アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

「障害者は見たくない」…これも人権

2024年06月12日 | Weblog
 カミサンが、散歩に連れ出してくれます。散歩は、「ああ、生かしてもらっているなあ」と感じる時間です。
 私はありがたいのですが、カミサンは、喜寿で、体重は37キログラム。平坦ではない歩道を1時間以上も車椅子を押す…。推定体重50キログラムの障害者(私)が乗った16キログラムの車椅子。重労働だと思います。

 内閣府の世論調査では、40.7%が「障害者をじろじろ見るのは人権問題だ」という認識をもっているとのこと。   
「新人障害者の散歩デビュー」の時は緊張しました。「じろじろ見られるのかなあ?」「人権を侵害されるのかなあ?」と。
 車椅子に乗った両足がない高齢者。すれ違う人は皆さん私を見ます。

 お散歩の保育園児は、「あっ!足がない」と率直な感想。大人たちは、チラリと見て、あわてて目を逸らす人が多い。障害者への気遣いが感じられます。障害者の人権を守ろうとしてくださる。
 僅かですが私を見た後、「うわっ、両足がない!きもっ!(出歩くなよなぁ!)」とでも言うように、あからさまに顔をしかめる人もおります。
 私が、「なに見てるんだよう!」などと言おうものなら、彼らの人権を守らないことになってしまいます。私を見て、どんな表情をしようと勝手ですからねえ。「障害者を見たくない人」にも人権があるわけですから。
 内心ですが、障害者だから見るのではないと思っています。誰だって、すれ違う人を見るのは当たり前。近寄ってくるものは、「人でも動物でも自動車でも」危害を加えられてはかなわないので確認しなければなりません。「安全確認のため観る」これも人権です。
 私は、見られることは恥ずかしくないです。でもやはり、私を見た後の反応は気になります。


人生最大の悔恨

2024年06月10日 | Weblog
 下肢切断手術前で入院中の時、「切断した足は荼毘に付さなければならない」という。下肢切断の前に、壊死し始めた親指を切断しました。それにもかかわらず、壊死の範囲が進行し、足の甲まで切断しました。それらのときは、「荼毘」をしなかったのですがぁ…。親指や甲の部分は、どのように処理されたのでしょうか?まさか…「生ゴミ?」。一応説明を求めたところ、「病院の判断で、小さな部位なら医療用焼却炉で焼く」とのこと。

 下肢切断手術前の入院中、コロナの影響で面会は出来ませんでした。
 手術の日、カミサンが、「タクシー、電車、タクシー」と乗り継いで2時間かけて病院へ「足」を引き取りに来てくれました。荼毘に付すために。
 そのとき、しばし面会が許されました。
 カミサンが四ヶ月ぶりに見た夫は、片足が無く(一度目の手術は、左足の切除。そのときは右足は、残っていました)、声帯が振動しなくなり「かすかな声」しか出ない。見間違うほど痩せこけて…覚悟はしていたでしょうが、ショックだったと思います。
 しかし、いつもと変わらない笑顔を見せてくれました。そうするしか、仕方がなかったのでしょう。
 そして、私の足を持って2時間の道のりを「誰も待つ人がいない家」へ帰って行きました・・・。
 「酷い思い」をさせてしまいました。五ヶ月後、残っていた足も切ったので、「酷い思い」を二度もさせてしまいました。これは、我が人生一番の悔恨です。

 妻のことを話すとき、「うちのカミサンがね…」と、「カミサン」を使うようにしています。なぜなら、「うちの嫁さんがね…」とすると、息子の妻と混同する。「奥さん」なら、「奥にいる人」であり、妻に失礼。「家内」も、「家に隠っている人」みたいなのでよろしくない。そこでカミサン。漢字で書くと、「上さん」。自分の上にいる人だからカミサン。これで決まり。「要介護5」の私を、自宅で介護してくれている。カミサンの漢字表記は、「上さん」から「神さん」になっています。


タリバンは、自転車が好き

2024年06月10日 | Weblog
 2020年東京オリンピック(2021年7月23日から8月8日まで)を目指したアフガニスタンの自転車競技の女子選手がおりました。ところが、タリバンが政権を取ってしまいましたので、女性のスポーツは全面禁止に。女子自転車競技チーム(5名)はイタリアに逃れ、アフガニスタン代表にはなれないので、(東京五輪に)「難民選手団」として参加したいと練習を続けました。結果、1名だけだったと思いますが、東京オリンピックに出場できました。アフガニスタンは自転車が身近の様子。と、いうことは、タリバンも自転車に乗っているのでしょう。

 山陰の警察署員が、自転車に二人乗りをしている高校生を見つけて職務質問しました。一人は、日光を浴びると皮膚が腫れるなど障害が起きる難病の「ポルフィリン症」のため、黒いずきん(頭巾)」をかぶっていました。
 警察官が言いました…
「その変な格好したやつ、止まれ。おまえはタリバンか!」
 それが、暴言だということで、県議会で明らかにされ、県警本部長は、「不適切だった」と謝罪。全国紙にも取り上げられ話題になりました。
 {義足をつけていた例」「マルファン症候群だった例」も同様ですが、「知らなかった」なら「暴言も仕方がないのか?」…どうも納得できません。
 しかし、「だったらどうすれば納得するのか?」と責められたとしても、何も言い返せません。障害者へ対してのみならず、人に対しての「暴言、罵倒」は人権侵害だと思うのですが。

 だけどさあ、タリバンがわざわざ山陰の地方都市まで来て、自転車に二人乗りするか?


「見た目健常者」の憂鬱

2024年06月09日 | Weblog
 中途障害者歴1年半。今だから「感じること」「見えてきたもの」もあります。そのほとんどが人権に係わるのですがね。
 入手できる情報のほぼ100%が、マスメディアから。暮らしの中で、「家族、医療関係者以外の人」と会話することは、ほぼ皆無です。五十年来の旧友はおりますが、新しい友達はおりません。悲しいかな、友達をつくろうとも思わない。億劫なのです。これって、高齢障害者の典型なんじゃないかなぁ?
 おっと、自分が億劫だから「ほかの人も同じだろう」と考える。これこそが「老害」の一典型かな。

 私など、「外見で障害者だと分かっていただける(両方の下肢がない。義足もつけていない)のですが、障害者が、「障害者であることに気づいてもらえないこと」がよくあるようです。どれくらいよくあるか、統計などとりようもありませんがね。
 外見からは障害者だと気づかれず「心ない言葉をかけられてしまう」。あってはならないことだとは思いますが…。

 事故で右手と両足を失った31歳の男性。障害等級は、1種1級。外出時には義足を使っておられる。会社員で、電車通勤。
スーツ姿で電車の優先席に座っていたこの男性に、女性の乗客が声をかけた。
「ここはあなたが座る席じゃない。違う席に移りなさい」
 義足に気づかなかったため、健常者が優先席に座っていると勘違いしたわけ。男性が障害者手帳を見せたところ、女性は、電車内に響き渡る大きな声で謝ったという。この女性、間違いに気づき即座に謝った。この点は評価できます。だけどその前に、右手と両足…気づいてほしかったですがね。謝ったので、「人権を守る姿勢が身についた人」とは思いますが。

 難病(マルファン症候群 障害2級)で、障害者手帳を交付されている青年。外見は、2mちかくもある高身長というだけで、障害者とはわからない。その青年がタクシーに乗りました。料金支払いの時、市から交付された「障害者用タクシー券」を使おうとしました。運転手は突如気色ばみ、怒りを込めて言いましたねえ!
「この券は障害者でなければ使えないんだ!」
 前後の状況が分からないので、運転手に一方的に非があるとは言えませんが、青年になんの罪もないことだけはたしか。「見た目健常者」の障害者は、どこに伏兵がいるかにも注意を払わなければなりません。
 実はその青年、私どもの親戚筋の人。一枚も使用していないタクシー券の束を、「使って下さい、もうこりごり。ボク使いませんから」と、私にくれました。


新人障害者のカオス

2024年06月08日 | Weblog
 お世話になった両下腿を失って1年半ほど。新人の障害者です。「人生の途中」で障害者になったので、「中途障害者」という呼び名もあるらしい。なぜ「途中障害者」ではないのか?もっとも、どう呼ばれようと障害は治癒しませんがね。

「老いるとは、誰もが中途障害者になるということ」
 このフレーズ、誰が考え出したものやら。まさか、イェール大学アシスタント・プロフェッサーじゃないでしょうね。
 「老人=障害者」。生きている人は、皆さん、中途障害者への道を進んでいるということなのでしょうか。私の場合は、高齢かつ障害者ですから「中途、二重障害者」ということになるのでしょうかねえ?決して自慢してませんから!

 障害者になると、おそらく誰しもに、「①ショック期 ②否認期 ③混乱期」が、順番に訪れます。
 ショック期、否認期は、ダダをこねたところでどうしようもないので、皆さん「うやむや」のうちに乗り越えられるでしょう。私は、達観していますから(自分で言うか?)、涙も出ないうちに昇華。「亀の甲より年の功」ですかね。
 さてさて、そのあとの「混乱期」が辛い。生涯抜け出せない人が多いんじゃないかな。私も、障害者経験1年半とはいえ、カオスの「るつぼ」。「障害受容」ができていない。
 なぬ?「達観している人物が、障害受容できないのか?」って?…正直、その通りなのです。
  
 カオスその1「自分は何者になってしまったのか?」
 ・・・人間には間違いないけど、日々、存在が薄れていく感じがします。これ、結構辛いです。悪あがきしたいところ。
 カオスその2 「生きているようで、本当はすでに…?」
 ・・・時々、家族に「私、生きているよね」と、確認することがあります。
 カオスその3 「自分は、どこへ向かっているのか?」
 ・・・自力では移動できません。向かう方向は…最終的には「死」ですが、それじゃあ、今まで生かしてくださった皆さんに申し訳が立ちません。
 カオスその4 「日々を無駄に過ごしているだけじゃないか?」
 ・・・こうなると、またぞろ「自決しなさい、切腹しなさい」のイェール大学の30代後半の経済学者さんのご意見が正当なものになってしまいそう。津久井やまゆり園の事件を思い起こします。かといって、「老人だって社会の役に立っているんだぞぉー!」と、大声で言える何者もない。

 この混乱期は、生涯終息しないかもしれません。もっとも、自分の心の問題なのですがね。



「ゆいごん川柳」ペケ作品

2024年06月07日 | Weblog
  ○○財団が、「ゆいごん川柳」なるものを公募しておりました。常日頃、「ダメで元々」を基本方針にしております。「トライ」しなければ何も始まりません。「遊び半分ならぬ、遊び全部」で、応募してみました。
 結果はもちろん全て「ペケ」。折角作ったのに、発表の機会がないので、この場で発表させて頂きます。

 ペンネームは、「ホジャおじさん」と、しました。これが悪かったのかなあ?
 ホジャおじさんは、「ナスレッディン・ホジャ」で、トルコ民話の登場人物。トルコ人の間で語り継がれる頓智話・小話の主人公です。物語は基本的に単調。最後にオチがつく形式。さてさて、私の「ゆいごん川柳」開陳。

 先に逝く追って来なくていいからね
 →わかりやすいですね。家族・友人・知人が、私のあと追って殉死などしないようにというもの。もっともこれじゃあ、大賞どころか入選すらするわけがないね。

 手間いらずでごめんなさいね相続税
 →相続してもらうものがないので、「相続税」のやっかいな手続きは不要ですというわけ。説明のしすぎかなぁ?

 遺言書変換ミスは許されよ
 →遺言ぐらい、しっかり読み返せってかぁ?

 なめんなよ認知症状まだ軽度
 →軽いと思っている人ほど重いんだよね。だけどこれ、川柳になっていないかな?「ゆいごん」にもなってないね。

 遺言書文例集のパクリかな
 →ありがち、ありがち。遺言までコピペ!

 お供えは低カロリーで頼みます
 →糖尿病だった故人にとって、仏様になって菓子類ばかり供えられたら、病気が悪化してしまいますから。

 好きだけど時にはつくって休肝日
 →生前好きだったとは言え、毎日お酒を供えられたら、「ガンマーGTP」の値が上がってしまいます。

 満期まで生きてしまったぁ保険かな
 →葬儀費用にでもなればと、コツコツと積み立てた保険金。自分が受け取ってしまって、飲み代に充てたんじゃしょうがない。

 遺言書誰だ添削する奴は!
 →遺族みんなで遺言を添削する。ほほえましい遺族なのか、お金の亡者のような遺族なのか…判別できませんねえ。

早々と遺言書いてまだ元気
 →死ぬ予定がないうちに遺言を書いてしまうと、きっと紛失するから。

 「17音だから、簡単だ」と、思いましたが、「ゆいごん」となると、なかなか難しいものだと気づきました。反省して、また応募しま~す。次回こそ「大賞」を獲るぞぉ~っ!「ダメで元々」


要介護5 妖怪GO

2024年06月06日 | Weblog
    決して病気自慢ではありません。「要介護5」になってしまっています。
「要介護5」に認定されても、「それが、どの程度のものなのか?」本人ですら分らない。厚生労働省のデータでは、要介護5の平均的な介護期間(早い話が、生きている期間)は、男性10年、女性13年なのだそう。私は要介護5になってから3年間生きちゃっていますから、寿命全うまで、あと7年。そんなに生きたら、80歳を過ぎてしまいます。要介護5なのに、日本人男性の平均寿命を越えてしまっては皆様に申し訳ありません。でも、切腹はしませんけどね。

 なぬ?
「要介護5なら、志茂田景樹さんと同じだろ。志茂田さんは、溌剌とされておられるぞ」だって?わ、私は、溌剌とは縁遠いですねぇ。前回笑ったはいつだったか?日々の暮らしに「笑いってもの」がなくなりつつあります。
 直木賞作家の志茂田景樹さんと比較されるのは、むしろ光栄。直木賞作家と、「ブログ アンティークマン作家」…似たようなものですかねえ?(そんなはずないね。)相手は、虹色ヘア、こちらは薄毛ですから勝負になりません。

 志茂田景樹さんは、84歳になっておられる。近況は…
「要介護レベル5と聞くと、常に寝たきりの状態を思い浮かべるかもしれませんね。私の場合は完全に寝たきりではないものの、ほぼそれに近い状態。車椅子の乗り降りも一人ではできませんし、歯ブラシを握るのもやっとという感じです」
 アンティークマンとほぼ同じ状態です。志茂田さんと親しいのかって?社会の底辺でうごめいている私です。有名人と親しいはずはありません。
 志茂田さんが奥様と「紙芝居行脚」をしておられたことがありました。その頃、北海道南部の「乙部町(おとべちょう)」の居酒屋、「四季彩 岬」で、私の自作紙芝居を見ていただいたことがあるのです。自分から言うのもおこがましいのですが、絶賛していただきました。ホントホント!ただ、それだけなんですがね。志茂田さんは、私のことなどとっくにお忘れでしょう。

私が志茂田さんの域に近づくためのは、髪の色を虹色というか七色にしなければなりません。当面の課題は、七色に染める染料の入手。ただぁ…まばらな髪を七色に染めたらぁ…妖怪だね。
 「要介護5≒妖怪GO」
 妖怪まで引っ張ったからには、なにかあるんだろうって?
「妖怪!用かい?なんか用かい?」アハハ、ダジャレでした。


まだ社会から消えたくない

2024年06月05日 | Weblog
 入退院が続き、ブログを休止しておりました。たまたま3年前のブログを開いてみたら、「広告」が貼りついていまして・・・
「※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります」
 と、書かれてありました。

 その広告が、本当に消えるかどうか確かめたくて、3年ぶりに、「アンティークマン」を復活させてみました。
「復活は、今回だけなのか?」って?
 時々書こうかなと思っています。ただ、家族と医療関係者としか会話がありません。つまり、楽しい話題がない。「病気自慢」を書き連ねても、読んでくださる人は皆無に近いでしょう。「時々」なら、少しは読むに値するブログを書けるんじゃないかなあ。

 アンティークマンは今、どんな姿をしているのかって?
 「貧相な高齢者」に、変わりありません。訳あって、ひっそり暮らして居ます。と、申しましても、悪事をはたらいて逃げているわけではありません。社会の為に何もできなくなってしまいましたので、息を潜めて生かしていただいている・・・。

 なぬ?堂々と生きればいいだろうって?
 あ、あ、あのね…
「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」。
 これは、30代後半の経済学者さんのご意見。これは怖いです。津久井やまゆり園の事件を思い出します。
 「高齢者=死んだほうがいい人」…このような考えが、今なお生きている。カミサンに車椅子を押してもらい散歩するのですが、いつ襲撃されるか、キョロキョロしています。高齢者であり、障害者ですから、「社会から消えたほうがいい人優先順位」では、上位でしょうからねえ。

 私は、今のところ自決も切腹もするつもりはありません。なぜなら、自決しなくても、あまり先が長くないからです。アハハ。ほっとけば、自決とおなじ結果になるわけで。


「出発信号、進行現示」の短縮形?!

2021年07月26日 | Weblog
 生きているときに使う人間の脳は、「持っている能力(脳力?)の数%」…これ、よく言われていること。そーゆー途方もない話ではなくても、知らないことってあるものです。
 
 「出発進行」、これ私は車を発車させる際に必ず口ずさんでしまいます。で、よくよく考えると、この四文字熟語はおかしい!(四文字熟語ではないのですがね)
 「出発」は分かる。「進行」も分かる。分からないのは、「出発進行」。どーゆーこと?出発は、当然進行。同じような意味を二つくっつけたもの。言い換えると、「昼食昼飯(ちゅうしょくひるめし)」「夕食晩飯(ゆうしょくばんめし)」みたいなもの。

 「出発進行」は、「出発信号、進行現示」の短縮形なのだと!知りませんでしたよぉ、この年齢になるまで!
 列車の運転士が、「停車中の列車を動かすに当たり、進行方向の線路が開通しているかどうか。つまり、信号機が「緑」になっているかどうかを確認するときに、指をさして、「出発進行」と言う。

 で、「出発進行」で、列車を動かしてはいけないのだそう。「出発合図」があって、はじめて列車を動かす。
 列車の信号も、「緑」は進めで、「赤」は、止まれ。なぜ?
 なんでも、列車が走る自然界は、「青系統」。情報伝達を青系統にしたのでは目立たない。よって、青系統の補色である、「赤」を最も重要な情報として使うようになったのだと。

 出発進行に、仲間がおりまして、「出発減速」、「出発注意」、「出発警戒」。これらの場合、動いても良いが、時速が決められている。「出発注意」を例に取ると、「時速40km~65km以下で通過してよい」という意味なんだと。
 早速、「出発進行」だけでなく、「出発減速」、「出発注意」、「出発警戒」も日常的に使うことにします。おもしろいから。

 いやはや、明日から入院。新型コロナが流行りだして入院シリーズがはじまり…1年半で、7度目の入院です。生きておれば3~4週間で「自宅退院」できそう。しばらく、ブログの更新ができません…。

言葉の本質が分からなくなっちゃうよぉーっ

2021年07月25日 | Weblog
 「『ドラッグで遊ばせませんか』とは、ひどいっ!」
 高速道路のPAに立ち寄ったときに家内が「叫び」ました。
 家内の「言い間違い」を真に受けて、被害を受けていますので、「ドラッグで遊ばせませんは、ひどい」という「叫び」にも用心しました。
 ドラッグで遊ぶ…十両・貴源治(常盤山部屋)が大麻を使用していた事件があったばかりなので、無視することもできず…「ドラッグで遊ばせるって?」と、反応しました。

 PAの看板には、「ドッグランで遊ばせませんか」と書いてありました。「ドッグラン」を「ドラッグ」と読み違えたわけで…さすが、カミサン、間違いチャンピオン!
 間違いを指摘すると、「ンがあるかないかの違いだけでしょ!」と、抵抗してきました。そうゆー問題ではないと思いますがね。
 「ドラッグで遊ばせませんか」と誘われると、「ではちょっとだけ」と、言いたくなりそう。柔らかな表現で言われるとついつい気を許しそうな。

 コロナ禍と関係があるのか、世の中、刺激を抑えた言い方が普通になってきています。 
 刺激を抑える婉曲な言い回し…よく考ええると、コロナ禍で始まったのではなく70数年前からあったね。
 刺激を少なくしたものの代表は、第二次世界大戦の敗戦について、「敗戦記念日」とは言わず、「終戦記念日」としているところでしょうか。日本国民のプライドを守る表現です。「占領軍」を、「進駐軍」といいますが、米軍に刺激を与えないための言い方。

 いつのまにか、「犯人」を「容疑者」と呼ぶようになってきています。「容疑者」となると、「いい人」っぽい。犯人にを、いい人のイメージを持たせちゃダメでしょ。
 「解雇」では刺激が強すぎるので、「リストラ」。動物園かっ!

 「子供」か「子ども」か?これは、私が昔(今は3年一昔)、「子供と表記すべし」と、書きました。ところが、最近は、「子ども」と書くことも多くなりました。時代に負けたのかって?そ、そーゆーことになるのでしょうか…。公的な文書に、「子ども・・・」と書いてくるのです。「子供」では、「ガキども」みたいで刺激が強いということ。一人で反対していてもしょうがないので…。長いものには巻かれろ、流れに竿さすなってところでしょうか。

 「全然いい」…これ最近ごく普通に使われています。ところが、これは刺激とは関係がない。「全然」は昔から肯定にも使っていました。否定を必ず伴うわけではないのです。つまり、「全然いい」は、「全然いい使い方」なのです。

 消費者金融の取り立て屋との電話で、相手が「ぶっ殺す」を連呼するモノですから、「あんたねえ…その言葉遣い…」と、言ったところ、「あんただとコノヤロウ、ぶっ殺す」と、言われたことがありました。その業界では、「あんた」は、刺激が強い大変に失礼な言い方らしい。では何が良いのか?「きさま」「おまえ」が良いのかも知れません。「きさま」は、「貴様」ですから、敬意を表す2文字の結合。「おまえ」は「お前」ですから、神や天皇の前を指す、「大前(おおまえ)」が語源。
 「金を返さねえとぶっ殺すど、こら!」
 「きさまぁぶっ殺すとは何事だ、こら!」
 「きさまだとぉ、刺激が強い言葉を遣いやがって!2度ぶっ殺す」
 「貴様が気に入らないのかぁ?では、おまえっ!」
 「おまえだとぉ、し、刺激が強い!3度ぶっ殺す」
 うーん!この応酬五分五分の戦いだなあ!感心している場合じゃないね。
 「きさま」「おまえ」は、時代を経るに従い「尊敬・親愛→軽蔑」と、意味が変遷したもの。

「武器輸出」では、刺激が強い。で、「防衛装備移転」という言葉に変わりだした。しまいに、言葉の本質が分からなくなってしまいます…。