Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

安全「神話」

2024年01月24日 09時04分01秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨夜のウォーキングは1500歩程で終了。夜は息が上がるほどの早さである。目安にしている1日の歩数は1万歩以下、週に1日は3千歩以下の休養、月に22万歩程度である。
 2千歩までならば、4年ほど前の早さで歩けるまでに回復している。帰宅すると息が上がり、外気温は寒いが体が汗ばむ。2千歩を越えてこの早さで歩くと、膝に違和感が生ずることが多い。2千歩を連続の早歩きの上限の目安にもしている。

 さて、新幹線の架線事故、大きな影響が出ている。一歩間違えば重大事故に繋がるような作業員の被災も伝えられている。原因の究明はまだのようだが、新幹線の安全「神話」に警鐘が出てしまったのだろうか。
 羽田の事故といい、志賀原発の外部電源喪失といい、安全「神話」というのは脆いものでもある。過剰なまでに過密化し、高度化しているにもかかわらず、日常の安全点検が疎かになっていないか。
 施設管理というのは、維持管理の外注化・委託化が進みやすい。安上りの維持管理に陥りがちである。
 外注化・委託化するとしても、管理体制の無責任化、技術の丸投げ・責任の押し付けに繋がっていないか。常に問われるものである。施設の点検体制のあり方に踏み込んで、透明性の高い原因究明を求めたいものである。もとより、労働災害はあってはならないという前提で、見直しをして欲しいと切に望んでいる。
 私は労働組合の役員として、技術の継承と、人材育成と、責任の明確化、安全で誇りの持てる労働というものには常に交渉でこだわってきたつもりである。他の企業や組織の状況を見るときもその視点は手放したくない。
 原発も、願望で「安全」になるのではないはずである。原発事故の恐ろしさは体験済みであるが、喉元過ぎれば弥縫策と、「安全」願望と決意で再稼働に突き進んでいるようにしか思えない。廃炉にはまだまだ紆余曲折が待受けている。結論を願望で描いてほしくない。



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