかったハンスを 大歓迎するオチは グリムにはないもので、オチによって、まったくイメージがちがうことの典型でしょうか。

 五話は、いずれもグリムよりみじかくなっていますが、「3本の金いろのひげ」は、主人公が男から女に、髪がひげに かわっています。

 「7つの命をひと打ち」は、ハエをいっぺんに七匹たたいたことからはじまる冒険談。本人が勘違いするだけなのですが、なにものにも動揺することのない仕立て屋になっています。

 

 人物、動物、風景と まさしくエリック・カールを堪能できる絵本です。


ゆうかんなアジク・・中国満族の民話

2024年05月26日 | 絵本(昔話・外国)

  

   ゆうかんなアジク・・中国満族の民話/趙朝勲・再話 徐喚民・趙朝勲・絵 関野 喜久子・訳/福音館書店/1997年(1994年初出)

 

 平和に暮らしていたガーシャンという村に、九つの頭を持つおそろしい鳥がやってきて、村をめちゃめちゃにし、人や動物を 山の洞窟につれていってしまいます。

 父親をつれさられたこの村のアジクという勇敢な若者が、仲間とともに鳥を退治にでかけます。アジクは、崖から垂れ下がっているフジのつるをつかまえてたすかりますが、仲間たちは 暗い洞窟に 吸い込まれてしまいます。ところがこのつるは、おおきなうわばみでした。そしてこのうわばみは、両親がたべられ、フジのつるにかえられた娘でした。
 娘は、「鳥を退治するためには ほしやまの頂上にある天から落ちてきた石を二つ とってきて、百人の手であたためれば石はあかるくひかり、その光を九つの頭を持つ鳥に見せれば、目がくらんで見えなくなるでしょう」というと、またもとのフジのつるにかわってしまいます。

 フジのつるのおかげで、石を二つ手に入れたアジクは、なんとか洞窟にたどりつきます。そして、洞窟の暗闇にいる父親や村びとの手で、石をあたためると、石は夜空の星のように光りはじめます。鳥は明るい光に目がくらんで、洞窟のあちこちに からだをぶつけます。

 アジクは 狙いを定めて八つのあたまをきりおとしますが、とびかかった血には 毒が入っていて、その場に倒れ、頭がひとつになった鳥は、遠くへ飛び去ってしまいました。

 村には、平和がもどりますが、あのおそろしい鳥が ふたたびちかづかないように、正月がちかづくと、氷を いろいろなカタチにほって、家の前におくようになりました。

 

 由来話ですが、氷の彫像には、アジク像や魚、お釈迦様?などが えがかれています。

 主人公の死、おそろしい鳥の生き残り、さらに、フジつるにされた娘がどうなったかにふれられていないのも昔話らしい。


 アジクや村の人たちが、辮髪なのが満族の話らしいところ。そして、あかるい色合いも怖さを感じさせません。


ふたりの悪魔・・イギリス系カナダ

2024年05月25日 | 昔話(北アメリカ)

    大人と子どものための世界のむかし話20/カナダのむかし話/高村博正ほか編訳/偕成社/1991年

 

 リューマチになってあるくこともままならない坊さん(と訳されていますが、神父さんでしょうか、プロテスタントだったら牧師さんか)が、パットというアイルランド人をやとい、パットに背負われて教会へかよっていました。ある夜、教会のかえりみち、教会にお経(と訳されていますが聖書のことでしょう)を忘れたことに気がつき、忘れ物をとりにもどりました。

 さて、その日の昼間、教会の墓地には、亡くなった大金持ちの信者と、その信者の全財産がうめられていました。夜になって泥棒がふたり、この信者の金をねらって、いっしょうけんめい墓をほり、なかをみてびっくり。金のかわりにクルミがはいっていたのです。泥棒の前に信者の親せきが、金をそっくりぬすみだし、かわりにクルミをいれておいたのです。ふたりは、はらの虫がおさまらず、近くの家からヒツジを盗んで、墓場でやいてたべることにしました。ひとりがヒツジを盗みにいき、もうひとりは墓石の上で、クルミをわりながらまっていました。

 そこへお経の本を忘れた坊さんがパットに背負われてやってきました。まっていた泥棒が、仲間が帰ってきたと思い、「おーい、そいつはどうだ、ふとってるかい、やせているかい?」と、クルミをカチカチわりながら、大きな声でききました。びくりしたのは坊さんとパットです。くらい墓場から、悪魔がカチカチと歯音をさせて、大声でさけんだとおもったパットは、坊さんをほうりだし、とんでにげていきました。あとから坊さんも、おいていかれてはたいへんと、いのちからがらにげていきました。おかげで、坊さんのリューマチは、すっかりなおっていました。


おとなりの だれかさん

2024年05月24日 | 絵本(外国)

    おとなりの だれかさん/カーシャ・デニセヴィッチ・作 おがわ ひとみ・訳/評論社/2024年

 

  新しい住所のマンションに引っ越ししてきた少女。五階建ての二階。とうとう自分の部屋もあります。少女は、ふと、おとなりさんがなにをしているか想像をめぐらします。部屋の上、下、壁の向こう。

 お隣さんはどんな人たち、なにをしているのかしら。もしも お隣さんは建物だけだったり、なんにもなかったりして。
 朝、少女がドアを開けると、そこには、同じ学校にかようお友達が・・・。

 原著は2020年の出版ですが、はじめからおわりまで黒白のモノトーン。色がついているのは少女の服の赤、お友達の黄色の服、文字の一部。そして町には、黄色の葉の木だけ。ただ、黒白の濃淡が微妙に変化していきます。

 ビルの正面をえがいた断面図が二枚続いているのですが、部屋のおばあさんがカメになっていたり、階段を歩いている人が、次のページでは鳥?になってすべりおちていたり、部屋干ししている人が、ねこになっていたりと、このちがいを見ていくだけでも楽しい。これは少女の幻想?

 引っ越しで体験する、新しい土地でのちょっぴり不安な気持ちと、新しい出会いへのドキドキ感が色の濃淡であらわれています。


ぼくの おおきさ

2024年05月23日 | 絵本(日本)

   ぼくの おおきさ/作・絵 殿内真帆 監修・高柳雄一/フレーベル/館2017年

 

 自分自身もいわれ、友人の子にも よくいった一言。「おおきくなったね」。

 いつも「おおきくなったねえ、トッチ」といわれても、ぼくはいつだって、「ぼくは、ぼくの おおきさだよ」と 思っている。たけのこは、朝みたときより夕方のほうが おおきくなっている。でも

 おおきいって なに?
 ちいさいって なに?

 トッチは ばあばに、きくことにした。・・・・

 ねずみとクジラのおおきさは、比較するもので!

 おなじ仲間であっても クモは メスの方が大きいし あざらしは オスの方が おおきい。

 指輪のわっかでみえるアリと 遠くのヨットが おなじおおきさにみえるのは 距離のちがい

 バナナは 内側に あるものが おおきくみえる のは、視点の違い

 

 いろいろな例をつうじて、「おおきい」「ちいさい」がかわることを解き明かす「はじめてのかがくえほん」の一冊。

 

 これだけでは ありません。ばあばとトッチの楽しい会話はつづきます。 

 「トッチは もし、からだが すごーく おおきくあったら なにをしてみたい?」

 トッチ「うみに パシャパシャ はいって、くじらを りょうてで すくいたい」

 ばあば 「ばあばはねえ、もっと もっと おおきくなって、マシュマロを たいようで あぶってたべてみたいなあ」

 夢がでっかく ひろがっています。


アンパンマン まじょのくにへ

2024年05月22日 | 紙芝居

    アンパンマン まじょのくにへ/作絵・やなせ たかし/フレーベル館/(12場面)

 

  利用している図書館の児童書の一角に、読み聞かせができるコーナーがあるのですが、このコーナーで、アンパンマンの絵本や紙芝居をよんでいる親子をよくみかけます。人気があるようですが、アンパンマンものははじめて。

 アンパンマンが魔女の魔法で小さくされてしまい、つぼに入れられ たべられそうになりました。そこには、やはり魔女から アンパンマンとおなじくらいのおおきさにされたトラが。
 悲しそうに泣いているトラを励まし、アンパンマンが頭にできたたんこぶを 食べさせると、トラは あっというまに大きくなり、つぼを割って とびだしました。

 魔女のぼうしにひみつがあるみたいだなと、魔女からぼうしをぬがせると、アンパンマンも もとの大きさへ。

 かみころしてやるとさけぶトラでしたが、アンパンマンは いいます。「まほうがつかえなくなった まじょは ただの おばあさんだもの。ゆるしてあげれば」

 うーん アンパンマンは やさしい。


こっちにおいでよ、ちびトラ

2024年05月21日 | 絵本(外国)

   こっちにおいでよ、ちびトラ/キルステン・ハバード・文 スーザン・ギャル・絵 長友恵子・訳/徳間書店/2024年

 

 こねこをもらいにいって、わたしがえらんだのは、つめをだして、シャーッとおこったこえをだすこねこ。
 かわいらしいこねこが たくさんいたのに どうして このこにきめたのはママには、わからなかったみたい。

 ”わたしたち、にてるよね” ちびトラってよぼう。

 つめをだしっぱなしの ネコを見て、わたしは、「だれもだっこしてくれないよ」というと、おにいちゃんは、「そのネコも おまえも、じっとしてられないんだな」

 「ちびトラの心は、トラなんだから じっとしているなんて、オリに閉じ込められているといっしょ、アッチヘイケ、ガオー!」 いいかえすわたし。

 ちびトラと遊んでいいきぶん。ところがある日、ちびトラがいなくなって・・・。

 

 ”わたし”が、つめをだしっぱなしにしているネコに、親近感を感じたのが何か、もうすこし踏み込んでいれば いうことないが・・。ちびトラがいなくなって、しょんぼりしている”わたし”を、ぎゅっとする お兄ちゃんをみると、あまり心配することはなさそう。 

 髪ぼさぼさの子と、とってもかわいいちびトラ。巨大なネコは、”わたし”の心の中の反映?


わにが わになる

2024年05月20日 | 絵本(日本)

    わにが わになる/多田ヒロシ/こぐま社/1977年

 

 初版が1977年で2015年に83刷が出版されている息の長ーい絵本。小型で持ち運びにも便利。

 ごろ遊びの絵本で

 いるかは いるかい

 ねこが ねころぶ

 とらの トランク

 にんぎょの にんぎょう

 はこを はこぶ

 ぱんだのきゅうしょく ぱんだ

 などなど。

 「かさが かさなる」では、ピエロが傘をかさねています。

 言葉だけでは理解しにくいところも、絵でわかりやすくなっているのがミソ。


 子どもの成長過程で、絵本に親しむことで、語彙を増やしていけそう。


六がつ六ちゃん はっはっは

2024年05月19日 | 紙芝居
  六がつ六ちゃん はっはっは/脚本・絵/かこさとし/童心社/2014年改訂新版(12場面)
 
 
 ろくがつろくちゃんは、甘えん坊で、泣き虫。好き嫌いがはげしく、虫歯になっても お医者はいやがります。
 そんなろくがつろくちゃんのところへ、へんなおばさんがやってきて、なんでもすきなことをして、いやなことは しなくていいからと いわれ、おばあさんのいえにいきました。
 
 そこには、お菓子を食べながらテレビをみたり、ねころんで漫画を見たりしている子がいました。
 しわくちゃのおばあさんが、「また ひとり おいしい やわらかな ぶよぶよの こがふえたよ。たべるのがたのしみだね」とつぶやいているきいた ろくがつろくちゃん。ほかのこと、逃げ出そうとしますが おばあさんにつかまって 頑丈な 檻の中へいれられてしまいます。
 「あの、おばあさん、しわくちゃなのに、うちのおかあさんや せんせいより どうして つよいんだろう」
 おばあさんをよくみていた女の子が いいました。「おばあさんは、朝早くおきて、いつも体操するのよ。それから野菜でも、お魚でも よく食べてよく噛んで、そのあとは ちゃんと 歯を磨いているんだもよ」
 「そうか、よし、そんなら あくまばあさんを やっつけるため、みんなで つよくなろうよ」と・・・。

 でてくるのが、さんがつさんちゃん、ごがつごんちゃん、ろくがつろくちゃん、しちがつななちゃん、はちがつはっちゃん、くがつきゅーちゃんと、リズミカル。(あら 四月がなかったのは?)
 
 
 早くおきなさい、あれをたべなさい、かたずけなさい、歯磨きしなさいは、親がいつもいう常套文句。親だってそんな時期があったでしょうと 加古さん。
 
 おばあさんが、「つよいこどもは だいきらいじゃー」と叫ぶオチも 加古さんらしい。 

ネズミトリとネズミの結婚・・ウルグアイ

2024年05月18日 | 昔話(南アメリカ)

      子どもに聞かせる世界の民話/矢崎源九郎編/実業之日本社/1964年

 

 ネズミなのに「ネズミトリ」とは?

 ネズミトリというネズミが、銅貨を拾い、ネズミを見つけて結婚しました。あるとき、ネズミとネズミトリは友だちにまねかれて、でかけました。

 とちゅうまでくると、ネズミは、おかみさんのネズミトリが大事にしまっておいたチーズのことを思い出しました。食べたくて食べたくてたまらないネズミは、ハンカチをわすれたという口実で、ひとりでうちへもどると、台所の天井にぶらさがっているチーズめがけて、エイッととびつきました。ところが、チーズの下には大きなお鍋がかかっていて、そのお鍋のの中に落っこちて、あっというまに死んでしまいました。

 ネズミトリは、友だちの家で、だんなさんのネズミがくるのをまっていました。けれども、いつまでたっても、こないので家にかえりました。さんざんさがしまわって、お鍋の中で死んでいるのを見つけました。

 そのとき、戸口の「とびら」が、だんなさんのネズミが死んだことを知ると、とびらは、かわいそうにおもって、ギーギーなきました。「とびら」が落ち着かないので、庭に立っていたダイダイの木が、不思議に思ってたずね、ネズミの話を聞くと、ダイダイの木は、葉っぱを一枚残らず、落としてしまいました。

 雌牛がダイダイの木の話をきくと、おちちをだすことをやめ、いずみは水をからしてしまいました。

 そこへ、ひとりの男の子が、手おけをもって、水をくみにきました。男の子は いずみが悲しんでいる話をきいて、手おけをこわしてしまいました。男の子が、水をくまずに家にかえり、わけをはなすと父親はちっとも悲しまず、ありったけの力を出して、ピシャンピシャンとおしりをたたきました。すると、とびらやダイダイ、雌牛、いずみ、子どもにかけられていた魔法の力が、あっというまにとけてしまいました。

 

 いつまで繰り返すと思って聞いていると、ちゃんとオチがまっています。