林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

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2024-06-01 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第313回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に幕張本郷「中華わたる」のチャーハンを新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1671回更新しました。

1950.JR東海道本線安土駅を公開いたしました。

https://ringono.nengu.jp/

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米原「来来亭・米原店」

2024-05-31 | 飲食店

2022年8月20日日曜日から1泊2日で、
大阪から名古屋までの東海道本線の駅取材に出掛けた。
その1日目、8月20日日曜日はJR西日本管区を取材して、
元町、千里丘、膳所で再取材し、大津で昼食を喰い、
篠原、近江八幡、安土、能登川、稲枝、河瀬、南彦根と取材した。
この日はJR西日本とJR東海の在来線境界駅である米原に宿泊し、
明日はJR東海管区を名古屋まで取材する予定である。
米原に到着して予約していた東横INN米原駅新幹線西口にチェックインする前に、
ここで夕食を喰うことにして、事前に調べておいた「来来亭・米原店」に行く。

事前に地図をプリントアウトして探しながら行ったが、
それほど迷わずにたどり着くことが出来た。
店に着いたのは5:30p.m.頃で、それでも満席に近かった。
カウンターに案内され、タッチパネルで注文する。
最近はこの方式もだいぶ普及している。

その中でギョーザ定食・税込1,020円を注文する。
ラーメンに餃子とライスの付く、ラーメン店の定番定食である。

先に餃子とライスが提供される。
餃子は5個で、これだけで飯が進む。

少ししてラーメンも提供された。
スープは醤油ベースで、麺は細麺、
トッピングは薄く切られたシャーシューと刻んだ葱、
スープには背脂が浮いている。
公式ホームページには、

 来来亭のラーメンは、京都風醤油味の鶏ガラスープに背脂をふんだんに浮かせているのが特徴です。
 表面に背脂、中は澄んだ鶏ガラベースのスープなので、
 コクがあるのに口当たりはスッキリ!最後まで飲み干せるスープです。
 麺はコシのある細麺で、スープとよく絡んでスルスルいけてしまいますよ!

と書かれている。

カウンターには「背脂供給不足についてのご案内」とかかれたカードが掲示されていて、
そこには背脂多めには対応できない旨が書かれていた。

 ※参考、引用:来来亭公式ホームページ https://www.rairaitei.co.jp/

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大津「ちゃんぽん亭総本家・ビエラ大津店」

2024-05-30 | 飲食店

2022年8月20日日曜日から1泊2日で、
大阪から名古屋までの東海道本線の駅取材に出掛けた。
1日目、8月20日日曜日はJR西日本管区を取材することにして、
再取材先の元町、千里丘、膳所で再取材した。
事前の予定では近江八幡のカレー店を計画していたのだが、
駅取材や移動に思った以上に時間がかかり、
予定にはなかった大津で下車して飲食店を探すことにした。
駅ビルであるビエラ大津店には何軒かの飲食店が入店していて、
その中で「ちゃんぽん亭総本家・ビエラ大津店」に入店することにする。

駅前には大きいメニューが表示されていて、
事前に喰いたいものをチョイスすることが出来る。

ここは近江ちゃんぽんの専門店で、
以前、彦根駅前本店には入ったことがある。
2015年10月30日の訪問で、
その時はーダーは近江ちゃんぽん・野菜並盛り・税込702円(当時)を喰った。

しかし隣のボードには創作ちゃんぽんやラーメンのメニューも載っている。
今回はその中で味噌ちゃんぽん・野菜中240g990円を注文した。

近江ちゃんぽんは昭和38年(1963年)創業の、
「麺類をかべ」という麺類食堂で考案されたものが源流で、
ちゃんぽんと名乗って入るものの、長崎ちゃんぽんとは違い、
スープはだし汁は削り節と昆布からとった“京風だし”である。
メニューにも「黄金だし淡口仕立て」と書かれている。
その一方で、味噌ちゃんぽんは「濃厚な味わいの一杯」とあり、
近江ちゃんぽんとはまた違うちゃんぽんである。

ちゃんぽんらしいもっちりとした麺に味噌スープが美味しい。
野菜や薄切りの豚肉がスープと合い、満足だった。
個人的には近江ちゃんぽんより味噌ちゃんぽんの方が好きだ。

 ※参考:ちゃんぽん亭公式ホームページ https://chanpontei.com/

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅21.

2024-05-29 | 鉄道・旅行

 21.名古屋での彷徨と新幹線ホームの「きしめん住よし」-旅の終わり

笠寺で測線の留置車両を狙ったが、思ったほどの成果はなかった。
16:57普通岐阜行きに乗り込み、名古屋まで戻る。
名古屋到着は17:10で、帰りの新幹線まではまだ約2時間ある。
そこで帰りは名古屋駅近辺で夕食を喰おうと思い、
地上に出て、泥江町通を彷徨した。

名古屋で食事というと、何時もは「矢場とん」に行くのだが、
昼食にも大垣の「宝亭」で豚ヒレカツ定食を喰っているので、
昼も夜もとんかつはさすがに辛い。

途中、名古屋では有名な「世界の山ちゃん」を見かける。

色々と見て回ったが、昼食のヒレカツでまだそれほど腹が減っておらず、
飲食店は多いのだが、今ひとつ食指が動かない。
帰りの新幹線で駅弁でもいいかなと思い、
新幹線改札口を事前購入の切符で入場する。

入場したのは18:16で、構内の売店で駅弁屋お土産を買う。
そのあと待合室で時間を潰すが、
名古屋の名物と云えば“きしめん”があり、
在来線ホームでは何度か喰ったことがあるが、
新幹線ホームの「住よし」には行ったことがない。
そこで上り新幹線ホームの「住よし」できしめん400円を喰った。
駅弁も買ってしまったので、トッピングは無しにした。

予約していた新幹線は18:59名古屋発の「のぞみ44号」で、
座席は5号車4番E席だった。

乗り込んで、駅弁を喰おうかと思ったが、
きしめんも食ったため腹が減っておらず、これは夜食にすることにした。
「のぞみ44号」が名古屋を出たあと、
ホーム売店で購入した缶ビールでブレイクする。
東京までは1時間37分の旅で、
名古屋駅で彷徨したため更に疲労も蓄積し、うとうとする。
東京駅到着は20:36で、事前の予定では、
21:00東京始発の総武快速線に乗るつもりだったが、
20:47始発の千葉行きに間に合ったので、それで津田沼まで戻り、
総武緩行線に乗り換えて帰宅した。

今回の旅では東海道本線のうち、野洲から大高までの区間の全駅取材が完了した。
2022年の青春の旅立ち-東海道本線、山陽本線の旅では、
神戸から野洲までの区間が訪問完了している。
1週間後の「青春の旅立ち-東海道本線各駅停車の旅・東京~静岡編」では、
静岡から東京方面に向けて日帰りで駅取材を決行する予定である。
来年には大高の隣駅の南大高から静岡までの駅取材に挑戦したい。

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅20.

2024-05-28 | 鉄道・旅行

 20.熱田神宮を参拝と東海道本線笠寺の留置車両

JR熱田駅から神宮前西口の仮設駅から跨線橋を渡り、
東口に向かう途中の跨線橋で日本車輌のビルを見かけた。
日本車輌は鉄道車両をはじめ、特殊大型車両などを製造する会社で、
鉄道マニアなら勿論その名は知っている。

ここは本社ビルで、もしかしたら外から見える範囲に、
代表的な車両を飾っているのではないか思ったが、
残念ながらそういうことはなく、普通の会社ビルだった。
そこで再び名鉄神宮前東口まで戻り、跨線橋を渡って西口まで行く。
横断歩道を渡って熱田神宮を参拝することにした。

空にはまだ厚い雲は残っているものの、
雲間からは日差しもあり、この先雨の心配はなさそうだ。

熱田神宮は三種の神器の一つである草薙剣をご神体とする神社である。
草薙剣はもともと天叢雲剣と呼ばれていたが、
ヤマトタケルが東方征伐に行く際に倭姫命から授けられ、
草原で敵に囲まれ、回りに火を付けられた時に、
草を薙ぎ切り窮地を脱したことからのちに草薙剣と呼ぶようになった。
ヤマトタケルは東方征伐の帰り、妃である宮簀媛命に預けて、
その後三重県亀山市能褒野で亡くなったとされている。
草薙剣は宮簀媛命によって熱田に祀られたという。

熱田神宮公式ホームページによると、

 ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を
 御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。

としていて、

 御鎮座は、日本武尊の御事蹟と深い関係があります。
 御父・景行天皇から信任を授かった日本武尊は、東征の帰途、
 尾張国造の御女である宮簀媛命をお妃とされ、
 やがて草薙神剣をこの国に留めておなくなりになります。
 宮簀媛命は尊の御遺志を重んじて、
 神剣を今の熱田の地にまつられました。
 今からおよそ千九百年前になります。

と書かれている。

ここを十分に堪能し、JR熱田駅に戻る。
熱田神宮を撤収したのは4:30p.m.過ぎで、
帰りの新幹線までには2時間半ある。
しかし熱田神宮参拝で体力を消耗してしまい、
この先駅取材をする気力もなくなったため、
2020年8月9日に訪問済みの笠寺に行くことにする。
ここは側線に留置中の貨物列車があり、
また名古屋臨海鉄道の東港線も接続していて、
運が良ければ所属するディーゼル機関車を取材できるかもしれない。
16:41発の上りで隣の笠寺まで行ったが、
ディーゼル機関車の姿はなく、ホッパ車が留置されていただけだった。
しかし側線にEF510形が単体で留置されていて、
これを取材して今回の駅取材、車両取材は終了した。
早めに名古屋まで戻り、夕食を喰って帰りの新幹線を待つことにする。

 ※参考、引用/熱田神宮公式ホームページ https://www.atsutajingu.or.jp/

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅19.

2024-05-27 | 鉄道・旅行

 19.予定外の東海道本線大高と熱田と名鉄神宮前

尾頭橋で集中豪雨に遭い、足止めされていたが、
ホームで雨宿りしていたら小雨になってきたので、
16:21発の上り岡崎行きに乗り込む。
尾頭橋の隣は金山で、2014年11月26日に訪問済みである。
その隣は熱田だったが、まだ雨が残っていたのでスルーする。
次の笠寺も2020年8月9日に訪問済みである。
更に先に行き、大高まで来たところでほぼ雨が止みかけていた。
そこでここで下車して、駅取材することにする。

JR大高駅は島式1面2線の高架ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、高架下に駅機能が集約されている。
大高に駅が出来たのは資材運搬のため、
1886年3月1日に武豊から熱田の区間が開業したのと同時である。

天候が回復したので、ここで飛ばした熱田に戻ることにした。
大高16:40発岐下り阜行きで2つ先の熱田まで行く。

JR熱田駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線、2番線は下りが使用、1番線は待避線、2番線が主本線、
3番線、4番線は上りが使用、3番線は主本線、4番線は待避線になっている。
駅舎と2つのホームは跨線橋で結ばれている。
熱田に駅が出来たのは資材運搬のため1886年3月1日に、
武豊から熱田の区間が開業した能登同時で、
終着駅として現在地より南に約1.57kmの場所に設置された。
同年4月1日には熱田から清洲(現・枇杷島)までが延伸し途中駅となった。
1896年9月1日に現在地に移転した。

熱田はその名の通り、熱田神宮の最寄り駅であり、
名鉄名古屋本線にも神宮前駅がある。
そこでここで下車してこの駅を目指すことにした。
名鉄神宮前は南に約500m離れていて、
熱田神宮を横に見ながら商店街を抜けていく。

名古屋鉄道神宮前駅は島式2面4線の地上ホームを有する名古屋本線の駅である。
また常滑線も分岐しており、方面別ホームが採用されている。
1番線は名古屋本線下り、2番線は常滑線方面から岐阜に直通列車、
3番線は常滑線、4番線は名古屋本線上りが使用する。
2番線と3番線は名古屋本線をオーバーパスして知多半島方面に南下する。
駅名は熱田神宮の最寄り駅であることから名付けられた。

西口は工事中で仮設の出入口が設置されていた。
この時は気付かなかったが、ここは2014年11月27日に訪問済みだった。

 ※在りし日の名鉄西口駅ビル「パレマルシェ神宮」
 ※撮影時刻 2014/11/27 15:12:34

このあと東口に向かう跨線橋を渡っている時、
日本車輌のビルが見えたので近くまで行ってみることにした。

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅18.

2024-05-26 | 鉄道・旅行

 18.予定外の東海道本線尾頭橋-土砂降りの雨

清洲での取材を終え、予定外の名古屋から先の取材を決行した。
名古屋からひとつ先の尾頭橋に行くことにした。
清洲14:47発の普通・豊橋行きで18分の乗車で尾頭橋に行く。

JR尾頭橋駅は島式1面2線の高架ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用、高架下に駅機能が集約されている。
駅の西側には名古屋鉄道本線、その先にJR中央線が走っているため、
改札は東側の1箇所にしかない。

もともとは中日ドラゴンズのホームであったナゴヤ球場への観客輸送のため、
1987年7月1日にJR貨物線の貨物支線、通称「名古屋港線」上に、
臨時駅としてナゴヤ球場正面駅を設置して、
ドラゴンズの公式戦開催時に名古屋から臨時運行していが、
中日ドラゴンズのホームがナゴヤドームに移り、観客輸送の役目は終え、
ナゴヤ球場正面駅は1994年10月8日に廃止された。
しかし地元住民の要望もあり、本線上に常設駅を建設することとなり、
1995年3月16日に尾頭橋が開業した。
JRAの場外馬券場「ウインズ名古屋」の最寄り駅であることから、
競馬振興事業の助成対象事業となり、建築費用の90%をJRAが負担した。

駅舎取材途中にポツポツと雨が降り始め、
ホームに戻ると激しく雨が降り出した。
雷鳴も轟き、この先の取材は実質上不可能に思えた。

仕方がないのでここで通過電車などを取材して過ごす。
そうしているうちに雨も小降りになってきた。
そこでこの先、隣の駅に行ってみる。
雨がまた強くなってきたら、早めに撤収して名古屋で過ごすしかない。

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ホームページ更新

2024-05-25 | 更新情報

「REI RINGONO status」を第312回更新しました。

「飲食店ブログ記事」の「神奈川県」に新松田「ドゥルガダイニング」を新規公開いたしました。

http://status.garyoutensei.com/


「Station-駅から始まる物語」を第1670回更新しました。

1949.JR東海道本線篠原駅を公開いたしました。

https://ringono.nengu.jp/

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅17.

2024-05-24 | 鉄道・旅行

 17.東海道本線稲沢と清洲の駅取材

木曽川に戻って駅取材し、13:47発の普通大府行きに乗り、
取材済みの尾張一宮のひとつ先、稲沢に行く。

JR稲沢駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用する。
愛知機関区が隣接され、そのため東口は愛知機関区を跨いで、
反対側に階段やエレベーターのみが設置されている。
稲沢に駅が出来たのは1904年8月5日で、
1925年1月16日には稲沢操車場(現・愛知機関区)が開業した。
橋上駅舎と東西自由通路が完成したのは2000年4月22日である。

ホームからは側線の停車中のEF64形が多数見えていた。
そこで駅取材のあと、駅舎のある西口の反対側に跨線橋を渡り、
留置中のEF64形を取材した。
国鉄色に戻されたものもあったが、一方でプレートが外され、
その上から型式番号が手書きのものもあり、
廃車準備が予想される。
EF64形は国鉄時代に登場した勾配区間用の直流電機機関車で、
平坦区用のEF65形と並んで、国鉄時代の電気機関車の代表機と云える。
ただ、登場が1964年で経年劣化もあり、既に約7割が廃車され、
JR貨物が投入したEH200形の増備もあり、
今後も廃車が続き、近いうちに全廃になるのだろう。

愛知機関区に留置されている電気機関車、ディーゼル機関車を十分に取材し、
14:29発の普通岡崎行きで隣の清洲に行く。

JR清洲駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線は上り、、2番線は下りが使用する。
駅舎とホームとは島式ホームで結ばれている。
清洲に駅が出来たのは1934年2月24日で、
駅所在地は愛知県稲沢市北市場町古三味だが、
隣の駅が“稲沢”を名乗っているため、“清洲”となった。
駅の名古屋寄りが稲沢市と清須市の堺で、
清須市は旧・清洲町だったためにこの駅名となった。

清洲の隣は枇杷島で2020年2月15日に取材済みだったため、
これで大阪から名古屋までの全駅下車取材が完了した。
しかしまだ午後3時前で帰りの新幹線は名古屋発18:59だったため、
まだ4時間の余裕がある。
そこで名古屋を越えて東京方面に取材を進めることにした。

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅16.

2024-05-23 | 鉄道・旅行

 16.東海道本線尾張一宮と木曽川の駅取材

西岐阜から12:35発の快速で尾張一宮まで来た。
尾張一宮は愛知県一宮市の中心的な駅となっている。

JR尾張一宮駅は島式2面4線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り副本線、2番線は上り主本線、
3番線は下り主本線、4番線は下り副本線となっている。
画像は東口で、隣接する駅ビル「i-ビル」が駅の入口となっている。
また、西口には名鉄百貨店が駅ビルとなっていて、
名古屋鉄道名古屋本線の名鉄一ノ宮がほぼ平行して存在しており、
別の駅の扱いだが、実質的には総合駅として機能している。
尾張一宮に駅が出来たのは1886年3月1日5月1日で、
清洲(現・枇杷島)から延伸した時に終着駅として開業した。
同年6月1日には木曽川まで延伸して途中駅となる。
開業時の駅名は「一ノ宮」だったが、
1916年1月1日に「尾張一ノ宮」に改称、
戦後の1952年11月15日に「尾張一宮」に改称された。
1988年10月30日に上り線が高架化、
1990年11月18日には下り線も高架化された。
駅ビル「i-ビル」が開業したのは2012年11月1日である。

一方、名鉄一宮の駅が出来たのは1900年1月24日で、
現在の尾西線を敷設した尾西鉄道として誕生した。
開業時には「一ノ宮」で、月日は不明だが、
1900年中に「新一宮」に改称されている。
1928年2月3日には名岐線(現・名古屋本線)が乗り入れている。

JR尾張一宮と名鉄一ノ宮の駅取材して、
13:21発の普通岐阜行きに乗り込み、飛ばしてしまった木曽川に戻る。

JR木曽川駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、1番線の外側に下り待避線、
2番線の外側には上り待避線が2本あり、
回送列車や貨物列車の待避に使われる。
画像は西口で橋上駅舎化されている。
木曽川に駅が出来たのは1886年6月1日で、
一ノ宮(現・尾張一宮)から延伸し、木曽川の左岸に開業した。
木曽川橋梁が完成し、1887年4月25日には、
加納(現・岐阜)までの区間が開業した。
橋上駅舎化されたのは2008年4月12日である。

木曽川13:47発の稲沢に行く。

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅15.

2024-05-22 | 鉄道・旅行

 15.東海道本線穂積と西岐阜の駅取材

大垣で昼食を喰い、11:56始発の快速で隣の穂積に行く。
待ち時間の間に同じホーム上にある樽見鉄道の乗り場に行き、
停車していたハイモ330-700形702を車両取材する。
発車直前に全力疾走で始発の快速313系に飛び乗る。
穂積到着は12:01だった。

JR穂積駅は島式1面2線の高架ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、上下線それぞれに待避線が設置されている。
盛土に駅が設置され、画像は南口である。
開業は1906年8月1日で、開業時は地上駅だったが、
1908年に複線化され、その時に盛土上に駅が設置された。

穂積で駅取材し、12:17発の新快速豊橋行きで隣の西岐阜に行く。

JR西岐阜駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用する。
画像は南口で、線路を線路をオーバーパスする市道薮田精華線の、
側歩道上に出入口があり、南北の駅前広場に降りる形になっている。
西岐阜に駅が出来たのは1986年11月1日である。

西岐阜で駅取材して12:05発の快速に乗り込み、尾張一宮に行く。
途中の岐阜駅は2004年10月3日に訪問済みだったため、
2つ先の尾張一宮に向かったのだ。
しかしこの判断は大間違いだった。
岐阜と尾張一宮に普通列車しか止まらない木曽川があったのだ。
しかし木曽川を飛ばしたことに気付かず、そのまま尾張一宮に行ってしまった。

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅14.

2024-05-21 | 鉄道・旅行

 14.東海道本線美濃赤坂本線荒尾の駅取材

垂井を10:23出発した大垣行で終点の大垣まで行く。

ここからは東海道本線の通称“美濃赤坂支線”と呼ばれる、
大垣から美濃赤坂を結ぶ3.4kmの盲腸線の中間駅、
荒尾を取材するのが目的である。
終点の美濃赤坂は2004年10月2日に訪問済みだ。
木造の瀟洒な駅舎が魅力的な駅だが、
途中の荒尾は素通りだった。
今回は乗り潰しではなく東海道本線全駅取材なので、
前回素通りした荒尾に行くことにした。
大垣に到着したのは10:32で、
美濃赤坂支線の2両編成の313系に乗り込む。
美濃赤坂行きは10:38で隣の荒尾まで行く。

JR荒尾駅は単式1面1線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
大垣から美濃赤坂に至る支線上にある唯一の中間駅で、
この支線は美濃赤坂支線と呼ばれ、全長1.9kmの盲腸線である。

美濃赤坂支線が開業したのは1919年8月1日で、
この時点では駅としては開業しておらず、荒尾聯絡所が設置されたのみである。
荒尾に駅が開業したのは1930年12月1日で、
荒尾聯絡所、のちの荒尾信号場は南荒尾信号場に改称された。
本線から分岐する南荒尾信号場と荒尾駅は約300mの距離である。
以前は本線からの直通列車の設定もあったが、
2012年3月17日のダイヤ改正からワンマン列車が、
大垣と美濃赤坂を往復するダイヤに変更された。
荒尾の取材時間は14分で、乗ってきた列車が美濃赤坂で折り返し、
大垣行きとなって荒尾に戻ってくる時間である。
単式ホームのため、取材には時間がかからず、
少し時間を持て余したので、駅前を散策する。

駅前には木々の生い茂ったこんもりした丘があり、
行ってみるとそこは末広稲荷神社があった。
更にこの丘の正面に回ってみると、御首神社があった。

ここは天慶の乱で討ち取られ、
京都でさらし首になっていた平将門の首が、
関東に戻ろうとし飛び立った。
首が戻ることで再び関東で戦乱が広がることを恐れ、
そこで美濃の国南宮神社の隼人神が矢で将門の首を射落とした。
首が落ちたここに建てられたのが御首神社である。

10:55の東海道本線美濃赤坂支線で大垣まで戻る。

ここで昼食を喰うことにして、去年10月19日日曜日に、
養老鉄道と樽見鉄道の乗り潰しの時に予定していながら、
お祭りと重なり早めに閉店して訪問できなかった、
とんかつ店「大垣・宝亭」に行き、豚ヒレカツ定食1,100円を喰った。
午後からは大垣から名古屋までの未取材駅の取材に入る。
11:56発の快速に乗り込み、穂積を目指す。

 ※参考:御首神社ホームページ http://www.mikubi.or.jp/

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青春の旅立ち-2023年夏東海道本線全駅取材の旅13.

2024-05-20 | 鉄道・旅行

 13.東海道本線柏原と垂井の駅取材

近江長岡で08:42発の大垣行で隣の柏原に行く。
乗車時間は4分で、08:46に到着する。

JR柏原駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
1番線、2番線は下り、3番線、4番線は上りが使用、
通常は下りは2番線、上りは3番線が使用し、
1番線、4番線は予備ホームとなっていて、貨物列車などの待避に使用される。
駅舎とそれぞれのホームとは跨線橋で結ばれている。
長浜(現・近江八幡)から関ヶ原までの区間が開業した1883年5月1日には、
関ヶ原から25パーミルの急勾配の山中を通過するルートになっていたが、
交通の難所となっていたこの区間を避けてた新線が1899年10月敷設された。
それに合わせて旧線は同年12月に廃止されている。
この新線上に1900年2月21日に開業したのが柏原である。

柏原での乗り換え時間は50分で少し時間が余る。
そこで駅前を散策することにした。
駅前には旧中山道柏原宿跡地があり、時間までそこを歩いてみた。

9:25a.m.に撤収して駅に戻り、09:36大垣行きに乗車する。
隣の関ヶ原は2004年10月2日に訪問済みである。
次の訪問先は垂井で、09:46に到着する。

JR垂井駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線線の駅である。
単式ホームの1番線に付番され、上りが使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番され、下り列車が使用する。
2番線は関ヶ原始発の列車が使用する。
画像は北口で、1995年3月4日に橋上駅舎化され、
ホームと駅舎とは跨線橋で結ばれている。
垂井に駅が出来たのは1884年5月25日の、
大垣から関ヶ原までの区間が開業したのと同時である。
1994年10月11日に支線の新垂井線が完成、
下り列車は新垂井線経由となり、垂井駅は上りのみが停車することになった。
しかし1946年11月1日に下り本線が復活した。

北口駅前の広場には竹中半兵衛重治の銅像があった。
竹中半兵衛は軍師として斎藤龍興、浅井長政、織田信長、羽柴秀吉などに仕えた。
彼の墓所が垂井町の禅幢寺にあることから、
垂井駅に銅像が設置されたのだろう。

垂井の駅取材時間は37分で、10:23発の大垣行で、
いったん終点の大垣まで行く。
このあとは東海道本線の美濃赤坂支線の中間駅、荒尾の取材に行く。

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2024-05-19 | 更新情報

「Station-駅から始まる物語」を第1669回更新しました。

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