お花大好き 野鳥大好き

戦争体験を孫に語りましょう

37度以上が2週間近く続いた激しい暑さもお盆のころに35~32度と治まり朝晩ほっとする時が出てきました。
お盆には神道である我が家もやはり家族で集まってお墓詣りをします。
その後は、家での食事が好きだった主人を想い 我が家に集まり焼肉でテーブルを囲みました。
特にお肉が好きだった主人なので奮発してステーキもいただきました。

孫は社会人二年生と大学四回生の二人 三人とも男の子です
今年は皆にも笑顔が戻り賑やかな食事となりました。
話が弾んでイラク戦争から阿部さんの政治の話に移り 徴兵制度が出来たら今の若者はどうするのだろうとなりました。
娘や息子たちと私はそれが気がかりでしたが 
孫達は「これからの戦争は兵の人数ではない。兵器の性能の問題で、
日本は世界的に上位の知識があるので、それを使う優秀な技術者が少数いればよい。
だから徴兵は必要ないのでは」との意見です
その意見はきっとネットの影響では?と思いますが・・・

若い人は政治に関心があるの?と聞くと 大いにある 皆政治の話はよくするとの事
これは意外でした。

又おばあちゃんの戦争体験を話して? と聞かれましたが
戦争中に生まれた私は実体験はほんの僅か。 
小学校に入って一度女子は全員頭からDDTをかけられたことと 
給食のぱんと牛乳は美味しかったけど
級友がまずいと言うのでそれに合わせて飲み残した苦い経験くらいでしょうか

しかし成長して母から聞かされた生々しい話を伝えました。 
私の頭の中では戦争=原爆です。実家は広島から50K強離れた町です。
原爆投下の日、母は畑仕事をしているとB29が上空を飛んで行きその直後 
閃光を感じて広島方面を見ると太陽のようなオレンジ色の丸いものが見えたそうです。

その日は家を壊す強制疎開に 地域の人は広島へ当番で駆り出されていました。
夕方貨物列車が駅に止まり原爆で火傷をおった人々が次々に運ばれて帰ってきたそうです。
町の役員さんがメガホンで どこかに氷はないか~ 誰か氷を持ってないかーと必死で叫ぶ声を聴いても
その頃冷蔵庫を持っている人はなく 井戸水で冷やすのが精いっぱいだったそうです。

親戚のおじさんも近所のおばさんも火傷を負い おじさんは二年後に亡くなり
近所のおばさんは70歳くらいまで生きることが出来ましたが顔の大きなケロイドは治らず仕舞いでした。
下の兄は学生だったので焼野原の広島に駆り出され被爆しましたが
幸い被ばく症状は出ませんでした。 しかし広島の悲惨な状況を語ることは有りませんでした。
また兵隊として戦争に行って無事に帰国した兄二人も戦争のことを口にすることは有りませんでした。
きっと思い出すのが辛かったのだと思います
唯一語ったのは中国に行った兄が 夜になるとイエライシャンの香りがしてそれはそれはいい匂いだったと言った言葉です
今は二人ともいません。 

僅かな戦争体験でしたが孫たちは映画や本で見るのと違い
身近な人から聞くのはすごく実感が湧く。と話したことを喜んでくれました。
機会があったら 皆さんもご両親や祖父母さんから聞いた戦争の話を
こどもさんやお孫さんに聞かせてあげませんか?


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