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あなたは「経済」あるいは「経済学」というと何を思い浮かべるだろうか?
主イエス・キリストは「まず、食べることだよ。わたしのみことばを聴いて、思い巡らし、行ないに移すのは」とおっしゃる。「経済(学)」である。キリストの経済(学)である。
常識的に言って、食べていなくてはみことばは頭の中にも入っていかない。お腹がすいていてはみことばはそれこそ食べることができないのである。その意味で三度の食事を取れることがみことばを聴く上での最低条件である。だから主イエス・キリストもその祈り(主の祈り)の中で「日毎の糧をお与えください」と祈るように教える。
しかし二千年前主イエス・キリストがこの地上にいらした時お腹が十分に満たされた状態で主のみことばを聴いた人が果たして何人いるのだろうか?とわたし自身大いに疑問に思い、人間にとって「食べること」、そのために「働くこと」、の重要さを思い知らされる。
かなしいかな世の中いろいろな理由で十分に食べられない人々の方が食べられる人々よりも圧倒的に多数なのは現代社会でも同じである。それで「食べられている」あなたに言う。
「殺すな」「盗むな」「姦淫するな」と。
わたしではなく主イエス・キリストが命令する最小限度のオキテである。
そして主はおっしゃる。「互いに愛し合いなさい」と。
みんなが飢えて苦しむことのないように。
殺し合うことがないように。
愛し合うために。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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